第3話 惚れ薬


 ダイアナ嬢は、ネグリジェ姿だった。対するチェンバース教授は真っ黒の服を着て、まさに隠密のようだ。二人は寝室に入ってくるなり、国王の前に跪いた。


「この度は、申し訳ございません……!」


 チェンバース教授が床に頭を擦り付けるようにして謝罪し、隣のダイアナ嬢もそれにならった。


「まあ、まずは事情を話してくれ」


 国王が言うので、二人は顔を上げた。ダイアナ嬢の目が真っ赤で、ジリアンは彼女が泣き腫らした後であることに気付いた。


「私から、ご説明いたします」


 ダイアナ嬢の声が震えていて、ジリアンは思わず彼女に駆け寄った。彼女の隣にしゃがみこみ、その肩を抱く。ダイアナ嬢はくしゃりと表情を歪ませてから、一つ頷いた。


「……こちらを」


 彼女が差し出したのは、一本の薬瓶だった。ジェラルド王子が、慎重な手付きでそれを受け取る。


「魔大陸から取り寄せた、惚れ薬です」

「惚れ薬?」


 二人の王子が覗き込んだ薬瓶の中には、紫色の薬液が入っている。わずかに発光しており、確かにこの国では未知の液体のようだ。


「今夜、その薬を持ってアレン王子の寝所に潜り込み、……既成事実を作るようにと」


 ダイアナ嬢が、ジリアンの手をぎゅっと握りしめた。


「お父様が、お命じになりました」


 ダイアナ嬢の父とは、すなわち現チェンバース公爵である。大蔵卿を務めており、全貴族を取りまとめる立場である。


「目的は、……ジリアンだな」

「はい」


 アレンに問われて、ダイアナ嬢が頷いた。


「ジリアン嬢は、彼らの計画において最大の障害となり得る。まずは王家からジリアン嬢とマクリーン侯爵家を引き離すことが目的です」


 ダイアナ嬢が淡々と告げると、教授が再び深く頭を下げた。


「これは王家への反逆行為にほかなりません。あれを育てた、私の責任です。誠に、面目ない……!」


 教授の言う『あれ』とは、彼の息子、つまり現チェンバース公爵である。


「ダイアナは父に命じられてすぐ、この爺に相談に来ました。二人でよくよく話し合い、洗いざらい国王陛下に話そうと決め、今日この場を設けていただくようジェラルド殿下にお願いした次第です」


 正義感が強く、友情に厚い彼女のことだ。父親に命じられたところで、とうてい従うことはできなかっただろう。


「計画に乗る振りをして父に探りを入れたところ、例の黒い魔法石リトゥリートゥスに関する事件について、いくつか分かったことがあります」


 ダイアナ嬢は今度は一枚の書類を取り出して、王子に差し出した。


「これは……」

「公爵家の帳簿の一部を写してきました。数ヶ月前の首都ハンプソム壊滅未遂事件の資金源は、チェンバース公爵家です」


 室内が一気にしんと静まり返った。


「つまり、チェンバース公爵が例の事件の主犯なのか?」

「父が計画の首謀者かどうかは分かりません。所感ではありますが、父に命令している人物が他にいるように感じられました」


 ジェラルド王子の問にも、ダイアナ嬢は淀むことなく答えた。教授の言う通り、包み隠さず全てを話す覚悟で来たのだろう。


「最近になって、父はクラブに出入りすることが増えました」


 クラブとは、紳士の社交場である。チェンバース公爵が出入りするとなれば、会員制の高級クラブのことを指す。誰もが出入りできる場所ではなく、秘密の会談にはうってつけの場だ。


「そこで、貴族派と密会を重ねているようです。アルバーン公爵家の傍系貴族とも……」


 視線を向けられたイライザ嬢が頷いた。アルバーン公爵家のは国王派であり、現体制を支持している。しかし、その傍系は、数年前から貴族派との癒着が明らかになっており、数ヶ月前の首都ハンプソム壊滅未遂事件にも関わっている。


「私が命じられたのは、アレン殿下と関係を持ってジリアン嬢を王家から遠ざけること。婚約破棄までさせれば上等だと言われました。そうすればアレン殿下の信頼は失墜し、王家の力を削ぐことにもなる、と」


 この計画が成功すれば、そうなるだろうとジリアンは思った。国王とジリアンの父であるマクリーン侯爵は王と臣下の関係ではあるが、同時に戦友でもある。アレンがジリアンからダイアナ嬢に乗り換え、さらに婚約破棄となれば国王とアレンの信頼関係は崩れる。アレンは既に王家の中で重要な役割を担っており、王家にとっては大きな損失となるのは間違いない。


(チェンバース公爵はダイアナ嬢とアレンを結婚させる気なんかない。ただ、私たちの仲を引き裂くためだけに、彼女にこんなことを命じたんだわ……!)


