初めての友達
暴虐の一端
「これが学舎か」
私立坂々学園、大げさなほど広い敷地の中にこれまた大きな校舎を有する小中高、さらには大学まで一貫して存在する。その正門に二人はいた。真新しい制服の二人組、敵地へと乗り込むような緊張感があった。
「この世界にも傭兵はいるのか」
「ああ。お前のしてきたこととなんら変わりわない。企業や個人に関わらず、依頼を受け目的を果たす。世の裏側にだけ潜み」
蛇口が眉を下げながら、ほうと吐息を漏らす。そして自分の世界に少し浸り、
「鉄火場を生きるわけか」
と、溌剌としたエネルギーを感じながらも、そこにまつわる暗い影を浮かべた。
「そう。腕自慢どもを養成する学校だ」
門をまたぐと、蛇口の全身がじんと痺れた。いる、ここには強者がいると、錯覚ではなく確信を持った。眼に映る誰もかれもが一定以上の、何かに秀でた実力者なのだと、立ち込める気配に目眩がした。
「どうした?」
フォルトナの心配に、なんでもないと平気を装う。
(必敗、か。冗談ではなさそうだ)
「おい」
玄関の掲示板に貼られた入学式の座席表をフォルトナが顎でさした。
「もう座って待つか? 式までは少し時間がある、見学という手もあるが」
あと二十分ほどで式は始まるが蛇口は「見て回ろう」と校舎に入った。
「これがコンクリートか。石やレンガとはまるで違うな」
蛇口はペタペタと柱や壁に触れつつ、校舎の頑強さに惚れ惚れとしている。
「塗りも鮮やかだな」
フォルトナは廊下の床の淡い緑色を眺め、ため息をついた。「あの部屋も畳もこれに塗ろうか」
「やめておけ。塗装屋に払う金もバカにならんだろう」
むくれるフォルトナ、陽光差し込む窓辺から全体を見渡す。
「さすがに武闘派が揃う学園だな」
中庭に大きなクレーターが、廃墟のようなとある一棟が、道場看板で行われる焚き火の煙が、フォルトナに頬杖をつかせる。
入学式だというのにどこかから悲鳴や怒声が聞こえるこの学園、蛇口が感じた気配を彼女も体感したのだ。
「フォルトナ、そろそろだ」
(こいつ時間にうるさいな)
運命を司る神だからこそというべきか、それほど時間には細かくないらしい。
前後に並んで席に着き、祝辞が述べられ、つつがなく式は進行していく。
「退屈だな」
フォルトナは日に日にあけすけになっていく。最初に感じた神聖さはまるでない。
「学園長挨拶。学園長、お願いいたします」
筋骨隆々の大男が壇上に上った。紋付袴が似合う六十男が、マイクに野太い声を響かせる。
「入学おめでとう。私は篠塚健太郎と申します」
形式的な言葉はこの学園の異常さを薄れさせる。蛇口の理解の内に収まる儀礼的なものだ。
「終わりになりますが、これだけはお伝えします。死なないように、頑張ってください」
以上ですと壇上を後にした。
(死ぬこともあるのか)
フォルトナも蛇口も、それ以上考えることはしなかった。二人にとって死とは身近なものだったし、「ならば今までと同じだな」と、蛇口などは足を組んで気を楽にした。
式は終わった。終わるとすぐにどこかで喧嘩が起きていて、見物人も巻き込まれるというハプニングはあったものの、一年間を過ごす教室までやって来た。
「俺は一年の六組だが、お前はどこだ」
「同じだ。別れるなど、そんなヘマを神はしない」
しかし張り出された名簿にフォルトナの名前はない。不思議がる蛇口の横を通り、どさっと自分の席に着いた。
「巡美琴だ。これからは美琴と呼べ」
蛇口はその隣の席である。なるほどヘマはここでもしていない。ちょうどよく並んでいた。
椅子を引き、腰を下ろして足を組む蛇口。やたらと態度が大きいのは彼女の自然体で、それほど注目もされないが、やはり突っかかってくる者はいる。
「あんた、入学式でもそうやってたな」
「あ?」
