おそろい


「ひっ!」


 巡は決心し、目をつぶった。体を小さく丸めて、しかし唇のわななきは、どこかそれを望んでいるようでもある。


「なんてな」


 心と芯は同体で、蛇口はさっと滾りを沈め、ぬるいビールの缶を巡の震える唇に当てた。


「ふぇ?」

「じゃれただけよ。ほら、飲み直そう」


 ケラケラと笑い、スカートの下、パンツの中で大人しくしている獣をチラリとみせ、するめをかじった。


「冗談か」


 ドクンと脈打つ心臓、怯えと恥じらいに燃えながら、どこか宙に浮くような興奮があったことを自覚する一歩手前で、


(こいつをどうやって殺してやろうか)


 と、感情の一切を殺意に変換させ、酔いは醒めているのにかっかする全身を一瞬だけかき抱いて、またちゃぶ台に戻った。


「その気があれば、俺は大歓迎だ。お前はいい女神だからな」


 蛇口はまだ薄ら笑いでいる。とても昼間に信頼を得るといって怪我をした女には見えない。


「それも冗談か」


 喉を鳴らして缶を空けた。脳内に酔い鐘が鳴る、しかし、自制は利かない。

 返答はない。ただにやけたまま、酒を飲んでいる。


(全くこいつはどうかしている。ああ、これがするめか。匂いは妙だがうまいな)


 物事への興味があちこちに移る女神を、八十の老人は穏やかに眺めていたが、それもすぐに年頃の少女のものへと戻る。


「だいぶ酔った。も少し腹に入れたら、俺は寝るぞ」


 飯はない。そのことは彼女も知っている。


「外に出るしかないぞ」

「出ようと言っている。ジャージを着ろ。ほら、立てるか」


 まるで着せ替え人形のような巡である。文句ばかりで時間がかかった。身なりを整えてもらってから、さっと手を払う。


「子ども扱いするな、馬鹿者め」

「大人扱いがご所望か?」

「馬鹿ァ! もう嫌いだ!」

「あ、走るな!」


 夕日の残滓が色濃い町並みと小さな背中。蛇口はこの光景がどこかの戦場に重なって見えて、そんな自分が誇らしくもあり情けなくもあった。




「じゃじゃーん! みんなのランクが決定しました!」


 翌日の朝のホームルームである。酒の匂い芬々の二人に黒辻は露骨に顔をしかめた。巡は二日酔いで顔が青い。


「この証書にみなさんの最初のランクが書いてあるから、見せ合いっこでもして楽しんでくださいねー」


 トランプの手札を広げるように、クラス分の白い封筒を扇にしてパタパタと振った。

 宝が個々に名前を呼び、教壇の前でそれを受け取るのだが、蛇口はもちろんその臭気を咎められた。


「え? あの、蛇口さん? この香りは」

「たったの一本半です」


 巡の飲み残しも含めれば二本は超えている。それにしても鼻がいいというレベルではないほどに宝の感覚は鋭い。


「未成年でしょ?」

「俺が? ああ、そうですね」

「んー、先生がおかしいのかな?」

「それより、ランクを知りたいのですけど。美琴の奴も、ありゃあ今日はダメそうなんで、代わりに」


 早くしろと言わんばかりに手を差し出す。宝は首をかしげたままである。


「あれ、なんか変だよね? 変だよね?」

「変なことはいいことですよ」


 言い訳もしないし丸め込もうともしない。日常のようなボリュームで喋るからクラスメイトたちは騒然としている。

 宝は「まあいいか。私も早く帰って飲みたいもんね」と納得してしまった。どこかずれている人である。


「あれで教師が務まるなら、私でもできるぜ」

「火素、失礼だぞ」


 心中深く同意する黒辻は戻ってきた蛇口の腹に一撃をかました。


「ぐえ」

「匂いくらい消してこい」

「はっはっは。すまん」

「あ、まだ見るなよ。私がもらうまで待て。みんなでせーので開けよう」


 火素は名前を呼ばれると、


「黒辻の奴もダウンしてるから、代わりに」


 と、二枚の証書を持ってきた。


「ふざけるな火素! 二日酔いの馬鹿どもと一緒にするな!」

「まあまあ。落ち着けってば。ほら準備して、せーのだぞ」

(この連中をまとめるのか)