 こみ上げる怒りに、ジリアンの顔が真っ青に染まった。ダイアナ嬢が、教授と同じように再び床に額を擦り付ける。


「私と祖父は、父には従いません。しかし面と向かって反発するよりも、皆様方に情報をお伝えすべきと考え、こうしてまいりました。如何様にも、ご処断ください……!」


 これには、ジェラルド王子が首を傾げた。


「君のことはイライザから聞いているよ。とても悪事に手を染めるような人じゃない。それは信用できる。だからこそ、妙だな。なぜチェンバース公爵は、君にこんなことを命じたんだい?」


 ダイアナ嬢の性格を考えれば、反発したり裏切ったりすることは予想できたはずだ。


「……」


 これには、ダイアナ嬢は答えなかった。隣の教授も何も言わない。


(チェンバース公爵は、ダイアナ嬢が命令に従うはずだと確信した。だから命じた。でも、どうして……)


 そこまで考えて、ジリアンはハッとした。


「お母様ね……!」


 ダイアナ嬢の肩がビクリと震えた。


「ダイアナ嬢のお母様はチェンバース公爵の後妻です。実子はダイアナ嬢だけで、公爵家の中では肩身の狭い思いをしておいでだと、ダイアナ嬢から聞いたことがあります。数年前の流行病で身体を悪くして、今は西部の領地で療養していらっしゃるはずです」


 ジリアンは、ダイアナ嬢の母に毎年花を贈っているからよく知っている。昨年は花束の返礼にと西部の特産品が贈られてきた。


「裏切れば、母を殺すと。……母とは、既に連絡を取ることができません」


 ダイアナ嬢が絞り出すような声で言った。再び、沈黙が落ちた。彼女は、自らの母を見殺しにする覚悟で告発しているのだ。


「……では、対策を考えよう」


 切り出したのは、ジェラルド王子だった。


「考えられる対策はいくつかある。一つは、すぐにでもチェンバース公爵を逮捕して奴らの計画を頓挫させることだ」


 言ってから、ジェラルド王子は薬瓶と帳簿の写しを掲げた。


「証拠はこれで十分。この暖炉の通路を知っていたところからすると、王宮内にもネズミがいるな。早々に逮捕して証拠隠滅を防ぎ、公爵の屋敷を調査する。見つけた他の証拠から関係者を洗い出し、芋づる式に捕まえれば、一件落着だ」


 ダイアナ嬢の肩が震えた。その過程で、確実に彼女の母は殺される。またチェンバース公爵家は取り潰し。彼女は何もかも失うだろう。


「二つ目は、公爵の計画に乗ってやることだ」


 ジェラルド王子がアレンの方を見た。どこか楽しそうな様子で、アレンが眉をしかめる。


「アレンはまんまとダイアナ嬢に惚れ薬を飲まされて、二人は夜をともに過ごす。朝には誰かに目撃させれば、噂はすぐに広がるだろうな」


 これにはイライザ嬢が頷いた。


「そうすれば、チェンバース公爵は次の段階に進むでしょうね。その隙に、全ての事実を明らかにすれば関係者を一網打尽にできます。魔大陸側の関係者もボロを出す可能性が高いわね」


 さらにウォーベック侯爵も国王も頷く。


「ふむ。これを機に、腐った部分を全て切り落とすことができるな」

「反対です」


 マクリーン侯爵が声を上げた。


「つまり、ジリアンはアレン王子に婚約を破棄されるということですね。こちらの思惑通りに事が進めば、元通りになるかもしれません。しかし、その保証はどこにもない。ジリアンは多くを失うことになります」


 婚約が白紙に戻るだけではない。ジリアンは王子との婚約を破棄されたという不名誉がついて回ることになる。この反論に、アレンが大きく頷いた。


「俺も反対です。リスクが大きすぎる」


 アレンはジリアンの隣に来て、その手をぎゅっと握った。


(そうよ。嘘でも婚約破棄なんか嫌よね)


 ジリアンとアレンは、心から愛し合っているのだから。ジリアンも、ぎゅっとアレンの手を握り返した。


「マクリーン侯爵のおっしゃる通りです。リスクを冒す必要はありません。今すぐ、父を逮捕してください」


 ダイアナ嬢も言い募った。それでは彼女の母を救う時間はなくなるが、それでも構わないと。

 しばらく、沈黙が続いた。

 早々に結論を出さなければならない。だからこそ、ダイアナ嬢はこの場に四つの家門の代表者を集めたのだ。


(……あら?)


 この時になって、ジリアンはあることに気付いた。


(マルコム王子殿下は……?)


 国王に王太子ジェラルド王子第3王子アレンがいて、4つの家門の代表者が集まっている。ここに第2王子マルコム王子がいない。その理由に考えを巡らせていたとき、ジェラルド王子がポンと手を打った。何かを思いついたらしい。


「では、のうえにというのは、どうだ?」

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