第2話 魔大陸からの留学生


「手紙より、こちらのほうが手っ取り早いでしょう?」


 笑顔で言った黒髪の美丈夫びじょうぶは、よく見れば学院の制服を着ている。


「どういうことですか?」

「こちらに滞在する間、王立魔法学院に留学させてもらうことになりました」

「留学、ですか?」


 首を傾げたジリアンに、マルコシアス侯爵が大仰に頷いた。


「ちょうど私と同じくらいの子女が通っていることだし、勉強だけでなく交流もできて良いだろうと」


 なるほど、とジリアンも頷いた。とはいえ他国の賓客ひんきゃく、しかも侯爵位という身分と外交官補佐の肩書を持つ人だ。普通の留学生とはわけが違う。


(わざわざ制服なんか着なくても……)


「似合いますか?」


 襟元えりもとを整えながらにこりと笑ったマルコシアス侯爵に、ジリアンは頷いた。


「はい、とてもお似合いです」


 異国情緒ただよう美しい人が、濃紺のモーニングコートカット・アウェイ・フロックコートをカチっと着こなしている。どこか違和感を感じさせるが、それはそれで不思議と人の目を惹き付けるようだ。講義棟の玄関ホールで話し込むジリアンたちに、他の学生たちがチラチラと視線をやりながら通り過ぎていく。


「勝手がわからないので、案内をお願いできますか?」

「もちろんです、閣下」

「あ、そうそう。それと」


 マルコシアス侯爵がジリアンの手を引いた。ホールの隅まで連れて行かれて、ジリアンは首を傾げる。


「私が『マルコシアス』であることは、ここでは秘密でお願いします」

「どうしてですか?」

「理由は、あなたにも秘密です」


 唇に人差し指を立て美しく微笑む。これ以上は聞くなという圧を感じて、ジリアンはため息を吐いた。


「承知しました。とはいえ、あなたの事をご存知の学生もいるかと思いますよ」

「その時は、秘密の共有者になってもらいましょう」


 マルコシアス侯爵がクスクスと笑うので、ジリアンも釣られて笑った。


「では、まずは学院長室に……」

「そういうわけですから」


 ジリアンの言葉を遮って、マルコシアス侯爵は再びジリアンの手をとった。


「かしこまった話し方は、やめてくださいね」

「閣下、それはできません」

「それも」

「え?」

「テオバルト、と」


 長身のマルコシアス侯爵が、そっと腰を折った。長身の彼とジリアンとでは、ずいぶんと離れていた顔と顔との距離がグッと近づく。長い黒髪がさらりと流れて、ジリアンの顔に陰を落とした。


