第2話 ことの始まり
ことの始まりは、1ヶ月程前まで遡る。
その日、ジリアンはマクリーン侯爵と二人きりの休日を楽しんでいた。
夜明け前から厨房を借りてサンドウィッチを作り、遠乗りに出た。目的地は紅葉の名所だった。
「温かい紅茶を淹れますね」
「ああ」
「レモンは入れますか?」
「そうだな」
景色を楽しみながら朝食をとり、ジリアンが魔法を使って紅茶を淹れる。秋が深まり肌寒さを感じるようになったが、二人で寄り添って温かい紅茶を飲めば気にもならなかった。
「キレイですね」
「ああ」
この国の秋は駆け足で過ぎていく。こうして紅葉を楽しむことができるタイミングで、二人揃って休日を迎えられたのは幸運だった。侯爵は国の重鎮として、主に軍事方面の仕事を担っている。ジリアンは王立魔法学院に通う傍ら、様々な魔法技術の開発に関わっているのであちこちに引っ張りだこ。2人とも非常に忙しいのだ。今日も、この後は仕事に戻らなければならない。早朝のひとときを、こうして楽しんでいる。
紅茶を一口含んでホッと息を吐いた侯爵が、少しばかり口をモゴモゴさせた。ジリアンには、何か言いたいことがあるのだろうとすぐに分かった。
「どうかされましたか、お父様?」
すかさず尋ねると、侯爵がまた息を吐いた。
「……最近、アレン王子殿下とは、……どうだ?」
とても言いにくそうに吐き出された言葉に、ジリアンは苦笑いを浮かべた。
「どう、と言いますと?」
「……」
侯爵は、すっかり口を噤んでしまった。
ジリアンとアレンが婚約を結んでから数ヶ月が経っている。二人とも既に成人しているのでアレンは『すぐにでも結婚を』と主張したが、両家の話し合いの末、ジリアンの卒業を待ってから結婚式を上げることが決まった。
アレンは渋い顔をしていたが、この点だけは侯爵が譲らなかったのだ。また、魔法技術の開発を担当する部署からも二人の結婚時期についての嘆願書──せめて、現在進行中のプロジェクトだけでも終わらせてからにしてくれ、という切実な要望だ──が寄せられたため、すぐに結婚できないのは仕方のないことだった。
「お父様の言いつけどおり、節度を持ってお付き合いしていますよ」
ジリアンが言うと、侯爵が眉をしかめた。
「……ここのところ、毎日のように手紙を送っていると聞いた」
「はい。お互いに忙しいので、手紙だけは欠かさないようにしようと約束しました」
「多忙の合間を縫って、殿下は学院にも登校していると」
「ええ。ランチのためだけに登校してくることもあるんですよ」
「先日出席した晩餐会では、殿下から贈られたドレスを着たとか」
「若草色の素敵なドレスでした。オーガンジーに刺した花の刺繍は見事な職人の仕事でした」
「
「もちろん、王家とマクリーン侯爵家の名に恥じないよう務めております。みなさん、ぜひ二人で出席してほしいと言ってくださるので、とても嬉しいです」
頬を紅潮させて花が咲いたように話すジリアンとは対照的に、侯爵の表情が徐々に暗くなっていく。その様子を見ていた随行の騎士たちが肩を震わせるので、ジリアンは首を傾げた。
「お父様?」
「……なんでもない。順調なら、それでいいんだ」
「そうですか?」
そんな話をしていた時だ。紅葉で彩られた木立の間から、ひっそりと一人の男が現れた。全身黒尽くめで怪しいことこの上ない姿に反して、二人の視界に入ってすぐに丁寧に礼をとる。
侯爵は警戒して剣に手をかけた騎士たちを片手で制してから、その男を手招きした。男は足音も立てずに二人の近くに駆け寄り、そっと跪く。
「ジェラルド殿下からのお言付けです」
ジリアンと侯爵に緊張が走る。本来、王太子であるジェラルド王子からの言付けに、こんな方法をとる必要はない。王宮の侍従か騎士を使って連絡を寄越せばいいだけだ。
誰にも知られてはならない機密性の高い言付けだと、すぐに察した。
「ごめんね」
周囲の騎士たちに一言告げてから、ジリアンは右手を振った。ジリアンと侯爵、そして黒尽くめの男三人の周囲を
「お心遣い感謝いたします」
「それで、用件は」
「はい。国家存亡に関わるお話です」
その言葉に、ジリアンも侯爵も居住まいを正した。
(ついに、来た……!)
