第29話 復讐と怒り
──ザッ!
何かをかけられた。黒い粉末状のものだ。
「誰だ!」
オニール男爵の叫び声。
「しまった!」
黒い粉末をかけられたことで、二人の姿が見えているのだ。しかも、二人とも視界を塞がれてしまった。
「くそっ!」
──ブンッ! ブンッ!
アレンがやぶれかぶれに短剣を振った気配がしたが、何も斬れずに空振りする音だけが響く。
「それじゃ、頑張りなよ」
それだけ言い残して、ハワード・キーツの気配が消えた。
「捕らえろ!」
男たちの気配が迫る。このままでは捕まってしまう。
「『
ジリアンが唱えると二人を包んでいた黒い粉が弾け飛んで、視界がぼやけながら徐々に戻っていく。ぼやけた視界の向こうで、男たちが二人に迫ってくるのが分かった。
「アレン!」
「分かってる!」
こうなっては仕方がない。
「一網打尽だ!」
アレンの合図で、短剣を手に一歩踏み出した。同時に、風魔法で加速。
──ザシュッ!
「ぐぅっ!」
一人目の足を、膝の下で切断。
「『
──ドシュッ!
「ぎゃっ!」
二人目は水魔法で
右方では、アレンが二人を斬り伏せている。風魔法を使っているのか、とてつもなく疾い。
刹那。
冷たい気配が迫ってきた。
(これは……!)
アレンもわかったのだろう。すぐさまジリアンの近くに移動してきて、二人で背中を合わせる。
そうしている間にも冷たい気配は二人に
(この氷は、簡単には溶かせない)
「くくく。本当にマクリーンの後継者が来たねぇ」
言ったのは、黒いマントの男の一人だ。
男がマントを脱ぎ去る。真っ白の肌に真っ白の髪。そして氷のような真っ青な瞳。その姿は、『魔大陸史』の教科書で見たことがある。
(
「驚いているねぇ。
──ズズズズズズズ。
不気味な音を立てながら膨らんだ身体は、やがて倉庫の天井に頭が届いてしまうまでになった。
氷の瞳が、ジリアンたちを見下ろす。
「さあて。予定通りといえばそうだが、本当に来るとは思っていなかったからなぁ」
「ハワード・キーツめ。ムカつく奴だが、こういうところは外さないんだよなぁ」
予定通りということは、これは罠。どうやらハワード・キーツ、つまり貴族派には
(
「貴様、ジリアン! こんなところまで、わしの邪魔をしに来たのか!」
オニール男爵が寒さに震えながら叫んでいる。状況が全くわかっていないらしい。
(私達を罠にかけたのは、オニール男爵じゃない。この
「デブは黙ってなよぉ。本当に空気の読めない奴だなぁ」
「ふがふがっ!」
「しばらく、そうしてろぉ。……さぁて」
「ふぅん。血の繋がりがないくせに、あいつにそっくりだねぇ!」
「そっくりって、誰に?」
「私の一番嫌いな人間」
「嫌いな人間?」
「クリフォード・マクリーン。我が同胞の隊を壊滅させた人間さぁ」
男が笑った。
「さぁて。どうしてやろうか、この娘。氷漬けにしてバラバラに切り刻んでやろうか? 粉々にしてやろうか? それよりも、氷に閉じ込めて美しい氷像に仕上げようかぁ。永遠に溶けない氷の中で生き続ける娘を、あいつはどうするかなぁ?」
とても楽しそうに、舌なめずりをしながらジリアンを見ている。ネットリとした視線が全身にまとわりついて、ジリアンの背筋を悪寒が走った。
「
再び、男が笑う。
「可哀想になぁ。せっかく学校に入ったのに、友達もできなくて。辛かっただろぉ?」
「あの噂もお前の差し金だったのか!」
アレンが怒鳴ると、男はさらに笑みを深くした。
「私だけじゃないさぁ。その娘は、いろぉんなモノに恨まれてる。人族も魔族もみぃんな、お前ら父娘のことが大嫌いなんだよぉ」
「耳を貸すなジリアン」
「……うん」
「これは明確な条約違反だ。わかってるのか?」
「そんなの、私には関係ないよぉ? だってぇ、この日のために、ずっとずっと
男の身体が、もう一回り大きくなった。身体を曲げているのになお、その背中が氷漬けの倉庫の天井を押し上げている。
「本当は嫌だけど、ハワード・キーツに色々と協力したしぃ。そこのデブにも、いくつか便宜を図ってやった。ぜんぶぜんぶ、この時のためだぁ!」
男が叫びながら、あの石を取り出した。黒い『魔法石』だ。
「これがなんだか分かるかぁ?」
黙ったままのジリアンとアレンに、男が笑う。
「真っ黒の『魔法石』は、魂に作用する。真っ黒に染め上げて、支配する。そうやって、魂を極限の領域に引き上げるのさぁ」
「極限の領域?」
「さあ、魔法の神秘に触れる場所へ!」
おもむろに、男が黒い宝石を口に放り込んだ。
──ゴクンッ!
