第5話 2人の幸せ
「ふわぁ! お嬢様、見て下さい! 水面が光っていますよ!」
メイドのブレンダが、甲板の柵から身を乗り出してはしゃいでいる。彼女はメイドの中でも一番若く、ジリアンの二つ年下だ。
「ブレンダ、気をつけなさいよ」
「大丈夫です!」
「どこから来るのよ、その自信は……」
オリヴィアが呆れてため息を吐くので、ジリアンも思わず笑った。
今回の渡航では、オリヴィアを含む4名のメイドと2名のフットマンが随行している。長期間の滞在となるためだ。
「でも不思議ね。銀色に光っているみたい」
「あれはトビウオの群れですね」
遠くの水面を指差して、ノアが言った。専属の護衛騎士である彼も、もちろん同行している。彼の他に、マクリーン騎士団からは100名の騎士が選び抜かれた。
「海から飛び上がって、滑空するんです」
「魚が?」
「ええ」
「すごいわ。……世界には、知らないことがたまだまだたくさんあるのね」
ジリアンが呟くと、ノアが笑った。
「これから、もっと多くのことを知ることになりますよ」
「そうね。あちらの大陸のことも、知らないことばかりだもの」
「私も上陸するのは初めてです」
「楽しみね」
「はい」
穏やかな航海だった。天候にも恵まれて、魔大陸の港湾都市・シャンタルヤまで、あと2日ほどで到着する。
「魔力機関の船でも、7日もかかるのね」
ジリアンたちを運んでいる船は、『
「以前は風魔法を使って進んでも倍以上の時間がかかりましたから。それを思えば、ものすごい進歩ですよ」
「それでも、7日間ですよ。それに、この揺れ……なんとかならないんでしょうか」
オリヴィアが顔を青くして言うので、ジリアンは慌てて彼女の身体を支えた。
「申し訳ありません」
「やっぱり、船室で休んでいたら?」
「大丈夫です……」
「オリヴィアさん、お水持ってきますね!」
慌てた様子でブレンダが駆けていった。彼女は揺れなど平気な顔で船の中を動き回っている。
「若いわね」
思わずといった様子で呟いたオリヴィアに、ジリアンは吹き出した。
「オリヴィアだって、まだまだ若いじゃない」
「お嬢様、嫌味ですか?」
「え?」
「私、今年で30になります……」
オリヴィアががっくりと項垂れた。普段の彼女は、決してこんなことは言わない。
(船酔いで、相当まいっているのね)
対応に困ったジリアンがチラッとノアの方を見ると、その視線に気付いた彼が小さくため息を吐く。
「私が船室まで送りましょう」
「そうしてくれる?」
「申し訳ありません……」
ジリアンは、謝罪を繰り返すオリヴィアの肩を優しく撫でた。
「いつもとあべこべね。これも悪くないわ」
楽しそうに言ったジリアンに、オリヴィアも力なく笑ったのだった。
甲板でティータイムを楽しんでいたジリアンのもとにノアが戻ってきたのは、小一時間ほど経った頃だった。
「オリヴィアはどう?」
「薬を飲んで、とりあえず眠りました」
「そう。また後で様子を見てきてね」
「お嬢様……」
額に汗を垂らしたノアに、ジリアンが椅子に座るように促した。手ずから茶を淹れて差し出す。すかさず、ブレンダがスコーンを皿に載せた。
「ねえ、ノア」
「はい」
いつもは堂々としている護衛騎士が肩を縮こまらせるので、ジリアンは思わずニヤリと笑った。
「あまり、待たせるのもよくないと思うんだけど」
ジリアンの隣にいたブレンダは首を傾げ、彼女の隣にいたフットマンは『ぶふっ』と吹き出してから慌てて視線を逸らした。
「……お嬢様がご結婚されるまでは、という約束で」
「なんだ! もう約束もしていたのね!」
嬉しそうに手を打ったジリアンに、ブレンダはようやく事態を飲み込んだらしい。
「ええ! ロイド様とオリヴィアさん、そういう関係だったんですか!?」
ブレンダが大きな声を上げて、ノアはとうとう頭を抱えてしまった。
「いえ、そういう、やましい間柄ではなく……」
「でも、結婚の約束をしてるんですよね!?」
