プロローグ3 蛮なる女、ジカルドちゃん


 チカチカと安っぽい蛍光灯が六畳一間の和室を照らす。

 のそりと起き上がるルカ・ジカルドは先ほどの裁判を思い出し、喉で笑った。ここがどこだとか、己に起きた不思議な現象を全く気にした様子はない。


(奴の顔。傑作だったな)


 微笑みはやがて本格的なものになり、声をあげた。あぐらになり膝まで叩いた。


「起き抜けに笑い出すとはさすがだな、ジカルド」


 フォルトナはローブのまま正座し、自分まで穴に落ちたことに不機嫌でいる。


「ああ、お前か」

「お前か、じゃない。どうしてお前はそう呑気でいられるのだ」


 ここはお前の知る世界ではないのだぞ。と部屋の全景を両手を広げた格好でジカルドに示した。

 破れた襖、小さなキッチン、カーテンからのぞく窓ガラスはテープで補強してある。


「ここがお前の、新たな世界だ。見るからにボロで安っぽいこの部屋が、お前の住処なんだぞ。そもそも転生したことにもっと危機感というか、悲壮感を持つのが筋だろう」


 なんの筋なのかはわからないが、フォルトナのいうこともわからなくはない。

 ジカルドは泰然としすぎていた。きょろきょろと周囲を見渡し、トイレやキッチン、部屋全体を検分し、フォルトナの前に座りなおした。


「雨風がしのげればいいだろう」

「馬鹿! そういうことじゃない! それに、これを見ろ!」


 フォルトナはドタドタと風呂場へ向かい、なにやら探し物をし、肩をいからせて戻って来た。目当てのものがなかったらしく、懐を探る。


「どうしてこれくらいのものもないんだ、お、あった。どうだこれを見ろ!」


 どこにでもありそうな手鏡である。


「これがなんだ」

「いい加減にしろよルカ・ジカルド。よく見ろ、これがお前の姿だ」

「俺の?」


 鏡に映る己の顔。しかし彼の視線にはどこか空中を漂うような曖昧さがある。


「か、髪を染めた覚えはないが」


 白髪が、真っ黒に変わっている。触るとさらりと梳ける。髭は剃り跡もなく、産毛すらなかった。


「全体を確認しろ」


 どっと汗が噴き出す。


「ん、視力が上がっているな」

「そうだろう。お前の人生で最高の値となっているのだから」


 今が全盛、とは言っても、老いには勝てない。六十を過ぎてあたりから身体能力よりも経験で強さを補っていた部分もある。それが全て最高の状態となっているとフォルトナは言う。


「って違う。その目、鼻、口、いっぺんに観察するんだ」


 後退していた髪の生え際、白髪混じりの眉、それらは若さの息吹になびいている。

 視線を落とせば、喉仏はすっかり消え失せ、わずかに鎖骨が浮き、見慣れぬ衣装をまとっている。袖を辿り、手のひらは柔らかく、きちんと手入れされた爪も健康的だ。


「いやいや、幻術はあまり好きではないぞ」


 わざわざ幻覚魔法でセーラー服を写したりするもんか。軽口も高らかに、フォルトナはジカルドの焦りを初めて見た。


「腿は発達しているが、すね毛はないなぁ。それにソックスを履くとは。八十年の生でも経験し得なかっただろう?」


 含みのある言葉にジカルドは後ずさりをした。自覚するのが怖かった。はっきりと恐怖した。

 襖に背がぶつかると、感じたことのない重量感、ちょうど早鐘を打つ心臓の真上からだ。


「はっ、神も罪なことをする。目測だが私よりもあるじゃないか」


 ジカルドは吐き気を催し、トイレへと駆け込んだ。盛大にぶちまけようにも、胃液しか出てこない。


「風呂場に行ってみろ。これよりもくまなく全身を収めることができるぞ。その大きく眩い瞳でな」


 畳の上で手鏡を軽く振ったフォルトナはそう喚起した。近寄れば、殴られそうな気がした。

 もはや考えることもままならず、よたよたとそれに従い、ついに見た。


「これは、誰だ」


 鏡に映るはルカ・ジカルド。そのはずであった。


「おお、ジカルド。それ以外に誰がいる」


 ただ。とフォルトナは付け加える。


「齢十六の、可憐な女だろう、お前は?」


 膝から崩れ落ちたジカルド。彼、いいや、彼女は、新たな人生を与えられ、その前途多難さに昏倒した。


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