第6話 一騎当千


(魔族と人族の間に不和を生むことが目的なら、親善大使である私を殺すのが一番手っ取り早いわ)


 ジリアンが一人納得した頃、甲板に魔法騎士たちが集まってきた。


「右舷警戒! 大した魔法じゃない! 風魔法と水魔法で防壁を!」


 指揮をとるのは、王立魔法騎士団から派遣されてきたヴィンセント・パーセル。彼がジリアンの護衛騎士団の隊長だ。


(彼はマルコム王子の指示で私を見張るために来たはずだけど……)


 今の彼の表情を見れば、この襲撃について知らされていなかったことが分かる。


(敵も一枚岩ではないわけね)


「非戦闘員は船室へ! ジリアン様も船室へお入り下さい!」


 言われて、ジリアンは首を横に振った。


「敵の狙いは私でしょう。私も戦います」

「馬鹿を言わないで下さい! あなたをお守りするのが、我らの役目です」

「いいえ。私はマクリーンの後継者ですよ。騎士に守られるのは性分に合いません」


 ──ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 ジリアンとパーセル隊長が睨み合う間にも、敵の遠距離魔法による攻撃が続く。それらを騎士たちが風魔法や水魔法で生み出した防壁で防いでいる。遠距離攻撃では突破できないと悟った敵が仕掛けてくるのも時間の問題だ。


「しかし……」

「問答は無用。この船の最高責任者は私です」


 あまり好きな方法ではないが、ジリアンは権力でもってパーセル隊長を黙らせる。そして、おもむろに手すりに乗り上げると、潮風でドレスが舞い上がった。


「剣を……!」


 パーセル隊長が唸った。ジリアンの腿に固定したベルトには、剣がくくりつけられていたからだ。


「襲撃を予想していたのですか?」

「まさか。……これは、淑女レディのたしなみですよ」


 ジリアンはニコリと笑ってから魔力を練り上げた。


 ──シュル。


 衣擦れの音とともに空色のモスリンのドレスが、その形を変える。ドレスシャツに丈の短いスカート、足元は膝まで覆う革のロングブーツに包まれた。


「新しい魔法か……!」


 パーセル隊長が再び唸り、すっかり戦いの支度を整えたジリアンに一つため息を吐く。


「では、お任せします。その方が、被害が少なくて済みそうだ」

「任せて。……ブレンダは船室へ。の保護を優先して」

「承知しました!」


 ブレンダや他の使用人たちが船室へ向かうのを見届けてから、ジリアンは改めて敵がいる方角を見た。水平線の向こうで、黒い群れが動くのが見える。


「あれは?」

「リントブルムです!」


 マストの上の見張り番が叫んだ。

 もう一度目をこらすと、ジリアンの目にも空を飛ぶ巨大な蛇の姿が見えた。その背にはコウモリの羽によく似た翼が生えている。


「10、20はいます!」

「数が多い……!」


 リントブルムは、その口から魔法の砲弾を撃ちながら徐々に船の方に近づいてくる。


「背中にヒト型の魔族! ……大きい! 巨人族だ!」


 それを聞いたパーセル隊長が舌打ちした。


「本気でこの船を落とすつもりだ。この船の戦力では、対抗できん!」

「船を戦場にはできませんね。……前に出ます」

「前? ここは海の上ですぞ」


 戦える場所など前にはないと言いたいのだろう、パーセル隊長が眉をしかめた。それに、ジリアンはにやりと笑って答える。


「ないものは、作るまで」


 ジリアンは剣を抜き、そして、ひらりと手すりから飛び降りた。


「ジリアン様!」


 叫ぶパーセル隊長には応えず、ジリアンはくるりと身体を回転させてから船体を蹴った。その勢いを使って、仲間の防護魔法を一気に突き抜ける。そして、海面に着水すると同時にそこに剣を突き立てた。すると、


 ──パキンッ!


 一瞬で、海が凍りついた。

 船の右舷に生み出された半円状の氷の足場ステージが、翼を持たないジリアンたちの戦場となる。


「お嬢様に続け!」


 ノアの号令で、マクリーン騎士団の騎士たちが次々と氷の戦場に降り立った。パーセル隊長も同じようにジリアンに駆け寄る。


「救援要請は?」

「飛ばしました。間に合いますかね」

港湾都市シャンタルヤには、私の友人が来ているはずです。間に合うことを祈りましょう」

「では、時間稼ぎに徹しますか?」

「いいえ」


 ジリアンは剣を構えた。


「これはあちらから仕掛けてきた戦い、手心を加える理由はありません。……徹底的に叩き潰す!」


 一閃。

 ジリアンが振った剣先から、氷の刃が放たれる。


 ──ギャッ!


