馴染むって大変

生活するって大変

「俺が学校か。理解はしているが、どうも」


 フォルトナがジカルドの裸体を眺めてしまった翌日、布団もない春先である。車座になって会議が行われていた。


「行くんだよ。その格好で農作業する気か」


 螺鈿の箱に収められていた記憶の中では、確かに自分は学生である。今春から高校生になるのだ。


「次の月曜日には入学式だ」


 例によってフォルトナは懐から書類を取り出す。手続きは終えてあるようだ。名前は空欄になっていて、これもまた神の奇跡で後から補完するらしい。


「それは明後日のことか」


 頷くフォルトナ。


「その制服は私立坂々さかざか学園高等学校のもの。お前の入学先は全国の猛者どもが集まる学校だ」


 それはジカルドの記憶にも新しい(埋め込まれてからわずかな時間ではあるのだが)、要は彼女を負かせるような連中ばかりの学校なのだ。


「ここまで言えばわかるだろう」


 生唾を飲み込み、いよいよ己の運命に直面する。必敗を定められたこの人生に緊張し、居住まいを正した。


「私たちに必要なもの、それは」

「おう」


 覚悟、そして精神力。と、ジカルドは思うのだが、フォルトナは、


「生活雑貨だ」

「は?」


 ジカルドの気の抜けた返事も無理はない。脈絡がなかった。


「昨晩も寝るときにやれ布団がないだの酒がないだの喚いただろう。だから今日はそういう細々としたものを整えるんだ」

「え、いや俺はてっきりもっと気を引き締めろと言うものだと」


 フォルトナはジャージのまま玄関へ、お前も来いと手招きする。


「負けるのに、準備などいるものか」


 ジカルドは頭をかいた。梳かずともなびく黒髪に、少し怯えたように手を引っ込める。腰を浮かせ、下駄を履いた。返事をするのも億劫だった。


「俺は勝つよ」

「やってみろ。結果は知れている」


 近くのドラッグストアだ。歩いての移動中も、物色する最中にも、二人は無言でいるということがなかった。


「なあケツを拭く紙はこれか」

「ああ。それと、石鹸だ」


 フォルトナはがま口から、今度は不足なく支払った。

 計画性というものがない二人なので一度家に荷物を置きに帰り、ゴミ置場の位置や近所の散歩などをしながらリサイクルショップへ。ここでは家具を買うことになっている。


「その財布は無限に金が出るのか」

「まさか。これは私の給金だ」

「神も雇用性なのか」

「信仰心を金に変換させているのだ」

「じゃあなぜおにぎりが買えなかったんだ」

「この財布は神聖道具でな、信仰心を金に変える。出金は私の思いに対して望むだけ」


 あの日の夕食はおにぎりが五つ。彼女が二つでジカルドは三つ、そういう勘定をしていたので、それに即した金額が出てきたのだという。


「追加では出せんのか」

「出せる。でも」


 願わなくば、出ない。きっちりと腹の具合を把握していたためにそれ以上は出なかったらしい。


「じゃあこの机はいるか」


 学習机を撫でるジカルド。学生にはこれがいる、と彼女の記憶にはそうあった。


「げ、高いな。あれでいいだろう」


 指差したのはちゃぶ台である。食事もできるし勉強もできる、一石二鳥だと胸を張った。


「減るもんじゃないだろう」

「運命の神が金遣いを荒くするわけにはいかん」

「どんな理屈だ」


 とはいえ財布を握っているのはフォルトナである。それに従うことにした。

 しかし運命の神とはいえ、別世界の存在であることは間違いなく、


「あの部屋にベッドが二つもはいれば、それだけで終わってしまう」


 と、少し世間離れしている。たとえ布団の存在を知ってはいても、それを意識の外に追いやり彼女の常識的に使い慣れたベッドを用いようとした。


「俺はずっと布団で寝ていたぞ。記憶の中ではな。あっちにいた頃は藁の上だったが」

「これだから戦いを生業にするものは蛮なのだ。あんなもので寝たら体が痛くなる」


 寝具の値段は天と地の差である。リサイクルショップであるがゆえに品質はまちまちで、布団は破れかけたものが数組、ベッドはやたら高価な天蓋付きだ。


「このベッドにしようか。それがいい」


 望めば金の出る財布が逆さに振られるまさにその時、ジカルドはフォルトナの手を掴んだ。


「心を強く持て、運命の神よ。その行いは己の欲求に負けたという証明だ。神ならば、清貧を心がけるべきだ」


 安っぽいテーマソングが流れ、雑多な物で溢れる店内で寸劇が行われた。店員たちの目は好機と、こいつらには近寄りたくないという緊張感があった。


「この手を離せ、ジカルド」


 そしてがま口の蓋を閉じ、潤んだ瞳で頭を下げた。


「私が愚かだった。欲にまみれるなど断じてあってはならん。よくぞ止めてくれた」

「なに、共に新世界を生きるもの同士、助け合わんでどうする」


 固く握手をし、浴びせられる冷ややかな視線をものともせず、ジャージの女二人はまた店内を散策した。


「快適だな」

「ああ、快適だ」


 部屋が狭いため家具は少ない。ちゃぶ台一つあるだけでより一層狭く感じる。

 結局布団と枕のセットを二組買うにことに落ち着いて、必須な家具家電以外は贅沢だと戒めたのだ。


「布団は押入れにしまう、らしい」


 ジカルドが実行しようとすると、その手を阻む運命の神。


「出しっぱなしの方が効率的じゃないか? だって毎日使うんだぞ」


 それにソファの代わりにもなる、と言ってのけた。彼女の生活がどういうものか窺いしれるが、ジカルドはそれもそうだと敷き直した。


「ところで」


 フォルトナはゴミ捨て場で拾ってきた小さな冷蔵庫からビールの缶を取り出した。

 小気味いい音で蓋が開き、一口二口と喉を潤す。


「上戸か」

「まあな。ほれ」


 一本だけしかないので回し飲みである。故郷のどのビールにも負けないくらい美味かったのは、疲労のせいだと思うことにした。

 二人は自分たちの姿、女学生じみた風貌をきにする様子もない。未成年飲酒を控えよの法は知っていても、かたや八十の老人、かたや神、それを自覚しているために、やはりこの世界には馴染んでいない。

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