緊急事態
「身体測定って、タッパを計るんだろ? 何をそんなに慌てているんだ」
呑気な蛇口の頬を、巡は思わず打った。
「馬鹿ァ! お前は自分が理解できていないのか!」
翌日のホームルームでその旨を伝えられ、慌てて作戦会議をしている。
場所は人気のない空き教室で、一時限目の現代文はとうに始まっている。
「わかった。今日は酒を断つ」
「違う! あいや、それはまあ、一考するとして」
蛇口よりも酒好きな巡は答えを濁し、詰め寄る。
「お前の股にあるものだ。それをどう説明する気なのだ」
それで合点がいった。蛇口はわざわざ下着の隙間からそれを眺める。
「全裸になるわけじゃあるまいし」
巡はさっとスカートをめくりあげた。下着には、影がある。
「さっき火素から聞いたぞ。下着姿で測定するとな」
「助平」
ごつん。蛇口の顎が跳ね上がる。非力な巡にしてはいい一撃だった。
「切り取るのが手っ取り早いが、どう思う」
「わかった、わかった。剣呑な奴め、明日は休む。それでいいか」
「根本的な解決にはなってない。それをどう隠すかが問題だ」
「じゃあ幻術だ」
「できるのか」
疑う巡、すると突然に教室の窓ガラスが割れた。悲鳴をあげとっさに顔をかばい、何事かと恐る恐る確認すると、春の日差しが穏やかに、古いがヒビ一つない窓を照らしている。
「得意じゃないし、これをやると疲れる。だが天使をも欺いたこともある」
「自慢しろ、すごく強くてすごく綺麗なフォルトナを騙したとな」
神にも強さがある。これは人々の信仰心に依るのだが、運命の神は、あまり好かれていない。
幸運があれば感謝もされるが、人生とは上手くいかないもので、人はほとんど運命を批難する。あまりにも人間の日常に密着しているためにありがたみも薄く、むしろないがしろにされることの方が多い。
そのため運命の神フォルトナは、せいぜい家具を買い揃えるくらいにしかその信仰心を集められていない。それに運命を司っているとはいえ、見守るという立場を崩さないことにも原因がある。
「なんにせよ、これならば安心だ」
巡は意気揚々と教室に戻り、蛇口と共に席についた。実に堂々としていて、教師は注意もできなかった。
そして当日、ホームルームも終わりこれから測定という時、教室で黒辻班のワケありは、
(なんとかしなければ)
と、弱気の虫が騒ぎ出した。
蛇口の性が曖昧であると知られれば、それは学園でも稀有なものだし相当の好奇の視線を浴びるだろう。本人はどこ吹く風で過ごせるだろうが、同班の連中に迷惑はかけられない。それを恐れた。
「あれ? 下着じゃなくていいのか?」
絶対に欺いてやると気合満点の蛇口は女子たちに恨みがましく睨まれた。
「どんだけ足を見せたいんだ」
「牛とカモシカのハイブリッドめ」
「なりたきゃなれ。私は拒否する」
「女の敵は女なのよ」
恨みがましい視線を浴びても蛇口本人はいたって真面目であるから困ってしまう。
「おい赤毛、美琴、どうなってる」
さすがにチクチクと刺さる陰口はうざったい。蛇口は隠れるように火素と黒辻の間に逃げた。
「私の冗談を真に受けたのか。バーカ、騙されてやんの」
「魔法で計測するから脱ぐ必要ないって、さっき宝先生からも話があっただろう」
黒辻はお姉さん然として、蛇口の頬を軽くつねった。
バレるかどうかでそれどころではなかったし、バレてもダメージのない巡まで緊張していて、昨日は本当に酒を断っていたのにもかかわらず青い顔でいた。
ほっとするのも束の間、魔法での測定であれば股に鎮座するモノがより克明にわかってしまうのではないだろうかとまた慌てた。
「測定するのは誰だ」
「坂々お付きのお医者の先生だよ。名は知らないけど医務室にいるんじゃないか」
蛇口は駆け出した。黒辻に腕を掴まれるも、簡単に振りほどいて、医務室までスカートを翻す。
「なんだあいつ。太ったのか?」
女子の悩みを理解するのはやはり女子で、しかし蛇口の悩みはきっと理解されないであろう。
「失礼する!」
湿布の匂いが染み込んだ部屋、野戦病院を想うより、今はするべきがあった。
「あれ、早いね。あなたは」
眼鏡を鼻に乗せた女だ。三十半ばだろうが、それにしてはずっと若く見える。蛇口はふと、薬の匂いもあるだろうが、付き合いのあった魔女にその姿を重ねた。
「俺は蛇口だ。頼みがある」
焦りと、それと地の年齢が、つまりは八十の老人が小娘に話しかけるような慇懃さが露骨に出た。しかし女も坂々に務める医師であり、驚きもしなければ訂正を求めたりもしない。
「体重のこと? 成長期なんだからちょっとくらいは誤差よ」
強者とはいえここにいるのはまだ卵であり、乙女の悩みというのは通例である。ただ、そんな心配よりもずっと複雑なのが蛇口である。
「
「うん。だから誤魔化せないわよ」
「それは、あれか。胸囲と、それに」
「お腹もお尻もね」
彼女はくるりと指を回すと、白っぽい光線が伸び、円を作った。
「服を透過して肌に触れるの」
「か、仮にだが、俺の尻とか下半身に出来物があったとしたら、それは」
蛇口は真剣である。どうにかして秘部から遠ざけようとして、だからこそ逆に興味を煽るような物言いである。
ともかく本心であることが伝わって、女医は上品に笑んだ。
「尻が出来物のせいで大きく計測されるのが嫌だ」
と、そう言っているように受け取られたのだ。馬鹿馬鹿しい悩みであるが、彼女はその悩みにも付き合ってくれた。
「あなたの順番になったら多少は小さく見積もるわ。それでいいかしら」
「え? いやサイズはどうでもよくてだな、とにかく、俺に何があってもその場で騒ぐことはしないでほしい。医者とか女とかそういうのは抜きにして、俺とあんた、人間として約束してくれ」
よっぽどの決意でここまで来たのだろう、あまりにも馬鹿らしい悩みだが、この子にとっては高校生活の最初でつまずきになりかねないと、女医は大きく頷いた。
「ロボットのつもりでやるわ。あなたのサイズを測る機械。私でいいのなら、だけど」
「頼む。俺だけじゃなく、仲間のためにも」
「素敵な理由ね。ちょっと大げさだけど」
噛み合わないまま両者は握手をした。熱を帯びたそれは、巡が見れば安心すると同時に滑稽だと思っただろう。
「名を頂戴しても?」
「
「良い名前だ。あなたが俺の恩人になってくれれることを切に願う。俺に感謝の言葉を述べさせてくれ、陸」
失礼する、とまた走り出した。うまくいくかは五分と五分、そんな報告を巡にするためだ。
カルテにあるのは無愛想なさっきの彼女。変わった名前だと素直に思った。
「蛇口、無心。なんだか昔の男を思い出すわ」
古い傷心を引っ掻かれたような心地は久しぶりで、男性不信のこの女にしては珍しく、くすぶっていた疼きを感じていた。
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