「呼んでくださいますか?」

「閣下……」


 思わず目を逸らしたジリアンだったが、その目線をマルコシアス侯爵の翡翠の瞳が追いかけた。


「閣下」


 そんなマルコシアス侯爵に声をかけたのは、護衛騎士のノアだった。

 二人の間に割って入って、ジリアンをその背に隠してしまう。


「おやおや。いけませんでしたか?」

「未婚のご令嬢です。ご理解ください」

「ふむ。ですが、決まった相手がいるわけではないのでしょう?」

「だからこそです」


 徐々に不穏になっていく二人の雰囲気に、ジリアンはあわあわと慌てることしかできない。


「ジリアン嬢?」


 そんなジリアンに声をかけてくれたのは、ダイアナ嬢だった。怪訝けげんな様子で三人の様子を見ている。


「ダイアナ嬢、ごきげんよう!」


 これ幸いとばかりに、ジリアンはダイアナ嬢に駆け寄った。


「そちらは?」


 ダイアナ嬢が眉間にシワを寄せながらジリアンの肩を引き寄せる。


「あなたの騎士と正面からやりあうなんて、いったい誰なの?」


 耳元でこっそりと告げられたが、これには苦笑いを返すしかない。


「えっと……」

「テオバルト・マルコシアスです。今日から、こちらに留学することになりました」


 マルコシアス侯爵は、ノアのことなど素知らぬ顔でダイアナ嬢に腰を折った。


「式典でお会いしましたか?」


 ダイアナ嬢はチェンバース公爵家の令嬢だ。最近では、次期公爵候補と目される才女。名前を聞いただけで、彼の正体に気付いたようだ。


「よくご存知で。……ここでは、ただのテオバルトです。どうぞ、お見知りおきを」

「そういうことですか。よろしくお願いいたします。それで、朝からこんなところで何のお話を?」


 これには、肩をすくめたマルコシアス侯爵だった。


「ジリアン嬢に、学内の案内を頼んでいたのです」

「……そうでしたか。では、私もお付き合いしましょう」


 この助け舟に、ジリアンはホッと息をついた。ノアの方を見れば、黙礼だけが返ってきた。その意は『百歩譲って、よろしいでしょう』だ。


「ダイアナ嬢! ジリアン嬢! 授業始まるぞ!」


 今度は、アーロン・タッチェルの明るい声が聞こえてきた。その隣には、イライアス・ラトリッジとコリー・プライムの姿もある。


「ちょうどよかったわ。あなたたちも付き合いなさい」


 尊大に言ったダイアナ嬢に、アーロンが眉をしかめた。


「は?」

「なんだよ、やぶから棒に」

「そちらは?」


 コリーもイライアスも首を傾げたので、先程と同じ説明をすることになった。


「そういうことなら」

「こういうのは、男同士で行くもんだ」

「ダイアナ嬢もジリアン嬢も、授業に出ておいでよ」

「そうそう。5人も抜けることないって」

「俺たちに任せとけ」


 そう言って請け負ってくれた。


「そう? じゃあお願いね」


 あっさりと言ったダイアナ嬢に、三人が鷹揚おうように頷く。

 ジリアンとマルコシアス侯爵が何を言う暇もなく、彼らは学院長室に向かって行ってしまった。マルコシアス侯爵は苦笑いを浮かべていたが、特段気分を悪くしたということはなさそうだった。廊下の先では、さっそく笑い合う声が響いてきた。


「空気が読める学友がいると、とってもありがたいわね」


 ダイアナ嬢がため息を吐いた。


「ジリアン嬢。彼と二人きりになるのは禁止よ」

「え?」

「絶対に、ダメよ」

「どうして?」

「私達の平和な学院生活のためよ!」


 その迫力に、ジリアンはただただ頷くしかなかった。





 昼食時。食堂に行くと、マルコシアス侯爵の姿があった。学内を案内した男子生徒三人と楽しそうに歓談している。地位や身分には大きな違いがあるが、歳はほぼ同じ。彼ら三人は非常に人付き合いが良いので、打ち解けるのに時間はかからなかっただろうとジリアンは思った。


 ジリアンとダイアナ嬢に気付いたアーロンが、二人を手招きした。

 コリーがさっと椅子を引いてくれたので、ジリアンとダイアナ嬢は彼の隣に腰掛ける。その隣では、ジリアンとダイアナ嬢の分の食事をアーロンとイライアスが取り分けてくれた。

 この食堂では、やや古風な給仕方法で食事が提供されている。大きなテーブルにフタをした大皿で料理が並んでいるので、それを各自で取り分けて食べるのだ。仲の良いグループで座ることもあれば、初対面同士で相席することもある。こうして、学生同士の交流を促す目的があるらしい。

 その様子を、マルコシアス侯爵がじっと見つめていた。


「どうされました?」

「この国では女性に対してどう振る舞うべきかを、学んでいるところです」


 首を傾げたジリアンに、マルコシアス侯爵が楽しそうに笑って答えた。


「あちらとはそんなに違いますか?」

「全く違いますね。魔族の男女は完全に対等ですから」

「完全に?」

「ええ。女性にこんな振る舞いをしたら殴られますね、確実に」


 これには、他の面々も興味深そうに耳を傾けている。


「文化の違いですね」

「私は、こちらの方が好きです。女性に対して丁寧に接する姿は、見ていて気持ちが良い」


 男性陣が少しだけ照れくさそうに笑った。


「ところで、ジリアン嬢」

「はい?」


 マルコシアス侯爵が、テーブル越しにグッとジリアンの方に身を乗り出した。


「もっと気安く話してほしいとお願いしたはずですが」

「できません。それに、あなたも」

「私は、誰に対してもこの話し方ですので」

「では、私も」


 そうします、と続くはずだった言葉は思わぬ言葉に遮られてしまった。



「『アレン』とは、もっと砕けた感じで話をされていましたよね?」



 場の空気が、しんと静まり返った。


(私達が話すのを、どこで聞かれたのかしら?)


 ジリアンが首を傾げている間に、マルコシアス侯爵は立ち上がってジリアンの隣に座り直した。そのまま、流れるようにジリアンの耳元に唇を寄せる。


「王子殿下に対してあの態度ならば、私にも。……ね?」


 食堂の壁際から、殺気が飛んでくる。ノアだ。


「おい!」

「やめとけ!」


 男子生徒の制止などどこ吹く風、といったところだろうか。マルコシアス侯爵は、流れるような所作でジリアンの黒髪を掬い取った。


「美しい黒髪ですね。ずっと触っていたい」


 同席している学友たちがガタガタと音を立てて立ち上がった。周囲に座っていた他の学生たちも、なにやら慌てふためいている。


「今夜は一緒に……」


「ダメダメダメダメ!」


 ダイアナ嬢が叫んだ。まさに絶叫と呼ぶにふさわしい声量に、ジリアンの肩がビクリと震える。


「やめろやめろ!」

「お前、死にたいのか!」

「留学生だからって、容赦してもらえると思うなよ!」


 男子生徒がマルコシアス侯爵の腕を肩を引いて、どこかへ連行していく。

 その様子を黙って見送るジリアン。ダイアナ嬢は深い深い溜め息を吐いた。


「……アレン・モナハンが来ていなくて、本当によかったわ。それだけが救いよ」


 これには、ジリアンも頷いた。確信はないが、アレンとマルコシアス侯爵とでは水と油のような気がしたのだった。

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