恥ずかしかったのでクールな女子中学生になりました

ゴオルド

恋をして、もう叫べなくなった

 それは中学2年の3学期の終わりごろのことだった。調理実習室の窓の外には小雪が舞っていて、私の目の前に立っている女子生徒の背中は燃えていた。ガスコンロから着衣着火したのだ。それに最初に気づいた私は、燃えるクラスメートに驚き、ぎょっとした顔をしたらしい。近くにいたほかの生徒たちは、私の顔を見てゲラゲラ笑い始めた。

「急に変顔して、どうしたの~」

「顔おかしい、やめて、笑いすぎておなか痛い」

 誰も火に気づいていない。本人すら気づいていない。冬用のセーラー服は厚みがあるからだろうか、背中が炎上していても本人はなぜか熱くないようだ。

 私は全力で叫んだ。

「火ぃぃぃ!」

 しかし、みんな笑うばかりだった。あとで聞いたところによると、私は「ひぃぃぃ!」とふざけて叫んだと思われていた。そのとき燃えている子までも笑っていた。あんた燃えてるんだよ、笑ってる場合じゃないよ。

 言葉が通じないので、私は調理台に置いていた教科書で燃えている子をバンバン叩いた。それで消火を試みたのだ。

 燃えている本人はやっと火に気づき、周りも数秒遅れて火に気づき、誰かが鍋にはっていた水をぶっかけた。それでどうにか鎮火した。彼女は火傷もせず無傷だった。クソの象徴みたいなセーラー服だが、火の回りが遅い点だけは評価してやってもいいと思った。

 火傷のないことがわかると、みんなまた笑い出した。私の顔が相当おかしかったというのだ。クラスメートが燃えてカチカチ山みたいになっていたことよりも、私の変顔のほうがインパクトが強かったらしい。

「だって、あなたっていつもクールだからさ。ギャップが面白くて」

 当時、私はわりとクールな女を気取っていたのだ。冷たい目つきをしていると人に言われて、そうでしょう、ふふんと思ったりしていた。

 しかし、同級生が燃えていたら、さすがに私もクールなふりなんてできなくて、中学2年生になる前の自分に戻ってしまった。素直に生きていた昔の自分に。好きな人がいても、変に意識せずにいられた子供だった自分に。

 中学2年生の私には、好きな人がいた。その人のせいで、私はクールな風を装うことになったのであった。

 相手は同じクラスの男子だ。イケメンでもないし、あまり印象に残らない平凡な男子って感じの子だった。だから出会って間もない頃は、普通のクラスメートとして接していた。異性として意識していなかった。しかし、ある日、それは確か5月の連休後のことだったと思うが、彼――宮田くんが、雪子ちゃんに「そうだね」って言ったのだ。それを隣で聞いていた私は唐突に宮田くんを好きになった。わけがわからない。でも、そうなのだ。多分、その「そうだね」がとても優しい響きを持っていたからだ。この「そうだね」にはいっぱいの愛情が詰まっていた。だって宮田くんは、雪子ちゃんに惚れていたのだから。その雪子ちゃんはというと後輩の1年生と付き合ってた。宮田くんは片思いだった。その宮田くんに私は片思いをしたというわけだ。学生時代にはよくある片思いの連鎖である。だが、当時の私はこのことは死んでも誰にも知られたくないと思った。恥ずかしい恥ずかしい死んでしまう。ほんと、死ぬから。理由? そんなものはわからない。わからないけど、恥ずかしい。わかるのは、「そうだね」って言葉が触媒となって、私を恋する女の子に変えたってことだけ。ああ恥ずかしい。絶対にバレたくない。どうしてだかわからないが死にそう。恋ってもっとハッピーなものなんじゃなかったっけ? 私のはなんか違うんですけどー。


 この恋は絶対に誰にも知られてはいけない。なんでかわからないけどそう思ったので、私は宮田くんと接するときは、気持ちを隠すためにクールに振る舞うよう心がけた。そう意識しないと、ついデレっとしてしまうからだ。そうすると、今度は宮田くんにだけなんか冷たいという感じになってしまうから、それはそれで好意がバレるのではないかと私は恐れた。自意識過剰にもほどがあるし、そもそもバレたところでたいして困らないだろうとも思うが、私は真剣に悩み、「誰に対してもクールに振る舞えばいいのでは?」という結論に至った。

 そうして、「私、クールな女ですけど」という人生が中2の5月に始まったのであった。


 親しい友人たちは、私の唐突なキャラ変にも柔軟に対応した。要するに追及せずにほうっておいてくれた。中2である。突然キャラが変わることもあるよね~。そんな感じ。キャラ変に関していうなら、むしろ友人たちのほうが変化が激しかった。女らしさの押しつけや、デメリットの多い体の変化とそれに伴う第三者のデリカシーのない視線にウンザリして、自分は本当は女じゃないんだといって男物の服を着たり、一人称が僕や俺に変わったりしていた。