 リントブルムが一体、海面に落ちた。

 ジリアンに続くように、マクリーン騎士団の騎士たちが次々と魔力を練り、敵を牽制する。左右に展開した騎士はさらに広く防護壁を築き、船への道を閉ざした。


 ──……ズンッ。


 そうこうしている内に、氷の戦場に一人の巨人が降り立った。


「ヒト族の身で霜の巨人ヨトゥン族を一人で倒しちまったお嬢ちゃんってのは、あんたか?」

「そうよ」

「名乗ろう。炎の巨人ムスペル族のカシロだ」

「ジリアン・マクリーン」


 カシロが背負っていた大剣を構えた。同時に、彼の足元の氷がじゅわりと音を立てる。


「……良い魔法だ。俺の身体に触れても解けぬ氷があるとは。長生きはするものだな」


 ジリアンも剣を構えた。


「くくく。面白い……!」


 ──パキンッ!


 巨人の身体が燃え上がり、その足元で氷の欠片が爆ぜた。それが合図だった。





 * * *



「遅かったわね、テオバルト」


 翼竜の背からひらりと飛び降りたテオバルトは、あっけらかんと言い放ったジリアンに苦笑いを浮かべるしかなかった。


「リントブルムと巨人族の襲撃を受けたと聞きましたが……」

「そうよ。大変だったんだから」

「そう、ですか」


 テオバルトが周囲を見回すと、氷漬けになった海面の上には巨大な蛇と巨人族が累々と横たわっていた。


「損害は?」

「こちらはけが人が数名だけ。向こうも死者はなし、けが人多数。海に落ちた巨人族も救助済みよ」


 これには閉口したテオバルトだった。


「無駄足を踏ませてごめんなさい」

「それは、いいのですが……。一騎当千とは、まさにこのことですね」

「大げさよ」

「また強くなりましたか?」

「そう見える? だったら嬉しいわ」


 ジリアンがニコリと笑うのを、魔族の兵たちは驚きとともに見ていた。彼らの頭の中でヒト族の魔法騎士についての認識が改められるのを感じたテオバルトは、やはり苦笑いを浮かべるしかない。


「まずは彼を尋問して、背後関係を吐かせましょう」


 ジリアンが指差したのは、ひときわ大きな体躯の巨人だ。その顔を認めて、テオバルトは一つ頷いた。


炎の巨人ムスペル族ですね」

「ええ。カシロと名乗っていたわ」

「まさか!?」

「知っているの?」

「カシロといえば、炎の巨人ムスペルの族長です。戦争の終結と共に南の山に帰ったと聞いていましたが……」


 ジリアンは顎に手を当てて考え込んだテオバルトの顔を覗き込んだ。テオバルトの頬が、わずかに染まる。


「あなたは変わってないわね」

「そうですか?」

「ええ。……会えて嬉しいわ」


 花が咲くように笑ったジリアン、その隣では彼女の護衛騎士がげんなりといった感情を隠しもせずに2人の様子を見ていた。


「……さて、ジリアン」


 テオバルトはコホンと一つ咳払いをして、話を変えた。このままでは誰にも見せたことのない情けない顔を、自分の部下に見せることになってしまうからだ。


「せっかく来たのです。私の竜で、このまま首都までお連れしますよ」

「乗せてくれるの?」


 ジリアンは嬉しくて飛び上がった。テオバルトが翼竜に乗ってきたのを見てから、自分も乗ってみたいと思っていたのだ。


「ええ。これはワイバーンと呼ばれる種族です。穏やかな気性なので、私達を運ぶのを手伝ってもらっています」


 テオバルトが乗ってきたワイバーンがブルリと鼻先を震わせてから頷いた。言葉が分かるらしい。


「でも、魔族が私達の国に来る時は船を使うわよね?」

「こんなもので乗り付けたら、驚かせてしまうでしょう? 戦後、国外への渡航に翼竜を使用することは禁じられています」

「なるほど」

「さすがに乗員全員は乗れません。お連れできるのは、10名ほどかと」


 ジリアンは一つ頷いて、パーセル隊長を見た。


「どうしましょうか?」

「ジリアン様と、マクリーン侯爵家の使用人の方を優先して下さい。非戦闘員ですから、この後の航海は不安でしょう」

「助かります。では、うちの使用人と、を」

も、ですか?」

「そばを離れてはならぬと、国王陛下の言いつけですから」

「承知しました」


 パーセル隊長が指示を出すと、船から一人の男性が連れてこられた。きちんとした衣服を着てはいるが、手枷をはめられた罪人だ。


「彼は?」


 テオバルトに尋ねられて、ジリアンは苦笑いを浮かべた。


「血縁上の、私の父です」


 紹介された男──モーガン・オニールは、憮然とした表情のまま何も言わなかった。

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