第4話 王子様の過失


「あら、お久しぶりね。アレン」


 今日は久しぶりに王立魔法学院に登校した。というのも、今のアレンはモナハン伯爵家の仕事と王室の仕事、どちらもこなさなければならない。

 とてつもなく、忙しいのだ。


「久しぶり」


 アレンが登校して一番最初に声をかけたのはダイアナ嬢だった。試験勉強のために、早くに登校してきたらしい。試験前の教室で教科書をめくっていた。


「久しぶりの登校で、いきなり『魔法医療学』の試験だけど。大丈夫なの?」

「無理だな。とりあえず、受けるだけ受けるよ」


 落第は必至だろうが、それは大した問題ではない。アレンは学院を卒業する必要はないのだ。そもそも、様々な調査のために学院に入学していたのだから。現在でも籍を置いているのは、必要に応じて学院の生徒としての立場を利用するためだ。


「あのさ」

「何? 見ての通り、勉強中なのだけど」

「……」


 ダイアナ嬢がつっけんどんに言うので、アレンは何も言えずに黙るしかない。彼女の言う通り、話しかけるにしても最悪のタイミングだ。


「はあ」


 ダイアナ嬢が、ため息をついて教科書を閉じた。


「聞いて差し上げますよ、王子殿下」


 呆れたように言うので、アレンは思わず笑みがこぼれた。


「助かるよ。ダイアナ嬢」

「それで?」

「アーロンが、妙なことを言っていて」

「妙なこと?」

「登校しないと一生後悔するぞ、って」


 昨日、アーロン・タッチェルから手紙が送られてきたのだ。しかも、王宮のアレンの執務室に直接届いたものだから驚いた。重要な用件だろうと慌てて開封すれば、『お前、そろそろ学院に登校しないとヤバいぞ。一生後悔する』とだけ書かれていたのだ。それに加えて、もう一つがあったので、今日はこうして登校してきたというわけだ。


「そうね。そういう状況かもしれないわね」

「どういう状況なんだ?」

「……それはそうと、あなたの方はどうなの?」

「俺の方?」


「婚約の噂、もうみんな知ってるわよ」


 『婚約の噂』、その言葉にアレンの肩がビクリと震えた。


「アルバーン公爵家のご令嬢でしょう? 良い話じゃない」


 客観的に見れば、良縁であることは間違いない。客観的に見れば、だ。


「モナハン伯爵家の三男とは釣り合いがとれていないと言えばそうだけど。そうは言っても、モナハン伯爵家は王妃殿下の親戚筋だもの。家格としては、それほどおかしな話じゃないわ」


 トン、とダイアナ嬢の指が机を打った。


「アルバーン公爵家の現当主様の嫡子は、令嬢が3人だけ。いずれかの令嬢と結婚して婿養子に入り、あなたがアルバーン公爵家を継ぐんじゃないかって噂まであるわね」


 トントン、とその指がせわしなく机を叩き続けた。


「あなたが王子であることを明かせば、公爵位の継承というのも当然アリよ。アルバーン公爵家は、そもそも王家とも近い血筋だもの」


 彼女がこの件を、かなり不愉快ふゆかいに思っているらしいことは火を見るよりも明らかだ。


「それで? その話はジリアン嬢には伝えてあるの?」


 グサリと、真っ向から刺された気分だった。


「……まだ、決まった話じゃない」

「馬鹿ね。あちらは決まった話にのよ。だから噂が流れたんでしょう?」


 ダイアナ嬢の言う通りだ。この縁談に乗り気なのは、むしろアルバーン公爵家で。現国王の嫡子を婿養子として迎えられれば、家門にとって悪いことは一つもない。まだ王子であることを公表していない『アレン・モナハン』との婚約を公にすることで外堀を埋めようとしているのだ。


「ジリアン嬢の気持ちを考えたことは?」

「いや、だって……」

「……最低」


 言いよどんだアレンに、ダイアナ嬢の言葉が突き刺さった。


「後悔すればいいわ。一生ね」


 ガラリと扉が開いて、他の学生たちがが教室に入ってきた。試験の開始時間が近いのだ。


「ジリアン嬢!」


 ダイアナ嬢が手を振った。その先には、アレンが会いたくて会いたくて仕方がなかった彼女がいた。


「ごきげんよう、ダイアナ嬢!」


 手を振り返したジリアンが、アレンに気付いて表情を硬くするのが分かった。


「ジリアン……」

「どうかしましたか? ジリアン」


 アレンの声に、誰かの声がかぶさった。


(誰だ?)


