第4話 未来のために


 バルコニーで抱き合う二人を、月明かりだけが照らしていた。


「アレン」


 アレンはジリアンをきつく抱きしめたまま黙っている。ジリアンはため息を吐きながらも、その背に腕を回して、ポンポンと優しく撫でた。


「……ごめん」


 ややあって、アレンが顔を上げた。婚約破棄に国外追放、その芝居をあちら側の人間に気取らせないために、二人は会うべきではなかった。それでも、我慢できなかったのだろう。


「謝らないでよ。……私だって、あなたの顔を見られて嬉しいんだから」


 こうして2人きりで顔を合わせるのは、本当に久しぶりだ。例の寝室での密会以降、ジリアンとアレンは『それらしく』振る舞ってきた。つまり、破局寸前の恋人らしく、だ。手紙だけは秘密裏に交換していたが、表立って顔を合わせないようにしていたのだ。それだけで、学院では噂になったものだ。


「上手くいってよかったわね」


 ジリアンが言うと、アレンは渋い顔で頷いた。


「吐くかと思ったけど」

「酷い顔してたもの。ダイアナ嬢に叱られなかった?」

「叱られた。もっとちゃんと演技しろって」

「やっぱり」


 思わず笑い声をこぼしたジリアンに、アレンはようやく安心したように息を吐いた。


「嘘でもあんなこと、言いたくなかった」

「わかってるわよ」

「本当に?」

「本当に」


 再び、アレンがジリアンの身体をぎゅうと抱き込んだ。アレンはここ数年でグンと身長が伸びたので、ジリアンの身体などすっぽりと包み込むことができてしまう。


「……兄上は?」

「マルコム殿下ね」

「ああ」

「……まだ断言はできないけど、チェンバース公爵家の息がかかっていると見て間違いないと思う」

「そうか」


 寝室の密会に、マルコム王子が呼ばれなかったのは当然といえば当然だった。彼の后はチェンバース公爵家の、ダイアナ嬢の叔母にあたる人物である。全くの無関係という可能性もあったが、今夜の彼の言動により、それは否定せざるを得なくなった。


「じゃあ、次の段階だな」

「ええ。次は、国外追放ね」

「……本当に行くのか?」


 アレンが眉を下げるので、ジリアンはまたため息を吐いた。


「もう、計画は走り出してるのよ。今更、後には引けないわ」

「だけど」

「大丈夫よ。魔大陸にはテオバルトもいるんだから」


 テオバルトは、ジリアンとアレンの友人だ。渡航後は彼がジリアンの世話をしてくれるよう、既に連絡を取り付けてある。


「……それが一番心配なんだよ」


 意味が分からず、ジリアンは小さく首を傾げた。


「どうして? テオバルトが一緒にいてくれれば、私は安全よ」

「そうじゃなくて……」

「じゃあ、どういうこと?」

「……指輪、ちゃんと返してこいよ」


 アレンの言う指輪とは、テオバルトがジリアンにプロポーズした際に置いていった翡翠の指輪のことだ。


「もちろんよ。ちゃんと返してくるわ」

「ん」

「……私はアレンの方が心配よ」

「俺は大丈夫だよ」

「でも私が国外追放されたら、彼らはいよいよ動くわよ。今度は何が起こるか……」


 ジェラルド王子の計画は、こうだ。

 王家としてはジリアン・マクリーンと対立したくないが、アレン王子の独断で婚約破棄が宣言された以上、それをなかったことにはできない。そこで、親善大使という名目でジリアンを魔大陸に渡航させて、いったん距離を置くことにする。社交界では、『実質、国外追放だ』という噂が流れるだろう。傍目には、王家とマクリーン侯爵家との確執が決定的になったように見えるかもしれない。こうして、自然な流れで王家とジリアンが離れたことを演出することで、貴族派の次の動きを誘おうというわけだ。


「そうだな。首都ハンプソムを壊滅させようとした奴らだ。次は何を仕掛けてくるか……」

「気をつけてね。私も、頑張ってくるわ」


 そして、ジリアンは魔大陸に渡って、魔族側の動きを探ることになっている。


「ついでに私の出生についても調べてこられるわ。名目を与えて下さって、ジェラルド殿下には感謝しているのよ」


 ジリアンには魔族の血が流れているらしいことは分かっているが、いったいどういうわけでそうなったのかが全く分かっていない。今回の渡航では、その秘密を探ることにもなっている。