 このクソみたいな現実に迎合してたまるかという気持ちは、女の子をいろんなものに変容させる。男物の服を着たり、逆にメイクやネイルに異常に凝ったり、ヤンキーになったり、風紀委員みたいになったり、あるいはクールになったり。自尊心を削ってくる現実と戦うのに最適な形態をとって、心を守ろうとするのだ。急に思い出したが、私の初キスの相手は女友達である。しかし私たちはレズビアンではなく、トランスジェンダーでもなかった。そのときは抑圧的な現実を破壊したくてちょっと変容していただけだ。思春期を抜け、ハタチを過ぎたころには、私たちはわりと平凡な女性になっていた。「もとに戻った」と言うべきか。誤解しないで欲しいが、私はLGBTを否定しているつもりはない。世の中にはそういう人もいるのだろう。ただ、私たちはそうじゃなかったってだけ。ちょっとだけ勘違いしかけたけれど。

 中学2年の私は、残念な現実なさけないわたしを認めたくなくて、クール形態へと変化したのだった。傷つくのも百も承知で一歩踏み出すことができなかった弱虫な自分からの逃避である。死ぬほど恥ずかしいと思ったのは、自分の自信と勇気のなさに対してではなかろうか。雪子ちゃんはあまりにも可愛すぎた。私なんかが勝てるわけがないもん。死にたい。そんな感じ。



 ある日、クラスでくす玉を作ることになった。どういう目的だったのかは覚えていないが、くす玉のデザインを考えろと先生から命じられた。私たち生徒は、おのおの好き勝手なくす玉の絵を描いた。オーソドックスな丸くて赤いくす玉、青くて三角のくす玉、クジャクの羽みたいなのがついた虹色のくす玉――、くす玉なんて誰が描いても似たような物になると思っていたが、案外個性が出るものだった。

 先生はくす玉のデザイン画の中から4枚を選び、黒板に貼った。人気投票を行い、1位に選ばれたくす玉をクラスで制作するとのことであった。花びらが突き刺さっているような黒板に貼られていた。私が描いたくす玉だった。最終選考に残ったのだ。私は手のひらに嫌な汗をかいた。というのも、私の絵のとなりに貼られたくす玉があまりにも素晴らしい出来映えで、どう考えても勝ち目のない公開処刑であることが一目瞭然だったからだ。それはまるで美少女とぱっとしない私が一緒に並ばされているかのよう。つらい……。


 生徒たちがわらわらと黒板に群がり、チョークで正の字を書いて票を投じていく。予想どおり、素晴らしいくす玉のデザイン画が多数の票を集めていた。

 私のくす玉は0票。まあ、そうだろうなと頭ではわかっているのに、心ではガッカリしていたら、なんとなんと宮田くんが、私のくす玉に1票を投じた。

 え、どういうアレ? これって何? 自分でいうのも何だけど私のくす玉は良くないよ。え、もしかして「描いた人」を好きな感じ? 宮田くん、脈ありな感じ?

 私は一気に浮かれて心は大気圏外へ舞い上がり呼吸困難になり、体は温泉にでも浸かっているような夢心地となった。しかし、どこか遠くから声が聞こえてくる。なんだろうと耳を澄ませると「んなわけねーわ」と言っている。私の現実認識能力が私自身にツッコミを入れているんだ。最初は聞こえないふりをしていたけれど、「わかってるくせに」と何度も耳元で叫ばれて、無視できなくなった。

 宮田くんは雪子ちゃんが好きだ。

 そして、雪子ちゃんがクラスで一番仲良くしている女子は、この私である。

 つまり宮田くんは、好きな子の女友達である私に投票することで、遠回しに雪子ちゃんになんかこうアレだ、ポイントを稼ごうとしたのは明らかだった。

 投票が終わり、ナンバーワンくす玉が決定した。もちろん私のくす玉じゃない。

 雪子ちゃんは私に投票してくれていた。私のくす玉は最終的には幾らかの友情票とまず馬を射んと欲する男子の票だけを獲得していた。

 残念だったねと話す雪子ちゃんに、宮田くんも同意しながら会話にまざってきた。その視線は雪子ちゃんにだけ向けられており、私のことは全然残念と思ってなさそうであった。あっなんだろう、なんだか喉の奥が痛い感じがしますけど、風邪でしょうか。あと胃と肺と心臓も苦しい気がします。胃もたれでしょうかっ。私の心は地下3000メートルまで落ちて土砂にペシャンコに押しつぶされ、体はアイスランド沖を漂うことになった。アザラシが私に声をかける「おかえり」。ご丁寧にどうも。私はクールな女子中学生。アイスランド沖がホームなのである。ああ、この海は芯から冷えていく。浮かれた恋心など一瞬で冷却してくれるのではないだろうか。