蛇口が視線だけで声の主を探った。
「その足、もっと私を見てくださいってか?」
口汚く蛇口を罵ったのは、細身の少女だった。快活そうな印象はスカートの下のスパッツか、それともすっきりと通った鼻筋か、両足の発達している筋肉か。
彼女は蛇口の組まれた足を蹴った。はずみで椅子から落ち、フォルトナ、いや巡美琴へと倒れかかった。
ちょうど手をついた場所が胸だったので、
「こ、の、変態が!」
巡の平手が頬を打ち、
「見境なしかよ、好き者め」
と、少女は散々にこき下ろした。赤茶色の、地毛だろうか、真っ赤な髪色にそぐわぬ過激さだ。
(これは、俺の負けか。いいや、断じて違う。まァだ終わっちゃァいねえ)
蛇口は静まり返った教室で、一言も発せず、ただ椅子に座り直した。足は組まなかった。
「おまけに腰抜けだ」
少女は背を向け、自分の席へと着こうとする。
(最初が肝心。先手は取られたが、まだ間に合うかな)
ゆっくりと立ち上がった。気配もなく、巡はその姿に興奮の度合いを一気に下げた。
「お、おい」
運命の神は知らない。蛇口の戦う姿を、そしてその臨戦するときの表情を。
蛇口は音もなく、尻の下にしていた椅子を振りかぶった。教室はもう半分ほどの生徒がいたが、全員が息を飲んだ。
無言で振り下ろす。目標は、己をコケにした少女の後頭部だ。
ガチン! と、凄まじい音がする。血が爆ぜ、ぐらりと前のめりに女は倒れた。
倒れたそばから蛇口はめくれたスカートを引き裂き、下着をも剥いだ。獲物の腹に食らいつく野獣のような動作である。
「はっ、てめえのが、よっぽどはしたねえぜ」
下着の色はその頭髪よりもよほど淡い赤色で、それが扇情的に、彼女には見えた。
「やりすぎだろう。ここでは、それは」
巡はかつての世界では、こういった蛮行があることを知っている。だが、ここでは違う。新入生同士のいざこざの範疇を大きく超えていた。
気絶し、太腿からくるぶしまでを大きく露出させられた少女。蛇口は彼女を仰向けにし、上着を器用に破った。慣れた手つきにもみえる。
「ちょっと待て。幾ら何でもやりすぎだ。女だぞ」
「だからだろう」
男であればもう殺している。そう言わんばかりに不遜でいる。
「お前も女だ」
「知っての通り、蛮なる女よ」
制御不能、巡はこれから行われるであろうおよそ学校内ではあってはならない事件に、目を瞑ることにした。同性のよしみでそれだけは控えさせようとも思ったが、先に手を出したのはあっちだったので、
「せめて気絶しているうちに、終わらせろよ」
と、頬杖をついて見学モードでいる。というよりも興味津々だ。
「そんなに早かァねえ。いつだって今が全盛期だ」
(気持ちまで若返ったな、この男。いや、女か)
蛇口は少女の頬を二、三度打った。よし、と自らも下着をややずり下げる。今のところ、下着の中の彼女の彼は膨張しつつもうまく収まっている。
突然のストリップに、教室は異様な熱気に包まれた。男子は身を乗り出し、女子は目を塞ぎつつも、やはり巡と同じような反応だ。
「お。相変わらず元気だぜ」
スカートの中に微細な芯を感じ、いざ彼女の自慢が蠢き出そうかというまさにそのときである。
「何をしているかァ!」
大喝一声。凛とした声が校舎中に駆け巡るような、刃と刃が交わるようなその響に、巡の頬杖は外れ、クラスメイトは一歩仰け反り、
「糞、これからって時に」
蛇口は下着の中で縮こまる八十年来の相棒と、その大声の主に舌打ちをした
「貴様、何をしている」
茶革のベルトに刀を差し、ウエスタンブーツに足を突っ込み、そしてポニーテールを揺らす。ややヒステリックな声は目の前の光景に対しての激しい憤りからであろう。
「あのウエスタンもどき」
「間違いない」
ざわめく教室と集まる野次馬。ヒソヒソとした伝言ゲームは、次第に歓声となっていく。
