第3話 未知の魔法


「今日は、少し趣向を変えてみようではないか」


 魔法戦術実習のキース・チェンバース教授は、非常に機嫌が悪い。なぜなら、彼にとっては仇敵きゅうてきとも言える『魔族』の一人が、この授業を受けているからだ。

 魔大陸に住む魔族との戦争が終結したのは、約10年前のこと。二国の間では、すでに穏やかな国交が始まっている。彼のように前線で戦っていたために魔族に対して悪感情を持つ貴族は、半分以上が世代交代しているのだ。彼も既に隠居いんきょした身であり、そのため学院で教鞭きょうべんをとっていた。まさか、そこに魔族が来るとは思ってもみなかっただろう。


「どうかな、1対1の模擬戦闘というのは」


 提案されたマルコシアス侯爵は、肩をすくめた。


「私は構いませんよ。ただし、大した実力はありません」

「ほほう。これはまた謙遜けんそんを」

「いやいや。私は実践の経験があるわけでもなく……」

「ははは! 相手にはない、というだけであろう?」

「さて、どうでしょうか」

「ここの学生も、魔族相手の実戦経験がある者はいないからのう。……例外もいるがな」


 このやりとりを、生徒たちは固唾かたずんで見守るしかない。


 マルコシアス侯爵が留学生として学院にやってきて1週間。魔大陸から来た留学生のことを、学生たちは快く受け入れていた。戦争を知らない若い世代にとっては、ただの新しい友人なのだ。

 しかし、チェンバース教授が彼とかち合えば、衝突が起こることは容易に予想することが出来た。なんとかその衝突を避けようと、あの手この手で二人が顔を合わせることがないよう努力してきた学生たちだったが、結局こうなってしまった。


「ジリアン・マクリーン!」


 チェンバース教授の孫であるダイアナ嬢と一緒に頭を抱えていたジリアンは、急に呼ばれて顔を上げた。


「模擬戦闘じゃ。実力を存分に発揮したまえ」


 いっそ獰猛どうもうとも言える表情で、チェンバース教授が言い放つ。


「……はい」


 ジリアンには、そう返事をする以外になかった。


 ジリアンは言われるがままに競技場の端に移動した。反対側には、マルコシアス侯爵が立っている。そしてジリアンの隣では、チェンバース教授がしかめっ面でジリアンをにらみつけている。


「あやつの正体は知っておるな?」

「はい」

「では、その魔法については?」

「『精霊』の力を借りるのですよね?」

「その通りじゃ」


 彼は魔族の中でも『悪魔』と呼ばれる種族だ。特にマルコシアス侯爵家を含む72の家は『ソロモン72柱』と呼ばれる名門中の名門。

 彼らの魔法は、世界にただよう『精霊』の力を借りると授業で習ったばかりだ。


「理論ではなく、『精霊』との契約に基づいて魔法が行使される。……さて、彼はどんな精霊と契約を結んでいるのか」

「『精霊』の魔法は、私達の魔法よりも強力なんですよね」

「そうじゃ。では、どのように戦う?」

「……『精霊』との契約に基づくということは、それ以外の魔法が使えないということです」

「ふむ」

「複数の『精霊』と契約している可能性もありますが、私達ほど多彩な魔法を操ることはできないはずです」


 それこそが、ルズベリー王国の魔法騎士の強みだ。それぞれ得意不得意な属性はあるが、基本的にはどんな属性の魔法も使うことが出来る。魔法の強度という点ではおとるが、その多彩な魔法を組み合わせて対抗することができるはずだ。


「まず彼に魔法を使わせて、それに対応しつつ弱点を探ります」

「よろしい」


 チェンバース教授が大仰に頷いた。


(魔族への対抗心だけで、この模擬戦闘を思いついたわけじゃなかったのね)


 戦うジリアン本人と観戦する他の生徒に、学びが残るようにきちんと考えているらしい。


「負けは許されない。いいな?」

「……はい」


(前言撤回。好戦的な性格は、年をとっても変わらないのね)


 競技場の端では、ダイアナ嬢がハラハラとした様子でこちらを伺っているのが見える。彼女も苦労しているらしい。


「では!」


 チェンバース教授が、競技場の中央に移動した。

 改めて、マルコシアス侯爵と向き合う。競技場の端と端に立っているので距離は離れているが、相手の顔はよく見えた。彼の胸元にも『的』がぶら下がっている。今日の模擬戦闘では、この的を先に壊したほうの勝ちだ。


「始まる前に、一つだけよろしいですか?」


 マルコシアス侯爵だ。


「なんだね?」

「せっかくの大勝負です。勝った方に褒美ほうびがあってもよろしいのでは?」

「ほう。……よかろう。何がほしい?」

「望みを一つ叶えていただく、というのはいかがですか?」


 負けたほうが、勝ったほうの望みを一つ叶えるということだ。


(分別のある大人だもの。無茶な望みは言わないでしょう)


 確認するようにジリアンの方を見たチェンバース教授に、ジリアンは頷きを返した。


「よろしい。……構え」


 ジリアンは、木剣を構えた。対するマルコシアス侯爵は、武器は持っていない。


「……はじめ!」


 合図とともに、ジリアンは駆け出していた。


「『疾駆エア・プッシュ』」


 背中で空気がぜる。その勢いに押されて、ジリアンの身体がさらに加速した。常人ならば、目で追うことは出来ないほどのはやさだ。

 そのままの勢いで、マルコシアス侯爵の的を狙って突きを放つ。


 ──カツンッ!


