プロローグ 転生


「起きろ」


 男は腹を足蹴にされ、ゆっくりと目覚めた。


「ルカ・ジカルドで間違いないな」


 白いローブの女がそこにいる。手を差し伸ばすこともなく、蛮なる男こと、ジカルドの名を確かめた。


「そうだが、ここは」


 着の身着のまま、ではなく、少女と同じようなローブを身につけていた。

 腰を上げ、立ち上がる。床を踏む感触はあるが、己は死んだのだと確信していた。ここが森ではなく、人工的な、いや、神が造り上げた神秘的な空間だったから。

 だだっ広く、しかし細やかな草木の意匠が床のタイルから壁から、天井にまで這っていて、ローブの女のはるか背後にある一つの扉がやけに重々しい。


(まるで成金趣味だな)


 建築家や神学家が見れば泣いて喜ぶこの壮麗な部屋も、彼にとってはその程度でしかなかった。

 女は腕組みをし、無感情に言う。


「これから貴様には死後の裁判を受けてもらう。とは言っても、堅苦しいものではない。今後の行き先を決めるだけの簡単なものだ」


「ここはどこだ」


 噛み合わなかったが、動揺しているのだろうと少女は我慢して続けた。


「裁判での発言は許可するが、過剰な申し出は控えろ」

「ここはどこだ」


 視線は交わっている。言葉も通じている。だが、質疑応答にはならなかった。


「暴れるなよ、まあ暴れたところで、貴様には何もできんが」

「ここはどこだ」


 沈黙、男女は見つめあったまま、少し機嫌を損ね合わせた。

 ついてこいと少女は背を向けドアまで歩いて振り返り、


「ここは神の宮殿の一室。粗暴を禁ずる」


 と、一応ジカルドの問いには答えた。


「来い、蛮なる男、ジカルド」


 そんなに俺は野蛮か。ジカルドは顎を撫で、不思議そうにもう一度撫でた。


(髭がない)


 勝手に剃ったな。とローブの女の背に恨みのこもった視線をぶつけた。

 長い廊下を進んだ先に、両開きの扉がある。木目があり、しかし触れてみると自分の知る木の感触ではなかった。明らかに硬度が異なり、金属のような質感である。


「私が開ける。お前は指示通りに動け」


 彼女の容姿も声質も明らかに幼く、命令口調がどこか無理をしているように聞こえる。ジカルドは子どものすることだと、寛容だった。


「俺の何を裁くんだ。もう死んだはずだろう」


 女は扉を開ける。円形の会場はどこか闘技場をおもわせる傍聴人の罵声が喧しく、それにあてられたジカルドは疑問も忘れ、とっさに大股で飛び込んだ。


「ま、待て! 指示するから!」


 中心の被告席まで移動して、立ち止まった。罵詈雑言を身体中で受け止めると懐かしさに心が震えた。


(この居心地の悪さたるや。しかし嫌いじゃない)


 ルカ・ジカルドは、戦争の嫌われ者である。金を積まれればそちら側に味方し、それ次第で敵にもなった。明日にはアレが敵になるのだと、ほとんどあらゆる戦士から憎まれていた。

 実力がなければ日和見だと嘲笑されただろうが、彼は違う。金を積めば勝てると噂され、実際に結果を出した。

 裁判という割には傍聴人ばかりで、訴える側がいない。女がジカルドの隣に立ち、判事が小槌を振る。静まり返った観衆に頷き、裁判が始まった。

 判事は筋肉質な男で、到底学問ができるようには見えない。女とは対照的な黒いローブだ。


「細かいことは言いっこなし。お前の進む先を決めるだけの、簡単な裁判、という名のおしゃべりだ」


 その声にも、内容にも、知性は感じられない。どことなく理性を失っているようだった。


「死んだらどうなるかなんて俺にはわからん。だからなんでもいい」


 怖くはあったが、実際に死んでみるとどうということもない。目を閉じて、開けたらこの場にいたのだから。誰も死んだら神の宮殿に連れて行かれるなどと教えてはくれなかったし、これが日常的ならば、死んだ友人たちもここに来たのだろうか。