 海を漂っていたら、雪子ちゃんに話しかける宮田くんのうなじに細い毛がみっちりと生えていることに気づいた。どこからが髪の毛で、どこからが背毛せなげなのか曖昧な毛である。見るからに柔らかそう。触ってみたい。ちょっとつまんでみたい。舐めてみたらどんな舌触りであろうか。でも、そんなことはしない。私はセクハラ女でもなければエキセントリック系女子でもなく、クール系女子なのである。いまはただ宮田くんの声に耳をかたむけて、少し心の奥がぽうっとあったまるのを感じるだけで満足なんだ、そう自分に言い聞かせるのだ。このぽうっとした熱は消すのが難しい。どうやらアイスランドの海水でも冷やすことが難しいようだった。せめてにやけた顔にならないよう、クールな顔つきを心がけるのであった。


 ところで、私には杉内くんというがいた。その名のとおり、一緒に叫ぶだけの仲である。

 私たちが中学1年のとき、普通の言葉をイントネーションを変えて叫ぶという遊びがクラスで流行り、だがそんな小学生みたいな遊びはみんなの成長と引きかえに廃れていき、大人になるのが遅めな私と杉内くんだけが、この遊びを続けていた。

 杉内くんとはほとんど会話をしたことはない。ただ鳥のように叫び合うだけの間柄であった。私たちは2年生になってクラスが変わっても、廊下ですれ違ったりすると、お互いに叫び合っていた。


 私がクール系女子中学生になったある日、わたり廊下で杉内くんとすれ違った。

 杉内くんは叫んだ。

「五里霧中(↑→→↑)」

 これまでの私であれば、「四面楚歌(→→↑↑)」と返すところである。「五分五分(→↑→↑)」でもいい。これらは確実にウケる鉄板ネタである、二人の間では。しかし。

 私は杉内くんにフっと微笑みかけ、そのまま通り過ぎた。キマッた! と心の中で思った。何が? いや、こうクールな雰囲気がキマッてたでしょう? もう私そういうのやらないの、ふふん、みたいに演じた自分に酔った。クールやろが、どやあぁ!

 それ以来、杉内くんは私と会っても叫ばなくなり、お互い静かに会釈するだけになった。

 ああ、人を好きになるというのはなんて不自由なのだろう。どうしていつまでも杉内くんと叫んでいられなかったのだろう。



 そういえば。変化したのは私たち女子だけではなかったことを思い出した。

 私はクラスの男子とは、一部生徒とは仲良くして、一部生徒とは「犯すぞ」「なんだとクソが殺すぞ」と言い合うぐらい憎み合い、大多数とは波風立てずにやっていた。この一部の仲良し男子たちが、いつの頃からか腕相撲を私とはしてくれなくなったのだ。私の手を握るのが嫌なのね! とショックを受けかけたけれども、指相撲はやってくれるので、手を触るのが嫌なわけではなさそうだ。きっと女に腕相撲で負けるのを嫌がって、私との勝負を避けるようになったのに違いない。私は腕力はさほどないが、どういうわけか腕相撲だけは強かった。たいていの男子は瞬殺できた。多分力を入れるタイミングの差で勝っていたのだろう。それでも勝ちは勝ち。

 もしかして男子はわざと負けてくれていたのだろうか? その可能性はゼロではない。そうだとすると、成長するにつれ、わざと負けてあげることが不可能になったということなのか。

 どちらにせよ、男子だっていつまでも小学生のままではいられないらしい。それも少し寂しかった。笑顔のままで、私との間に線を引くのだ。私が杉内くんとの間に線を引いたのと同じように、その理由をいちいち説明なんかせずに。



 そんな感じで3年間の中学生活を送り、宮田くんとはそのまま何も発展することなく中学卒業と同時に縁が切れた。卒業式では泣いてしまった。もう会えないなんて。「卒業式なんかでは絶対泣かないキャラだと思ってたのに」と同級生からは驚かれた。いやだってクールなのは演技ですから~。アイスランド沖がホームだというのはまったくの嘘で、本当は日本の田舎の麦畑の脇を流れる、ひょいとまたげる幅しかない小川こそが本来の私のホームである。メダカが私に声をかけてきた。「自分が何者かってことを忘れるなよ。自分を見失ったら食い物にされる世の中だ」としゃくれた口で言う。そうだな、ブラザー。おまえの言うとおりさ。小川の近くには野蒜のびるが豊かに茂り、本当の私はそれを摘んで帰って、茹でて味噌をかけて食べて「美味いのう、わはは」と笑って酒をかっくらって板張りの床に大の字になって寝てしまうような感じの女なのである。もちろんこれもちょっと嘘である。


 高校に入っても、私はクールキャラのままであった。「全宇宙を見下した目をしている」などと言われたりして、そこまでは言い過ぎだと思ったりしていた。もうクールぶることはやめているのに、「冷たそう」と言われていた。クールを演じすぎて、本来の私が変容したのだろうか。



 社会人になっても、人からクールだ、冷たそうと言われることが多い。

 宮田くんのせいだと思う。一人の女をキャラ変させた彼は、いまどこでどうしているのだろう。大人になった彼の「そうだね」って声をまた聞きたいような、聞いたら再び恋をしてもう二度と戻れなくなるような、そんな震えるような気持ちでいる。宮田くんからしたら自分の知らないところで勝手にこんなことを思われてしまって、いい迷惑であろう。でも恋ってそういうものじゃない?


 <おわり>

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