「今夜21時、王宮のアレン王子殿下の寝室にお越しいただきたい、と」
「なに?」
一気に膨れ上がった侯爵の殺気に、黒尽くめの男の肩がビクリと震えた。
「お父様、落ち着いて」
「しかし、し、寝室に呼び出すとは……!」
「ジェラルド王子殿下の呼び出しですよ」
「む。そうか」
「私たち二人を、という意味ですよね?」
穏やかに問いかけたジリアンに、黒尽くめの男はほっと息を吐いた。
「はい。誰にも知られぬように、お越しいただきたい、とのことです」
これにも侯爵は眉を顰めた。密談をするにしても場所の指定が妙だ。それに、王子の寝室と言えば王族のプライベートな空間であり、王宮の最奥に位置する。当然警備は強固で、誰にも知られずに行くことは不可能である。
「……それは、どんな方法を使ってもよいのですね?」
「もちろんです」
ジリアンの問いかけに、黒尽くめの男が頷いた。
「承知しました」
ジリアンの返事を確認した男は、またひっそりと木立の中に消えていった。
「あの男に、秘密の通路を聞いておかなくてよかったのか?」
侯爵の問いかけに、ジリアンはニコリと微笑んだ。
「聞いても教えてくれませんでしたよ、きっと」
王宮にはもしもの時に備えて秘密の通路が準備されている。王族を王宮から脱出させるための通路だ。その通路を使って王宮に入る方法もあるが、王家直属の陰と思われるあの男は、その秘密を話すことはないだろうとジリアンは考えたのだ。
「では、どうする?」
「もちろん、正面から入ります」
* * *
「驚いたな」
ジリアンと侯爵がアレンの寝室に入ると、まず顔を見せたのはジェラルド王子だった。
「本当に警備をくぐり抜けて来てしまうとは。どうやったんだ?」
「秘密です」
ニコリと笑ったジリアンに、ジェラルド王子はニヤリと笑って応えた。
実際には、それほど難しいことはしていない。変装の魔法で侍従とメイドに姿を変え、身分証明が必要な場所では隠蔽と防音の魔法を使って通ってきたのだ。
「警備の見直しについて、後日奏上致します」
ジリアンのセリフに、ジェラルド王子が片眉を上げた。
「ふむ。君以外にも、突破できる者がいるかな?」
「居ないとも限りません」
「では、明日にでも君のところに担当者を寄越そう」
「お願いします」
そんな話をしながら、寝室の奥へ入る。
「ジリアン、マクリーン侯爵。無理を言って申し訳なかった」
ベッドにはアレンが座っていた。
「何があったのですか?」
問いかけたジリアンに、ジェラルド王子が首を横に振った。
「集合時間まで、まだ少しある。全員揃ってから話そう」
そうこうしている内に、3人の人物が寝室にやってきた。
1人目はルイス・ウォーベック侯爵だ。メイドが運んできた夜食のワゴンの下に猫のように丸まっていたので、ジリアンは驚いて声を上げそうになった。魔法騎士団の始祖、アンガス・ウォーベックの子孫である彼は、現在の貴族院でも要職に就いている。
「ウォーベックは東の国々との交易を担っている。珍しい農産品や香辛料が手に入ると王家に献上することが多いので、それに紛れて厨房に入った。こう、麻袋をかぶってな。……ふむ。私には隠密の才能があったのかもしれん」
無表情のまま淡々と言うので、冗談なのか本気なのか分からない。
そうこうしている内に、2人目の人物がやって来た。アルバーン公爵の長女、イライザ嬢である。彼女はメイドの姿で堂々と寝室に入ってきた。本当は明るい栗色のはずの髪を真っ黒に染め、分厚いレンズの眼鏡をかけているので、彼女だと気づく者はいなかっただろう。ジリアンも彼女が眼鏡を外すまではその正体に気づかなかった。
「誰かさんのために度々潜入するので、慣れたものですわ」
これにはジェラルド王子がニヤリと笑った。その様子に得心がいったとばかりに頷いたのはウォーベック侯爵だけだった。ジリアンとマクリーン侯爵が二人揃って首を傾げるのを見て、イライザ嬢が吹き出す。
「私とジェラルド王子殿下は、
これには、思わず赤面したジリアンだった。王子や王女の寝室ばかりが並ぶ棟に潜入しているということは、つまり、
「イライザ嬢、ジリアンにはまだ早い」
マクリーン侯爵もわずかに頬を染めて、苦言を呈した。ジリアンが真似をするのではないかと心配したのだろう。アレンまで赤面している。
「あらあら。可愛らしいのね」
イライザ嬢が笑うので、ジリアンもアレンもマクリーン侯爵もたじたじになる。数ヶ月前、イライザ嬢とアレンは婚約を結ぶはずだった。それをジリアンが略奪するように、アレンにプロポーズしたのだ。その裏でジェラルド王子が糸を引いていたことを思い出して、ジリアンの頭の中で点と点が線でつながった。
(そもそも、彼女もグルだったのね……!)
驚きはしたが、怒りはしなかった。ただ、ジェラルド王子の手腕に感心する。アレンも今この場で初めて知ったらしい、ジリアンの顔を見て苦笑いを浮かべていた。
3人目は、床の下から現れた。すぐ近くで絨毯がモゾモゾと動き出したので、ジリアンは慌てて飛び退いた。しばらくもぞもぞと動いていた絨毯の下から現れたのは、国王だった。
「これで全員か?」
国王は肩についた埃を払いながら言った。王族だけが知る、秘密の通路を通ってきたのだろう。ジリアンは慌てて駆け寄り、埃を払うのを手伝った。
「ありがとう、ジリアン」
「いえ」
「して、ジェラルド。こんな無茶な方法で招集をかけたのじゃ。しょうもない話だったら許さんぞ」
獰猛に笑った国王に、ジェラルド王子は肩を竦めた。
「その件は、私ではなく
「ん?」
「こんな無茶な招集をするように、私に頼んできた
──ガタン。
ジェラルド王子のセリフに応えるように、暖炉の方から音が鳴った。
──ガタッ、ガタン、ガチャンッ、ギギギギ。
古い鍵が開く音に続いて、蝶番のサビが擦れ合う音が聞こえてくる。暖炉の奥の煤けた壁が、扉のように開いたのだ。
そこから現れたのは、さらに予想を裏切る人物だった。
「ダイアナ嬢⁉ チェンバース教授⁉」
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