第30話 魔法の神秘


「あなたは、絶対に許さない」

「へぇ? 許さないなら、どうするのぉ?」

「潰す」

「わぁお。そういうこと言っちゃう感じの娘だったのぉ? 意外だわぁ」

「黙れ」


 怒りで身体が震えたのは、一瞬のことだった。ジリアンは、侯爵の教え通りに冷静に敵を分析して、冷静に攻撃を撃った。

 それなのに、彼女の攻撃は霜の巨人ヨトゥン族の男に有効な打撃を与えられずにいた。戦い始めて、すでに30分近くが経とうとしている。


「ふふふ。ほぉら、息が上がってきたわよぉ?」


 男の方は余裕だ。黒い凶悪な魔力は、次から次へとあふれている。


(勝てない、の……?)


 そう思った瞬間だ。




 ふと、あのときのことを思い出した。




 あれは訓練をはじめてすぐの頃。侯爵の放った魔法を、初めてときのことだ。



『避けるなと言ったはずだ』

『受けても相殺そうさいできないと……』

『それでも、だ』

『どうして、そこまで避けることを禁じるのですか?』

『お前は、魔法騎士団を率いると言ったな』

『はい』

『ならばお前が戦うとき、その背の後ろには誰がいる』


 はっとした。

 問われるまで、気が付かなかったのだ。


『騎士団が……』

『そうだ。お前が戦うということは、そういうことだ』

『はい……。でも、もしも攻撃を受ければ確実に死んでしまう、そう感じるような敵に出会ったときは?』


『冷静さを捨てろ』


『逆ではないんですか?』

『お前が剣士ならば、そうだ。強敵の前では常に冷静でなければならない』

『私が魔法使いだから?』

『そうだ。魔法は本来は人の手に余る神の技だ。人のままでは、いずれ限界を迎える』

『人が人でないものになれますか?』

『なれる。怒りを燃やすんだ。心のままに、魂を開放する』

『魂を、開放……』

『そうして初めて、人は魔法の神秘に近づくことができる』



(魂を開放する)


 怒りを抑えるな。心のままに、望みのために。


(この男は、私の父を愚弄ぐろうした。戦争で犠牲となった全ての魂に唾を吐きかけた)


 戦争のために、その身を捧げた父。祖国のため、人々のためにあらゆる犠牲を払った。愛する妻と子を看取ることすら許されず。それでも戦った。


 そうして勝ち得たのが、今だ。


(私は、それを守りたい)


 それが、ジリアンの望みだ。


(この男は、自分の快楽のために平和を壊そうとしている)


 ジリアンは、胸の真ん中で熱い何かが生まれるのを感じた。その何かは少しずつ膨らみながら、ジリアンの身体を突き破ろうともがき始める。


 怒りだ。

 ジリアンの怒りが、胸の中で渦巻いている。


 もっとだ。

 もっと怒れ。


「絶対に、許さない!」


 熱が、迸る。


 ──ボォッ!


 溢れ出した熱は、ジリアンの魔力と一緒になった。

 そして、燃え盛る炎に姿を変える。


(これが、魔法の神秘。これが、魔法の本当の姿……!)


「あらぁ。聞いてたよりも、人間ってすごいのね。黒い『魔法石』の力がなくても、そこまで魂を引き上げることができるだなんて」


 男が何かを話しているが、ジリアンの心には何も響かない。ジリアンにとって意味のない言葉など、ただの音でしかないのだ。


「ふぅん。これが、人間の『』ってことかぁ」


 男が、興味をなくしたように言った。


「こんなものに未来をかけるだなんて、ねぇ」


 最後のつぶやきは、ジリアンの耳にすら届かなかった。


「消えろ」


 その両手から生み出された真っ赤な炎が、男に向かって放たれたからだ。


「こりゃあ、無理だわぁ」


 ──ゴォォォォォ!!!!!!!!!


 燃え盛る炎が、全てを焼いた。

 男が生み出した氷など一瞬で溶かして、炎が全てを飲み込んでいって。


 男の身体は、消えた。


 文字通り、蒸発して消えたのだ。


「終わった?」


 ジリアンの前に残っているのは、倉庫の残骸ざんがい──といっても、そのほとんどが灰になるか蒸発するかしてしまった──だけ。ジリアンとアレンが斬った4人の男は、ジリアンの背後でもれなく失神している。


「……帰らなきゃ」


(アレンが心配してる)


「あれ?」


 踏み出した足が、カクンと折れて。ジリアンの身体はその場に倒れ込んでしまった。


(動かない)


 手も足も、ジリアンの意思ではピクリとも動かせなくなっている。


「そうよね。なんの代償もなしにあんな魔法、使えるわけないわよね」


 しっかりと記憶に残っている。ジリアンの体中から怒りと共にあふれ出たもの。あれはジリアンの魔力だ。それを全て放出して、あの炎を生み出した。


「すっからかん、ってことか」


 魔力が完全になくなってしまったので、身体の方にも影響しているのだろう。


(……ああ、眠い)


