第7話 追放された一族
ジリアンとテオバルトは、馬に二人乗りするような格好でワイバーンの背に跨って大空に飛び立った。手綱は後ろに乗ったテオバルトが握っているので、彼の腕に囲われる格好だ。だが、ジリアンがそれを気にするような様子はなく、それはそれで複雑な心境のテオバルトだった。
「……ところで」
テオバルトは、一つ咳払いをしてからジリアンの耳元に唇を寄せた。ワイバーンの翼が風を切る音にかき消されてしまうので、こうしなければ話ができないからだ。
「なあに、テオバルト?」
ジリアンはくるりと後ろを振り返り、ついさっきまで無邪気に景色を楽しんでいた藍色の瞳でテオバルトを見つめる。
「私の想定よりも、ずいぶん早かったのですが」
「想定?」
「いつかこうなる、とは思っていましたが……」
テオバルトの気配がひりついたので、ジリアンは思わず肩を縮こまらせた。
「私のところにも聞こえてきていますよ。あの男が公衆の面前であなたに婚約破棄を告げた、と」
「いや、これはね……」
「あの男のことだから、いつかまたジリアンよりも国の利益を優先するだろうとは思っていました」
「だから、」
「さて。
「お願い、話を聞いて!」
思わず叫んだジリアンに、テオバルトが渋い表情のまま頷いた。
「これには事情があってね」
「事情、ですか?」
「そう。テオバルトにも協力してもらいたいから。……到着するまでに、話してしまうわね」
ジリアンはため息を吐いた。長い話になるので、本当は到着してからゆっくり話そうと思っていたのだ。
(でも、この状況なら誰かに盗み聞きされる心配もないし。ちょうどいいわね)
周囲を見回すと、それぞれ魔族の兵と二人乗りでワイバーンにまたがるメイドやフットマン達が見えた。何やら話をしている組もあるようだが、その話し声がジリアンたちのもとまで聞こえることはない。もとより、この一行には王立魔法騎士団の騎士は一人も同行していない。
「実はね……」
ジリアンは、できるだけかいつまんで事情を話した。
「なるほど。婚約破棄に、国外追放……。その事情は把握しました」
説明を終えると、ようやくテオバルトが殺気を収めたのでジリアンはほっと息を吐いた。
「それでは、あの人は?」
「オニール氏ね」
ジリアンは一つ頷いてから、チラリと後ろを振り返った。そこには、憮然とした表情のままワイバーンに乗せられているオニール氏がいる。
「私が魔族の血を引いているかもしれない、という話は覚えているわよね?」
「もちろんです」
「どうやら私の母ではなく父方のオニール男爵家に秘密があるようなの」
「ほう。オニール男爵家は古い家系だと言っていましたね」
「ええ。何らかの秘密を抱えているのではないかと、調査をしていたの」
「そういえば、男爵家の屋敷の地下に書庫があったとか……」
男爵家の地下に秘密の書庫がある。それをオニール氏から聞かされたジリアンは早速調査しようとしたが、新しい領主や領民と折り合いがとれず、書庫に入ることができずにいた。
「その書庫に入れたのよ。出港の1週間前だったわ」
ギリギリではあったが、なんとか渡航前にジリアン自身の目で確認することができた。
「何があったのですか?」
「……手紙が一通、それだけだったわ」
地下の書庫は、さして広くなかった。ただし、とても立派な造りだった。人一人が入れるくらいの小さな空間を大理石で厳重に囲い、その大理石には
「他には?」
「何もなかった」
「誰かが持ち出したのですか?」
「ううん。そもそも、あの手紙を保管するためだけに作られた書庫だったんだと思う」
「ほど重要な手紙だったのですね」
「わからないわ」
「わからない?」
首を傾げたテオバルトに、ジリアンは頷いた。
「『ありがとう、友よ』……手紙に書かれていたのは、その一言だけだったの」
「たった、それだけ?」
「ええ。たったそれだけを書いた手紙を、あんな大仰な書庫をつくって保管していたの」
「受取人と差出人の名は書かれていなかったんですか?」
「どちらも書かれていなかったわ。ただ、手紙の末尾に不思議な紋章の印が押されていたの。手紙の差出人の印だと思う」