(逃げなきゃ!)
ジリアンの本能が叫んだ。ただでさえ、強敵である
(逃げなきゃ、アレンが殺される!)
──ブワァ!
黒い気配が、周囲を覆っていく。凶悪な魔力が、
「アレン!」
ジリアンは、叫ぶと同時に風魔法を発動した。『魔法石』の一つが、吸い寄せられるようにアレンの手元まで運ばれる。
「おやぁ。お前も使うのか? いいよぉ。その方が、楽しそうだぁ」
「勘違いしないで。私は、こんなものを使わなくても強いわ」
「ふぅん。強がっちゃってぇ!」
男の指がジリアンに向けられる。
刹那。
──キンッ!
絶対零度の冷気が、ジリアンに向かって放たれた。
鋭い針のようなそれを、ジリアンは間一髪のところで避ける。アレンと二人で、その場に尻もちをついた。
(
「アレン。頼むわよ」
「は?」
「私は大丈夫だから」
「お前っ!」
アレンが何か言う前に、ジリアンは渾身の力で炎魔法と風魔法を練り上げた。天井に『
「ジリアン!」
アレンの叫び声を無視して、その身体を穴から弾き出した。そのまま天高く舞い上がった身体は、王宮へ向けて飛ばされたはずだ。距離も方向も勘だが、すぐ近くまで行けるはず。
(怪我させちゃったら、ごめんね)
しかし、ここにいるよりも無事である確率は上がるはずだ。そうすれば、今夜中にあの黒い『魔法石』が国王の元へ届く。
(あれが、人間の手に渡ることだけは防がなきゃ)
人間が黒い『魔法石』を使えばどうなるのか。予想もできない、恐ろしいことが起こるような気がしてならないのだ。
「へぇ。さすが、英雄の娘は
「どうするの? あなたたちの企みは、すぐに
「私は別にいいけどぉ。あんたたちは困るんでしょぉ?」
男が言うと、オニール男爵が青い顔で何度も頷いた。
「行きなさい」
命じられて、まだ動ける人間と他の魔族たちが倉庫から走り去っていった。もちろん、オニール男爵もだ。
「さあ、行くわよぉ!」
──キンッ! キンキンッ!!
冷気の針がジリアンを襲うが、今度は受けた。
──ボォッ!
「『
盾で受けながら、同時に風魔法を練った。ジリアンとアレンが斬りつけて動けなくなっている4人の人間を、ジリアンの後ろに移動させる。
「死にたくなかったら、そこから動かないで」
「は、はい……」
「あんたぁ、優しいのねぇ」
「次は彼らを狙うつもりだったでしょ?」
「ふぅん。強い上に冷静で視野も広い。あんた、戦場でも英雄になれるわよぉ?」
「戦争は終わった」
「そうなのよねぇ。悲しいわ」
その言葉に、ジリアンの心臓がドクリと跳ねた。
「悲しいでしょぉ? 戦争のない世界なんてぇ!」
(戦争のない世界が、悲しい?)
背筋を、
「だって、つまらないじゃなぁい? 殺し殺され、そうして私たち魔族は生きてきたのに」
「あんたを殺せばぁ、また戦争になるかしらぁ? そしたら、一石二鳥よねぇ?」
──ニタァ。
心底楽しそうに笑った顔。
その顔を見た瞬間、ジリアンはその
怒りだ。
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