 ジリアンは、目をつむった。

 眠ってはいけないと分かっている。わかっているが、まぶたの重さに抗えない。


「少しだけ……」


 そうすれば回復するから。

 そうして意識を手放したジリアンに、近づく影が一つ。



「どうせなら、ちゃんと殺してくれればよかったのにね。まあ、いいや」


 少女だ。つややかな金髪に青い瞳の美しい少女。


「……もっともっと、いい殺し方、思いついちゃったもんね」





 * * *






「どういうことですか!? 説明してください!」


 王宮の一室には、今夜の動向を見守るべく国王と重鎮たちが集まっていた。

 そこへ駆け込んだアレンは、一目散に魔大陸の外交官に詰め寄った。


「なんの話ですか?」


 アレンはそのままの勢いで、外交官の眼前に例の黒い『魔法石』を突き出した。


「これの存在を知らなかったとは、言わせませんよ」


 その表情が怒りに燃えている。だが、努めて冷静であろうともしている。


「……申し訳ありません」

「我々に尻拭しりぬぐいをさせるつもりだったんですね」

「そういうわけでは……!」

「では、なぜ黙っていたんですか!?」


「落ち着け」


 外交官に掴みかからんばかりの勢いのアレンを止めたのは、マクリーン侯爵だった。肩を引かれたアレンが、荒々しい深呼吸を繰り返している。


「何があった」

「取引されていたのは、この黒い魔法石でした」

「なんだ、これは?」


 アレンの手から黒い宝石を取り上げたのは、モナハン伯爵だ。


「どうして、そんなものが!」


 驚愕したのは、王立魔法学院から招聘しょうへいされていたコルト・マントイフェル教授。


「これは、一体なんなのですか?」


 再びモナハン伯爵が問うと、外交官は渋い顔で黙り込んでしまった。

 代わりに答えたのは、マントイフェル教授だ。


「我々の言葉では『リトゥリートゥス』と呼ばれる宝石だ。『儀式』を意味する」

「儀式?」

「魔法の神秘への扉を開くための儀式だ」

「どういうことですか?」

「この『魔法石』を使えば、魂は開放され魔法の神秘へと至る扉が開かれる」


 わけが分からずに、誰もが首を傾げた。


「つまるところ、魂と身体を引き換えに強大な魔力を得る、ということだ」


 これには、室内が一気にざわついた。


「どうしてそんなものが!」

「魔大陸から、我が王国に流入したということか!」

「人の手には余るぞ」


「人間でも使えるのか?」


 その問いには、マントイフェル教授が頷いた。


「もちろん使える。魔力を底上げするだけでなく、複雑な理論を知らずとも魔法を扱えるようになる」

「なんと……」

「ただし、代償がある」

「魂と身体か」

「その通りだ。人間が使えば、あっという間に寿命が尽きる。それと……」


 マントイフェル教授は言いかけた言葉を一旦飲み込んで、外交官の方を見た。その問うような視線に、外交官が項垂うなだれるように頷いた。


「他にも使いみちがある」


 全員が、ゴクリと息を飲んだ。


「魔族は、この『魔法石』の作用に耐えられる。そういう身体だからな。だが、人間はそうもいかない。魔力の暴走が起きる」

「魔力の暴走?」

「魔力の多い人間に使えば、首都ハンプソムなど一気に消し飛ぶ。……もともと、そうやって兵器として使うために採掘が進められ、終戦後に封印された代物しろものだ」


 そこまで聞いて、マクリーン侯爵は部屋を飛び出した。アレンもそれに続く。


「侯爵閣下!」


 もちろん、呼ばれても返事すらしない。

 代わりにアレンが叫ぶ。


「取り引きをしていた王国側の人間が首都ハンプソムに逃れているかもしれません! オニール男爵を手配してください!」


 それだけ言って、アレンは侯爵に追いつくために必死で足を動かした。


「申し訳ありません」

「謝るな。どうせ、ジリアンが君だけを逃したのだろう」

「……はい」

「どうしようもないな」

「それが、彼女の美徳です」

「欠点だ。……自分のことなど二の次にして。君の気持ちを少しも考えていない」


 話しているうちに、二人は廊下の先のバルコニーに到達した。そのまま駆け抜けて、夜の街に向かって跳躍ちょうやくする。

 風を操り、一目散に現場へ向かうのだ。


 王宮の城壁を越えようとした瞬間。

 街の向こうで、炎がほとばしるのが見えた。


「あれは!」

「ジリアンだ!」


 侯爵が、さらに速度を上げる。

 アレンはそれに着いていくだけで精一杯だった。





 二人が現場についたときには、全てが終わっていた。

 灰になった倉庫街。4人の男の死体。





 ジリアンの姿は、そこにはなかった──。

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