「『残影』だ!」
「黒辻飾だ!」
この坂々学園に入学しているということは、中学生のうちから暴力で染まる将来を見据えているのだ。彼女もそうした一人である。
黒辻流八段の実力者で、刀を振ればその影が残るうちから次の一撃を放つという、坂々でも話題性のある実力者だ。
「私のクラスでは初日からこのような腐った事件が起こるのか」
暗がりの世界では戦国時代から続く由緒ある家柄である。しかし、その世界のお嬢様でもあるから、この痴態が何事かを知ってはいながらも、直に見るのは初めてだった。
さらに、黒辻家は暴漢から対象を守る、いわばボディガードが生業で、こんな不埒な悪行を見過ごすわけにはその血が許さなかった。
血もあるが、ほとんど誰だってそうだろう、些細なきっかけではあったが背後から椅子で殴り気絶させ、その隙に尊厳を踏みにじってしまおう、とそういう現場なのだから。
「ああ、悪いことしたな。これはあんたの女か」
蛇口はちょっと前生にトリップした。
傭兵時代に襲った小さな村。納屋に隠れていた若い女といると、村の男が血走った目で鍬を担いでやってきた。その時と同じセリフだった。
もっとも、これは事後だったが。
「我が愛剣の、錆となれ」
静かにすり足で歩み寄り、間合いに入れ、黒辻は鯉口を切った。右手をそっと柄に這わせたその時である。
「痛ってえ……」
目を覚ました少女が呻いた。巡は彼女の無事に胸をなでおろし、もっと寝ていろと歯嚙みもする。
「やったな、てめえ」
蛇口へと掴みかかろうとした途端、後頭部が疼き、黒辻にもたれかかった。まるで危機から抜け出したヒーローとヒロインのよう。暴漢が誰かは言うまでもないし、まるで、ではなく実際にその通りではあるが。
「大丈夫か」
「あ? 誰だお前」
助けてもらったことを知らないために敵意むき出しである。黒辻は柔らかく被害者に言う。
「私は黒辻という」
あの黒辻か。まじまじと顔を見つめ、片手で突き飛ばし、腕から逃れた。
「私の喧嘩だ。出張るな、残影」
椅子も机もかき乱し、さらには観衆たちも歓声を上げ始めた。いよいよ収集がつかなくなって、巡がさあどうしようかと悩んでいると、救いの手が差し伸べられる。
「はーい、みなさーん。席についてくださいーい」
この騒動に対しても、平然と教壇に立った女教師、唖然とするギャラリー、そして当事者たちの暴力の矛先が向かっていきそうだ。
「初めまして、私は宝典子って言います。よろしくね、って、どうかしたの?」
何もなければ席についてね、と空気を読まない。もしかすると読んでいないのか、本当にこれを瑣末なことだと思っているのかは不明だが、その呑気さに毒されて、各々が席についた。
廊下にいた何人かは、教室の騒がしさに入ってこれなかったようで、全員が席に着くまで時間がかかった。
「弁償しろ、糞野郎」
ズタズタの制服は黒辻の稽古用の道着を羽織りごまかした。頭には手ぬぐいを包帯代わりに巻いている。これさえも宝にとっては瑣末ごとだった。
「さぁて、ここにいる二十八名の新入生たち! 入学おめでとうございます」
揃ったのを見計らい、宝はうっとりと全員を見渡す。仏頂面がいくつかあったので、緊張をほぐすために、のんびりとした口調を殊更に柔らかくした。
「みんな、リラックスしてね。実は私もここの卒業生なんだ。だから色々勝手も知っているし、なんでも相談にのるからね」
では早速、と宝は黒板に丸っこい文字で自己紹介と書いた。
「やっていきましょう自己紹介! 仲良きことは美しいからね、じゃあ端からスタート!」
緩いながらもそこは坂々の教師で、有無を言わさぬ勢いがある。
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