 ジリアンに続いて教室に入ってきたのは、見慣れない容貌ようぼうの男だった。


「何かありましたか?」


 長い黒髪を束ねもせずに垂らしている、翡翠の瞳を持つ異国の男。


(あれが、テオバルト・マルコシアス侯爵……。でも、どうして)


 彼が親しげにジリアンの名を呼ぶのが何故なのか、アレンはただただ驚いた。


「なんでもないわ」

「そうですか。ああそうだ、試験のヤマを教えてくれませんか?」

「ヤマ?」

「正直、自信がないんです」

「ふふふ。いいわよ」


 ジリアンとマルコシアス侯爵は、笑い合いながら連れ立って教室の奥へ入っていった。いつもならアレンに駆け寄って挨拶をしてくれるはずのジリアンは、アレンと目を合わせようともしない。


「ダイアナ嬢」

「何よ」

「なんだよ、あれは」

「説明が必要?」

「いや、わかるけど、……なんで」

「あなたも運が悪かったとは思うけど……自業自得ね」


 ダイアナ嬢の一言には頭を抱えるしかなかった。





「ジリアン!」


 アレンがジリアンを捕まえることができたのは、放課後のことだった。一日中避けられたりマルコシアス侯爵に邪魔されたりしたが、ようやく彼女が一人でいるところに声をかけることができたのだ。


「……なに?」

「なにって……。怒ってるのか?」


 尋ねたアレンに、ジリアンの眉が下がった。


「怒ってなんかないわよ」

「じゃあ、なんで避けるんだよ」

「アレンこそ」


 普段ならくりっとして可愛らしい瞳が、じとっとアレンをにらみ上げた。


「手紙、くれなかったじゃない」


 アレンは、思わず天をあおいだ。

 忙しさにかまけて、ここ2週間ほど彼女に手紙を書けていなかったのは事実だ。


「ごめん」

「うん」


 二人の間に沈黙が落ちた。こんな風に気まずくなったのは初めてのことだ。お互いに話さなければならないことがあるのに、それができない。

 アルバーン公爵令嬢との婚約について説明しなければならないと思うのに、アレンにはそれができない事情があるのだ。


「……首尾しゅびは?」


 脈絡みゃくらくのない問いだったが、ジリアンには何のことか分かったようだ。渋い顔だが、小さく頷いた。


「まあまあ」

「何もジリアンがやらなくても」

「大丈夫よ。けっこう、上手くやってるつもり」


 マクリーン侯爵父娘には、が下されている。アレンはその件を尋ねたのだ。できれば、彼女にはさせたくない仕事だ。それを彼女に伝えるべきか否かを考えている内に、時間だけが過ぎた。


「ジリアン」


 そんな二人に割って入ったのは。マルコシアス侯爵だった。流れるような所作でジリアンの肩を抱いたので、アレンは思わずその手を払い除けてしまった。マルコシアス侯爵の眉がピクリと動く。


「何か、問題が?」

「ないと思うのか? 気安く触るな」

「おやおや。私とジリアンの仲を、ご存知でない?」


 思わず、アレンはマルコシアス侯爵を睨みつけた。


 魔大陸から来た若き侯爵。名目上は外交官補佐としての滞在だが、その実はただの外遊だ。彼にはやるべき仕事が特にあるわけではない。あえて言えば人脈づくりだ。そこで本人が国王に願い出て、王立魔法学院に留学という形をとることになった。


 アレンも警戒をおこたったつもりはなかったが、こうも学院に溶け込んでいるとは思わなかった。


「ずいぶんと、親しいみたいだけど?」

「ええ。ジリアンとは魔法戦術実習で手合わせして。それ以来、特別な仲です」


(しかも、こうもあからさまにジリアンに近づくとは……。目的はなんだ?)


 ジリアン・マクリーンはただの学生ではない。将来この国の要職に就く貴重な人材であり、魔法と産業の発展に寄与する天才。国にとっての重要人物なのだ。


「そんなに睨まないでください」


 マルコシアス侯爵が降参とばかりに両手を上げた。


「別に、あなたとジリアンの仲を邪魔するつもりはないんですよ」

「テオバルト! 私達は、別にそういう間柄じゃないのよ」


 慌てて言い募ったジリアンに、マルコシアス侯爵が目を細める。


「テオバルト?」


 思わず声を上げたアレンに、ジリアンは頷いた。


「ええ。友達だもの。名前で呼んだっていいでしょう?」


 アレンは愕然とした。

 ジリアンは親しい男子学生を名前で呼ぶことも、もちろんある。アーロンやイライアスがそうだ。


(でも、今のは……)


 それ以上の親しみがこもった、温かみのある声だった。


(そんな声で、俺以外の男の名を呼ぶなんて)


 それは、アレン以外ではマクリーン侯爵を『お父様』と呼ぶときだけだったのに。


「行きましょうか、ジリアン。お父様を待たせてはいけません」

「そうね」

「待ってくれ、まだ話が……」


 アレンが伸ばした手は、マルコシアス侯爵によって遮られてしまった。


「今夜は、マクリーン侯爵の晩餐に招待されています。遅れるわけにはいきませんので」


 気まずそうに、ジリアンも頷いた。

 よく見れば、マルコシアス侯爵は燕尾服テールコートに着替えている。正式な晩餐会に招待されているということだ。


「それじゃあ、また」


 手を振るジリアンに、アレンは挨拶を返すことすら出来なかった。

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