 リーダーとなって初日であるが、すでにやめたくなっている。


「美琴」

「頭に響くから、静かにしてくれ」

「わかった。静かにだな。せーの!」


 ぐうう、とこめかみを押さえながら、他はさらりと一斉に開封された証書の包装、三つ折りにされたそれに最初に反応したのは火素だ。


「Eだとぉ! どうなっていやがる!」


 髪をかきむしるだけでは足りず、巡の机に拳を叩きつけた。


「ば、馬鹿。へこむ、頭が、痛っつぅ」

「どれ、美琴は」


 蛇口はそこにEとあるのを見た。


「黒辻は?」


 窺うと、証書を握りつぶしている。「お、おい」


「職員を皆殺しにすれば、覆るだろう」


 どこかほっとしたような表情の火素である、拳を音高く手のひらに打ち付けた。


「私も手伝うぜ」

「なんだ、お前ら、みんなEか」


 馬鹿にしたように蛇口がからかうと、ひたと首筋に冷たい感触。黒辻の愛刀が音もなく抜き払われている。


「私がこのようなランクを拝したのは、どうしてだろうか」


 黒辻家を代表してこの学園にきた彼女である。期待も大きく、また自信もあった。それが最低ランクをもらってしまったのだから、やるせ無さと憤りで自分を制御できていない。また家族にどう説明するのだという、テストでひどい点を取った子どもの心地でもあった。


「安心するかどうかはわからんが」


 蛇口は自分のランクを見せた。彼もまた黒辻たちと同じ成績である。


「黒辻班はめでたく揃って、底辺からの出立だ」

「どこがめでたいんだ、どこが」


 黒辻は刀を納め、深いため息。ヘラヘラしている蛇口に、火素も毒気を抜かれ、巡の机に残った拳の跡をなんとなく撫でた。


「考えてもみろ、俺たちは誰に負けた訳でもない。負けるつもりもない。ランクはおまけだ。喧嘩を売られたら買えばいい。後悔するのは、俺たちじゃない」


 不敵に足を組む蛇口に、それもそうだと火素は感心するが、納得いかない者もいる。


「母上になんて報告すればいいのだ」


 うなだれる姿は奇しくも二日酔いでダウンしているように見える。これは引きずりそうだな、と赤毛の少女がからかった。


「火素、ちょっと、静かにしてくれ」


 巡だけがランクなどそっちのけで、頭痛と嘔吐感と戦っていた。




 坂々学園は将来の戦士を育てる施設である。暗殺者や傭兵などが一般的だが、黒辻のように要人警護や、ただ闘いたいがために入学してきた者もいる。

 学園での訓練では怪我人もでる。卒業しても仕事先で大きな怪我も負う可能性は高い。ただ騒乱に放り込むだけでは潰しがきかないし、何より少しでも健全に育って欲しいという学園の親心により通常の学業も行うのだが、やはり闘いに人生を捧げている連中も多く、


「数学なんて役に立たねえよ」


 と、火素は早々に投げ出している。

 ランク発表のあとは数学や現代文などのいつもの時間割に移行したのだが、蛇口や巡はもう何が何だかわからない。

 蛇口は特にひどい。何せジカルドの半生を振り返っても、勉学に結びつくものが読み書きと金の勘定だけなのだから。

 記憶や常識を叩き込まれたとはいえ、この体の学力は平均をはるか上に望んでいる。


「あとで教えるから、ノートを取ってください。進めます」


 ペースを乱されるのを嫌う社会科教師は、蛇口の四回目の挙手でそう言った。

 黒辻はそれなりに勉強ができたので、休み時間に教えを乞い、ようやく昼休憩になる。その頃になるとようやく巡も復活していた。


「ようやく飯だ」


 火素は底の深い弁当箱にこれでもかと白米を押し込み、その上にめざしを三匹とたくあんが三きれの豪快な弁当だ。


「ようやくって、ほとんど寝ていたじゃないか」


 対照的に、黒辻はカラフルである。どうやら妹が作ってくれているらしい。

 それを眺めている異世界生まれの二人に火素はむしろ珍しそうにきいた。


「弁当、忘れたのか?」


 ありえないといわんばかりである。


「昼食は自分で用意するんだったな。失念していた。俺が通っていたのは学校とも呼べない粗末な学舎で、行けばひとちぎりのパンを貰えた」

「今時そんな学校あるのか?」

「ガキの頃はな。多分どこもそんなもんだったよ。軍隊でも飯は出たし」


 二十代の頃はウェストリードの軍人として活動していた。しかし所属部隊が壊滅したため責任を問われ辞職し、傭兵になった。

 そんな経緯は誰も知らないし、語りもしない。きいた私が馬鹿だったと火素はひたすらに弁当をかきこむ。


「酒もほら話も控えた方がいいと思うぞ」


 黒辻は心底呆れたようである。「そんなことを四六時中考えているから、勉学が身につかないんだ」


「赤毛、言われているぜ」

「うるせえ、それと、この自前の頭にケチつけるな」

「私はいいと思うぞ」


 巡は特に感情も込めない。その視線は弁当に注がれている。


「美琴も似たような色だな」


 火素は赤茶、巡は深い赤である。蛇口にはそれほどの違いがあるようには見えないが、黒辻にすれば、前者には野の輝きが、後者には神性があるように思われる。そのあたりの色彩感覚は鋭い。


