Look at! 異世界無敗物語
しえり
エピローグ
プロローグ 始まりは老衰から
ウェストリード共和国は十年にもおよぶ世界戦争の末、かろうじて戦勝国となった。
被害のない国土はほとんどなく、戦火はあちこちに飛んでいる。これは戦の常でもあるが、その常識から外れた場所がある。
終焉の森だ。ウェストリードの西端から魔界にまで続くとまで伝えられる果てしなく大きな緑の異界、その最奥、死期を悟った猫のように、静かに、しかし足取りは確かに、男が歩いている。
道なき道にも、彼にはそれが見えているようで、速度を落とさず、小さな祠の前にたどり着いた。大きな樹木に蔦が絡まり、そこからまた大樹がそびえるという植物戦争の真っ只中にいて、この小さな石造りの祠はその周囲に一切の木々を寄せ付けず、豊かな土に鎮座していた。
神性疑うところなし。彼は腰を下ろし、仰向けに寝そべった。突風、何重にも空を覆う枝葉から、陽の光が一条だけ差し込んだ。
白髪がなびいて、きらりと瞬いた。
「これが運命の神フォルトナを祀る祠か」
死ぬのならばここだ。
その一念でここまできた。もっとも、彼にとってはそれほどの苦痛もなかった。
「フォルトナ様よ。俺ほど悔いなく死ぬ奴も、少ないだろうな」
信心深さなど一切持ち合わせていない彼であるが、今際の際になって半生を振り返ると、ただ一柱に感謝するくらいの淡いそれが、柔らかく生まれた。
半開きの瞼を明るく焼く、鮮やかというには毒々しいほどに濃緑の植物が溢れ、深緑のみが発するあおい匂いが肺を焦がす。
鬱蒼、陰々と生命は輝き、この止まる寸前の拍動を慰めるように風にそよいだ。
(慰める必要はないのだ。俺は満足している)
傑物、俊英、四足、六足、百足、人外、外道、天使に悪魔、神や龍。ぶっ殺してきた連中には申し訳ないが、お前らのおかげで、本当にいい人生だった。
男はぐっと口角を上げた。
「草の布団で眠れるとはなぁ。ただの喧嘩好きが偉くなったもんだ」
心残りはない。幼いうちから戦いに明け暮れ、老衰すると豪語し、実際にその通りになった。
今生、できることは全てをやり尽くした。じゃあ、死んだ後で、俺はどうなる。
「それだけが、笑っちまうが、ちっとばかし、怖えな」
そういえば死後の研究をしている黒魔術師の組織も潰したな。あいつらもこんな気持ちだったのか知らん。
(生涯無敗のこの俺も、老いには勝てねえんだ。だけど、それが嬉しい)
視界は暗転、知らずのうちに、瞼が閉じた。呼吸もなんとなく疎かで、霞のかかる頭の中に、浮かぶは八十年分の戦史。
騎士にも、盗賊にも、魔術師にも、武闘家にも、俺は俺として戦った。
勝ちに勝ちを重ねて、敗北というものを味わったことがない。唯一知らないことがあるとすれば、それくらいだろう。
「負けるってなどんな感じか知りたかったぜ。なんてな」
死の寸前、男は低く笑った。
大往生の瞬間、にわかに祠から眩い輝きが放たれた。
暖かみをもった光が男の全身を激しく打ち、老衰によるそのときを待つだけの男を包んだ。
血液が全身をあと数巡もすれば生を終える。そんな彼に、瞼を開けさせることができるくらいに、何か神々しい力があった。
「蛮なる男よ」
女の声だ。だが死にかけの男だ、その呼びかけに答えられるはずもない。視線だけが緩慢にのその姿を捉えている。
白いローブで肩から爪先までを隠した少女。同色の髪飾りは、百合の花だ。
真っ白で、それだけに真っ赤な髪と瞳が不気味に映える。
「殺戮と破壊だけに尽くしてきた蛮なる男。我ら神々に祈りを捧げることもなく、また我らに恨みを告げることなく、ただ己の無力を嘆き、ただ己の力を信じた男」
少女は凛とした、まだ幼さすら残る声音だ。その面影は男の記憶のどこにもなく、走馬灯や幻覚ではない。だが、神だと信じるだけの根拠もなかった。
目を閉じ、今際の際の際まで、彼は祈りを捧げず、しかし今生の感謝だけは忘れずに、逝った。
「私は問う。貴様は、貴様の人生で何を成し遂げたかったのだ」
少女が男に手をかざした。すでに事切れている肉体から、ぼんやりと淡い靄が抜き出て、
「答えるまでは、貴様の魂、このフォルトナが預かるぞ」
少女はその靄を握りしめ、消えた。
森はこの程度の奇跡などには揺らがない。元のまま、生い茂る濃緑があるだけである。
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