ブレンダが身を乗り出して尋ねるので、ノアは彼女から距離をとるように身を引きながら視線を逸らした。逃げたと言ってもいいだろう。
「結婚の、というか……」
「え、違うの?」
ジリアンもテーブルに肘をついてズイと身を乗り出した。2人は、この恋の話にすっかり夢中だ。
「ずっと昔の、世間話の延長みたいな約束ですよ」
「いつ、そんな約束を?」
「私がお嬢様の護衛騎士になったばかりの頃のことです」
「じゃあ、11年も前のことね」
「どんな約束なんですか?」
すっかりタジタジになったノアの様子に、フットマンや他の騎士たちが笑っている。ノアは助けてくれと言わんばかりに周囲を見回したが、味方はいないようだ。いつもならば適当な用事で逃げ出すという手もあるが、ここは船の上。逃げ場はない。
「……お嬢様がご結婚されて、その時にお互いに相手が居なければ、寂しい者同士で結婚するのも悪くない、と」
これを聞いた2人は、そろって眉をしかめた。
「そういうの、よくないと思います」
非難がましく言ったのはブレンダだ。
「ぜんぜんロマンチックじゃありません!」
彼女は十代の少女らしく、プロポーズというものに夢を持っている。数ヶ月前のジリアンとアレンのプロポーズを知っているだけに、ロマンチックなプロポーズこそが正しいプロポーズだと思っているのだ。
対するジリアンは、また別の理由で表情を険しくしていた。
「……私のせいで、2人は結婚しないの?」
しゅんと肩を下げたジリアンに、ノアは慌てて立ち上がった。そのまま転がるようにジリアンの前に跪いた。
「お嬢様、それは違います」
「でも……」
「私達は、お嬢様をお守りする役目をいただいたことを、本当に幸せだと思っています」
ノアがジリアンの手をとった。慈しむように、その手を撫でる。
「この11年間、本当に幸せでした。お嬢様の成長を、一番近くで見守ってきたのです。……その役目が終わった時には、きっと寂しくてたまらなくなるでしょう。その穴を互いに埋め合いましょうと、そんな程度の約束なのです」
「そんな程度の約束?」
この言葉には、今度は眉を吊り上げたジリアンだった。
「そんなのダメよ、ノア」
「そうですよ、ロイド様。最低です」
周囲からも非難がましい視線が送られてきて、ノアはすっかり閉口してしまった。
「ノア、プロポーズはちゃんとしなきゃダメよ」
「はあ」
曖昧に答えたノアの手を、今度はジリアンが握った。
「私に手伝えることがあったら、なんでも言ってね! 私だって、あなたたちには幸せになってもらいたいのよ」
「……ありがとうございます、お嬢様」
プロポーズの件はとりあえず明言を避けたノアだったが、2人の少女はニコリと笑って頷いた。
「魔大陸に行ったら、さっそく宝石を探しましょう」
「そうですね。王国にはない、珍しい宝石があるかもしれません」
「オリヴィアには、どんな宝石が似合うかしら?」
「あまり派手じゃないほうがいいですよね」
など、2人が楽しそうに笑うのを周囲の大人たちが温かく見守っていた時だった。
──ドンッ!
と、何かが爆ぜた音が聞こえてきたのだ。距離はそれほど遠くない。
「なに!?」
いち早く反応したのはジリアンだった。マストの上の見張り番に叫ぶ。
「3時の方向、何か来ます……! 攻撃です!」
──ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!
見張り番の叫び声に重なって、爆発音が続く。
──ヒュルルルルル!
次いで、何かが飛翔する風切り音が近づいてきた。
「伏せろ!」
ノアが叫ぶよりも早く、ジリアンは魔力を練っていた。
「『
ジリアンの魔力によって巻き上げられた風が、飛来した何かを弾き飛ばした。その正体は、人の頭ほどの大きさの燃える弾丸だった。その全てが、勢いを失って海に落ちる。
「いちばん
──ドンッ、ドンッ、ドンッ!
爆発音は、徐々に近づいてきていた。
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