「巡、こいつはずっとこんな調子だったのか?」

「え? ん、まあ、そうだな」

(どうするんだ)


 巡はじろりと元凶を睨んだ。火素がその小さな口に飯を近づけると、無意識でそれを食った。

 任せておけと、豊かな胸を反らせ、足を組む。この女は自分なりに楽しめることがあれば飯もいらない。


「過去をほじくるのは嫌いじゃない。俺の生まれは凄まじい田舎の村でな。食うものといえば、木の皮や根っこ、虫に草、たまのご馳走は、盗んだ芋だった」

「廃墟で生まれたのかよ」

「また与太か」

(こいつの出自、か。どこだ)


 三様ではなく、二様の感想である。ただその語り口がやたらと壮大だったので、食事の合間に聞くには申し分ない娯楽になった。


「自分の食い扶持は自分で稼がなきゃならなかった。誰も面倒をみてはくれなかったからな」

「親は何を」


 黒辻が当然の疑問を投げかける間に火素は弁当箱をほとんど空にした。「残りもんだが」


「遠慮はしない」


 二回も箸をつければ空っぽのそれに、巡ががっつく。たくあんが一切れ残っていた。


「二人揃って傭兵だ。愛はあったが、村の習わしでな、六つになったら一人前だった。貧乏な村だから助け合うにもたかが知れてる」

「それで?」


 巡は箸を置いた。黒辻も、藍色の包みに弁当を収めた。


「そこからは、多分お前らと同じだ。明けても暮れても自分を鍛えることだけしか考えなかったよ。このくらいの歳には、もういっぱしの戦士だった」

「このくらい?」

(もう突っこむも面倒だろう、黒辻。私は疲れたぞ)

「これほど育ってはいなかったけどな。もっと平たかったさ」


 自分の胸を下から親指で押し上げた。


(当たり前だろう。男の胸板と女の乳房だぞ)

「お前と喋ってると頭が痛くなるぜ」

「初めてそんなことを、いや、訊問のときは、よく言われたかな」

「からかってんのか?」

「どうだろうな。でも、俺たちは一個の集団としてあれやこれやをするんだろう。ある程度は仲を深めておかないと、いざってときにやらかすぞ」


 これで深めているつもりなのか。火素はたくさんだと手を振った。


「やらかすとは、裏切りか」


 蛇口の微細な表情の変化に、黒辻は少しだけ興味を持った。口元は緩みきっているが、その目は遠くを、過去のいくつかの事例を想起している様なものだったから。

 蛇口は頷く。


「驚いたよ、友達だと思っていた奴が、俺の土手っ腹にナイフを突き立てたんだ。なんでだろうなあ、刺された後も、俺はそいつとの友情を疑わなかったよ。でも、やっぱりあそこは戦場で、あいつは敵になっちまって、俺がそいつにしてやれることは一つしかなかったんだ」

「脚本家になれるよ、お前」

「茶化すわけじゃないが、火素に同意だな」


 蛇口はそんな二人に軽く笑っただけである。「別に信じて欲しいわけじゃない。ただ、やらかさないようにしたいんだ」


「舐めるなよ、私が仲間見捨てて逃げる様な女に見えるかってんだ」


 火素は蛇口の胸ぐらでも掴みそうな勢いである。


「違うよ。俺が、さ」

「好都合だ。お前が逃げたら私が殺してやる」

「物騒はやめろ、火素。それと、いざというとき、おふざけはなしだぞ、蛇口」

「俺がふざけていられる内は、余裕があるってことだよ」

(掴めない女だな)


 予鈴が鳴った。黒辻は釈然としないまま、しかし、不思議とこの連中のリーダーであることに嫌悪感はなかった。ひどいランクであることも、それほど気にならなくなっている。


(もしかして、私の気を晴らそうと?)


 これはおそらく黒辻の考えすぎだが、午後の授業は気が乗ったし、蛇口の幼い質問にも根気よく付き合った。

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