「ほんと、兄上は……」

「無茶な人よね」


 2人で顔を見合わせて、クスクスと笑った。確かに無茶な人だが、悪い人ではない。思い切った決断ができる為政者なのだ。国王も信頼しているのだろう、今回の件もジェラルド王子に主導するようにと命じた。


「見送りには行けないから」

「絶対に来ちゃダメよ」

「わかってるよ」

「……しばらく会えない、から、さ」


 アレンがジリアンの肩に手を置き、その顔を覗き込んだ。頬がわずかに赤く染まっていて、金の瞳がゆらゆらと揺れている。

 その意図がわかって、ジリアンも思わず頬を赤くした。


「ん」


 うろうろと瞳を彷徨わせてから、思い切ってぎゅっと目をつむる。その様子に、アレンがクスリと笑った。


「ジリアン、愛してる」

「私もよ」


 ジリアンの唇にアレンの吐息が触れた、その瞬間。


「ゴホン!」


 わざとらしい咳払いが聞こえて、2人の身体がギクリ震えた。周囲を見回すと、バルコニーの下や隣の部屋、ジリアンの寝室の外に人の気配があることがわかった。1人や2人ではない。


「……ごめんなさい。隠蔽の魔法が解けてるわ」

「……いや、俺が悪かった」


 隠蔽の魔法は集中力を要する難しい魔法だ。うっかり気を抜くと、すぐに解けてしまう。


「帰るよ」

「うん、気をつけて」


 アレンはフードを目深に被り、さらに顔を布で覆った。風魔法で王宮まで行けばすぐに帰ることができるが目立ってしまうので、下を通って密かに王宮に帰るのだろう。


「……何かあったら連絡してくれ。飛んでいくから」


 アレンは優秀な風魔法の使い手だ。文字通り、飛んできてくれるだろうことを想像して、ジリアンの胸が温かくなる。


「うん。あなたもね」

「それじゃあ」

「ええ」


 アレンは最後にジリアンをぎゅうと抱きしめてから、ヒラリとバルコニーから飛び降りた。下で見張りの騎士と一言二言話してから、彼の姿は夜の町に消えていったのだった。



 * * *



 数日後、ジリアンは国王に呼び出されて王宮に参内した。謁見室に入ると、そこには重要な役職に就いている貴族と官僚たちがずらりと並んでいて、3人の王子とダイアナ嬢の父であるチェンバース公爵の姿もあった。


「ウォーディントン女伯爵、そなたに親善大使を任せることとする」


 婚約破棄の件には触れずに、親善大使の任命式が行われた。周囲からは、『親善大使として国を離れている間に、アレン王子の婚約問題を片付けるつもりなのだろう』と見えているはずだ。事実、顔をしかめている貴族が何人もいる。


(国王派の皆さんも騙すことになるけれど、仕方がないわ)


 婚約破棄騒動の後、ジリアンを心配して手紙をくれたりマクリーン侯爵邸を訪ねてくれたりする貴族が後を絶たなかった。彼らに正面から嘘をつく気にはなれなくて、ジリアンはショックのあまり臥せっている、ということにして面会を断っていた。これは、むしろ良い判断だったようだ。


(私、かなり可哀想だと思われているわね)


 ジリアンは内心で苦笑いを浮かべた。狙い通りとは言え、気持ちの良い状況ではない。


「魔大陸に渡り、皇帝に親書を届けてくれ」

「謹んで承ります」


 深く頭を下げたジリアンに、国王が深く息を吐いてからマクリーン侯爵を見た。


「マクリーン侯爵。そなたを同行させるわけにはいかぬが、警備にはマクリーン騎士団を随行させるのがよかろう」

「お気遣い、感謝いたします」


「しかし、陛下」


 話を遮ったのは、チェンバース公爵だった。


「国を代表する親善大使なのです。王立魔法騎士団からも随員を募るのがよろしいかと」


(……ジェラルド王子、恐るべしね)


 この展開も、既に王太子が予想していた。王立魔法騎士団にはチェンバース公爵の息のかかった騎士も多く在籍している。その誰かをジリアンに随行させることで、彼女を見張ろうと考えるはずだと。


「うむ。そうだの。マルコムよ」

「はっ」


 なんといっても、王立魔法騎士団の管理は第2王子の管轄だ。


「腕の立つ者を選抜するように」

「承知いたしました」


 とはいえ、既に対策は立ててある。


(誰に見張られようと、私は目的を達成するわ。絶対に……!)


 この国と自分の未来のために、やらなければならないのだ。

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