「俺は気になったんだ。お前、死ぬ間際にこう言ったそうじゃないか」


 負けを知りたい。判事は大仰にそう叫んだ。


「なんでこんなことを?」

「ただの冗談だよ」


 それ以外の何ものでもなく、ジカルドとしても考えがあったわけではない。常勝している者の、ほんの冗談である。が、それを理解していない判事でもない。


「だろうな。だが、俺はこう考えた。是非させてやろうじゃないかと」


 短絡的、しかし思いつきを実行できるところをみるに、彼もまた神なのだ。

 悪意しかない残酷な笑み。ジカルドはやおら肩を回した。戦闘の匂いを嗅ぎ取ったのだ。


「ジカルド、動くな」


 少女の言葉がジカルドの動きを封じた。声も出せず、ぐるりと瞳だけで睨んだ。


「ご苦労、フォルトナ。聞け、ルカ・ジカルド。何もお前にただ敗北を与えようというのではない。新たな世界で、新たな命で、それをさせてやる」


 傍聴席から拍手の嵐。小槌で黙らせ、判事は演舞のように腕を広げた。


「勝ちも勝ったり八十年。その全てを備えたまま転生させ、そこで負けさせてやる。あらゆる手段を使っても、お前は勝てない。生涯不勝だ。念願叶うぞ、なってみろ、いいや、ならせてやる」


 にんがりと顔を歪ませ、無表情でいるジカルドへ、さらに言葉を投げかけた。


「そうだな、どうせならば、年端もいかぬ少年少女たちに混ぜようか。老衰した不敗の者が子どもにいいようにされるなど、私としてもその様を見てみたい」


 バチン! ジカルドから発せられる衝撃。ローブの少女、運命の神フォルトナの不可視の拘束を破った音だ。

 人知を超えた神の御技を破った男に、観衆は唾を飲んだ。驚愕に静まる中、判事だけが不遜な笑みを崩さない。


「暴れるか?」

「ここで暴れたら、俺はそのまま死ねるのか」


 ジカルドは微動だにせず、声も落ち着いていた。その静けさが、むしろ彼の実力を示している。これくらいならどうにでもなるという現状を見くびるような自信のあらわれだった。


「無駄だ」


 判事は笑う。人を、神をも不快にさせる間延びした笑声だ。フォルトナは床を見るふりをして、彼を視界から外した。


「やるしかないのか」

「無論だ」


 それだけの問答でジカルドは腹を決めた。指の節を鳴らし、それがいつもの感触ではないことに気がつかないほどに猛っていた。


「上等だ。どうせ俺が嫌だ嫌だと駄々を捏ねる様を、みっともなく反論する姿を見たかったのだろう。あんたの愉快を最優先にして、おもちゃにしようって魂胆だろう。ここにいる観衆もよたよたと困惑する老人を見たかったのだろう。しかし、そうはいかん」


 ジカルドは皺のない頬を赤く染めた。老人とは思えない、屍人にはありえない、会心の笑みである。

 現に、彼の白髪は漆黒に、節くれた指は滑らかな肌に、皺だらけの、苦みばしった顔は生気に満ちたものへと変質している。


「いいぞ。やってくれ。お望みどおりに負けさせてくれ」


 判事は初めて表情を消し、舌打ちをした。


「そうだ。その顔だ。俺を使って遊ぼうなんて、神様だって許さねえ。よう、気分はどうだ。言えよ、腹がたつって。それとも、最高だって格好つけてみるか、俺はそっちの方が好みぜ」


 叩きつけられた小槌の先端が、ジカルドにまで飛んだ。掴み、握力で粉々にすると、フォルトナは驚きからか思わず口元に手を持っていった。


「し、神聖道具は人間には壊せんはずだが」


 ジカルドの手から破片が溢れ、どうだと言わんばかりにフォルトナに微笑みかけた。彼本来の懐っこさは、この状況には似合わない。


「ああ。天使と戦うときに獣王から加護をいただいたし、神殺しの法も知っている」


 ギラつく双眸に、ようやく判事は苛立ちをさらけ出した。


「貴様、れるな」

「うるせえな、早くしろ。新しい世界だろ? 屍の胸もそりゃあ弾むわ。その気になればお前らすらも皆殺しにできる俺だ。どこにでも連れて行け、結果はまた心地のいい老衰だ。そうしたらまた、この裁判をやってくれ」


 黒髪は長く腰まで伸び、張りのある筋肉がやや隆起した。しなやかな肢体、その足で床を踏み鳴らした。

 股座がいきり勃ちそうになり、そして激しい鼓動が内側から胸を殴りつけている。


「愚物が。その驕り、人の手によって消え失せると思え」


 判事が指を鳴らすと、ジカルドの足元に魔法陣が展開され、彼の全身の輪郭を紙が燃えるようにほろほろと淡く消していく。その時も、ジカルドは微笑でいた。

 やがて肩を怒らせていた判事も、静かになった被告席を見てようやく溜飲を下げ、そしてふと気がつく。


「ん、フォルトナがいないな」


 彼は気がついていない。ジカルドを新たな世界へ転生させようとするあまり、彼一人分よりもずっと大きな魔法陣を展開させていたことに。


「まあいいか。これにて裁判は終了。お疲れ、解散」


 傍聴人はジカルドよりも判事を恐れ、そしてフォルトナの行く末を案じた。

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