 だが、その突きは『何か』に当たって弾かれた。


(なに?)


 そこには何もない。


(魔法だわ!)


 それは分かるが、肝心かんじんのその正体が全くわからない。

 ジリアンは弾かれた勢いを殺さずに回転して、2撃目の突きを放った。


 ──カツンッ!


 再び弾かれる。だが、今度は少しだけ見えた。何かが、きらめいたのだ。


(何かの、結晶?)


 ──ブワッ!


 刹那、ジリアンに襲いかかったのは『煙』だった。


(視界が!)


 視界を完全に塞がれて、ジリアンは再び『疾駆エア・プッシュ』によって距離をとった。

 マルコシアス侯爵の周囲が、黒い煙に包まれていく。


(『黒い魔法石』に似ている……。これが、『精霊』の魔力!)


 1年前の事件でジリアンを苦しめた『黒い魔法石リトゥリートゥス』。その魔力とマルコシアス侯爵の魔力は、全く同じではないが気配が似ている。あれも、元々は『精霊』の魔力だったのだ。


「避けろ!」


 競技場の外から、チェンバース教授の声が響いた。模擬戦闘中に声を上げるとは余程よほどのことだろうと考えた、その一瞬が命取りだった。


 ──キィン。


 煙の中から無数の何かが飛び出してきて、ジリアンをぐるりと囲んでしまったのだ。中空で冷たい気配を放ちながらジリアンを狙うそれは、一つ一つが鋭い──刃だ。


「煙に、刃……『金属働者職人精霊』!」


 古書店から買い取った魔導書に書かれていた、古い『精霊』の一人『金属働者職人精霊』。かつて、人と悪魔に金属を使う術を伝えたとされる、神話の御代みよの『精霊』だ。


 その正体に気付いたところで、もう遅い。次の瞬間には全ての刃が、一斉にジリアンに襲いかかってきた。


(数が多い!)


 普通の魔法では全てを防ぐことはできない。


「『テンペスト』!」


 ジリアンの叫びに応えて、彼女の周囲に雲が集まる。


(間に合うか!?)


 同時に思い切り踏み込んで襲いかかる刃に、逆に肉薄した。一つ二つ、三つと刃を木剣で叩き落とす。四つ目を落としたところで、周囲に嵐が巻き起こった。


 ──ブワァァァ!


 ジリアンに向かっていた刃の勢いは強風によって乱れ、渦を巻く風と共に舞い上がった。


 ──カラン、カラン、カラン。


 全ての刃が、地に落ちた。ジリアンに届いた刃は一本もなかったのだ。


「まさか、全て防がれるとは思いませんでしたよ」


 すぐ近くで聞こえた声に、反射的に剣を振った。




 ──パキン!



 果たして、割れたのは──。





「私の勝ちですね」


 ジリアンの『的』だった。


 ──ワァ!


 観戦していた学生たちから、歓声が上がる。チェンバース教授も悔しそうな表情を浮かべながらも、手を叩いて彼の勝利を讃えている。


「私が勝ったのは、たまたまですね。あなたは私を殺すような魔法は使わない、という確信があった」


(自分は殺傷能力の高い、刃の魔法を使っておいて……)


 面の皮が厚いとは、正にこのことである。


「あなたも私を殺すつもりだったなら、私は勝てませんでしたよ」

「では、閣下は私を殺すつもりでしたか?」

「まさか。あなたなら死なないと、んですよ」


 にこりと笑ったマルコシアス侯爵に、ジリアンはすっかり毒気が抜かれてしまった。


「それはそれは、光栄です」

「ははは!」


 マルコシアス侯爵が、右手を差し出す。ジリアンがそこに手を添えれば、ギュッと力強く握り返された。


「あなたは最高の魔法騎士だ。短い期間ですが、学ばせてください」

「こちらのセリフです」


 固い握手を交わして、二人は笑い合った。


「そうそう。ご褒美の件ですが」

「騎士に二言はありません。何なりとおっしゃってください」

「では」


 マルコシアス侯爵は、改めてジリアンに向き合った。


「これからはテオバルト、と呼んでいただけますか?」


 少しだけ、緊張しているのがわかった。


(こんな顔もするのね)


 前に一度断っているので、今回も断られるのではないかと心配しているのだ。

 これは、名前云々の提案ではない。

 彼は、ジリアンに『友達になろう』と言ってくれているのだ。


「わかったわ。……テオバルト」


 翡翠の瞳が見開かれて、次いで柔らかく細められる。

 その精悍せいかんな顔の中に、わずかな幼さを見たのだった。





「なあなあ、聞いたか?」


 その日の昼食時。食堂では二つの話題で持ちきりだった。

 一つ目は、もちろんジリアンとテオバルトとの模擬戦闘について。


 そして、二つ目は……。



「アレン・モナハンが婚約するらしいぞ!」

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