「……その印は、王国のものではなかったのですね?」
確信を持って告げたテオバルトに、ジリアンは頷いた。
「その通りよ」
「どのような印でしたか?」
「王冠に、十字架のような模様。そして、それを囲うように文字が刻まれていた」
「文字……家名でしょうね」
「ええ。『
それを聞いたテオバルトが、ゴクリと息を飲んだ。
「ヴィネ……」
「そちらの大陸から渡ってきた魔導書で見たことがあるわ。有名な悪魔族の家よね」
「ええ。……数百年前に大罪を犯して、この世を追放された一族です。私も、それ以上のことは知りません」
2人の間に沈黙が落ちる。
どうやらオニール男爵家の秘密には、彼らだけで抱えるには深い闇があるらしい。
「だから、オニール氏も連れてきたのですね」
「ええ。これも何かの縁だと思うわ。この因縁にも、決着を付けるべきだと思って」
「なるほど。……では、到着したら早速皇帝陛下に謁見しましょう」
「皇帝陛下は、ヴィネ家のことをご存知かしら?」
「可能性はあります。皇帝陛下は悪魔族の長でもありますから」
「お願いね」
「任せて下さい。その他のことも、全面的にあなたに協力します」
「助かるわ」
ジリアンがホッと息を吐いたので、テオバルトも同じように肩の力を抜いた。
「旅行気分で、とはいかないでしょうが。あなたが快適に過ごせるよう、私がご案内しますね」
「よろしくね、テオバルト」
* * *
一行が魔族の皇帝の居城に到着したのは、それから約半日後のことだった。ワイバーンに乗ったまま、巨大な宮殿の中庭に降り立った。
「本当に早いのね。すごいわ」
ジリアンが褒めると、ワイバーンがスッと目を細めてから頭を下げた。その鼻先をジリアンの腹に押し付ける。テオバルトがニコリと微笑んだので、ジリアンはワイバーンの頭を撫でてみた。すると、ゴロゴロと猫のように喉を鳴らしたのでジリアンは驚いた。
「まあ」
その可愛らしさに、思わずうっとりと微笑んだジリアンは、夢中になってワイバーンを撫でた。ジリアンはすっかり気を抜いていたので、近づいてくる気配に気づかなかった。
「お気に召したかな?」
声が聞こえた途端、ジリアンの肩に岩が落ちてきたような
(なに……⁉)
重たい空気を振り払うように顔を上げると、そこには禍々しい気配を纏う人が立っていた。金の髪をライオンのたてがみのように揺らしながら、真っ赤な瞳でジリアンを見つめるその人が誰なのか、ジリアンは即座に理解した。
「皇帝陛下」
すかさずテオバルトが深く頭を下げた。ジリアンもそれに倣おうとしたが、皇帝がさっとジリアンの手を取ってそれを遮った。
「君は客人だ。私の臣下ではないのだから、頭を下げる必要はない」
「お心遣い、痛み入ります」
そうはいっても、挨拶をしないわけにはいかない。
ジリアンは握られているのとは反対の手を胸にあてて軽く膝を折った。今はドレスを着ていないので様にはならないが、礼を尽くさねばならない。
「ルズベリー王国を代表してまいりました。ジリアン・マクリーンでございます」
「私はヨアヒム・バラム。この国の皇帝だ」
挨拶を交わす間も、ジリアンの手には汗が滲んでいた。それに気づいたのだろう、皇帝がふっと笑った。同時に禍々しい気配が霧散する。
「この城にルズベリー王国の方をお招きするのは、実は初めてでね。私も緊張していたようだ」
魔大陸はヒト族にとっては危険な場所でもある。土地そのものにヒト族にとっては毒となる瘴気が漂っていたり、理性を持たない魔族も多くいたりするからだ。二国間の外交は、これまでは
「ふむ。君が『月を動かした英雄』か!」
皇帝が急に朗らかに笑うので、ジリアンは思わず目を見張った。そして、
「可愛らしいな! 結婚しよう!」
「は?」
思いがけない言葉に、ジリアンはポカンと口を開くしかできない。
「私の59番目の后にしてやろう!」
「お断りします」
思わず即答したジリアンの隣では、テオバルトが頭を抱えていた。
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