第5話 思惑、そして未来へ

(アルジャーノン……! どうか無事でいて……!)


 人外最強と謳われる【悪魔竜】が二体、拉致された息子を救出すべく上空を舞う。

 そんなことなど露知らず、港には多くの人が集まって歓声を上げ、陽気な音楽を奏で、ナタリア祭を楽しんでいる。


 港に集う商人たちの貿易船。その最奥に停まる一隻の黒い巨大客船。

 甲板で見た蝙蝠型の人外は、アルジャーノンを連れ船内へと入っていく。

 その光景を見たマイラは怒りで瞳孔を開かせ、今にも天災レベルの落雷を落とす勢いで腕を振り上げた。

「マイラッ!」

 そんなマイラを漆黒の【悪魔竜】が静止させた。


「心配する気持ちはよくわかる。けれど、船ごと吹き飛ばせばアルジャーノンが危険だ。……それに港にも、大勢の人たちがいる」

 金色の瞳が真っすぐマイラを見つめる。

「……ごめんなさい、頭に血が上ってしまって……怒りのまま船を木っ端みじんにするところだったわ」

「船の中にも乗客がいるかもしれない。落ち着こう」

「……そうね、港の人たちも巻き込まない。約束するわ」

 少し冷静さを取り戻したマイラに、アーサーはコクリと頷く。


 マイラとアーサーは二手に分かれた。

 船の中の通路には赤い絨毯が敷き詰められ、階段や壁、至るところに名画や豪奢な飾りが施されている。

 そんな豪華客船のドアを蹴りやぶり、引きちぎり、猛進する【白銀の悪魔竜】。

 待ち構える人外を次々とぶん投げながら、アルジャーノンの捜索を進めた。

(これは紛れもなく王家の船……。だけど、)

(……なにこれ。人外しかいないじゃない)




 ***




「ボス、報告します! 【悪魔竜】の暴走が、とッ止まりませんッ!!」

 慌ただしく入室した一体の人外が、勢いよく現状を伝える。


「あの【悪魔竜】を相手にしてるんだ、想定内だろうが」

 声の主は、暗闇の中で大きな牙を光らせる。

「は、はい。そう……なんですが、それが【悪魔竜】の一撃で全員気絶させられておりまして、血液の採取など到底……む、無理で」

 怒りのボルテージを上げた【悪魔竜】二体の猛攻を思い出し、監視役の人外はガクガクと身体を震わせ怯えている。


「で?」

 ボスと呼ばれる人外は、隣に控える幹部に冷たい視線を送った。

「私が出ます」

 そう言って、一体の獣人が立ち上がった。




 ***




 その頃マイラは、デッキ最下層の貨物置場に来ていた。

 吹き抜けの構造をしたスペースに、長旅を想定した貨物が天井まで、壁のように積まれている。

「アルジャーノン……」

 まるで迷路のような狭い通路を進みながら、捕らわれた愛しい息子の姿を捜索する。

 その時、積まれた貨物の間にゆらりと動く影を捉えた。

「誰!? 出てきなさい」

 物陰から姿を現したのは一体の狼型をした獣人だった。

 枯草で編んだ笠を深く被り、異国の武士を思わせる装束を身に着けている。

 ゆらりと動くその身体には黒い靄のような影を纏わせる。


「珍しい。……【我狼族】(がろうぞく)ね。私の息子はどこかしら」

 狼型の獣人で影に溶け込むことのできる【我狼族】の存在は、【水竜】レフィーネから聞かされていた。


「我が名はコクラン、【我狼族】の長を務める者。貴方に非は無いが、こちらとしても事情がある故……失礼する!」

 コクランは身体に纏う影を揺らし、とぷん、とまるで水に潜るように手近な影に身を隠した。

 マイラは目を閉じて構え、五感を張り巡らせる。

 手当たり次第咆哮を打つことは可能だが、この最下層で風穴を開けてしまえば船が沈んでしまう。

 未だアルジャーノンを救出できていないマイラは、近接戦のみに戦法を封じられていた。


 マイラから伸びる影、その陰に潜むコクランがマイラの背後に立ったその時。

 わずかな空気の揺れを察知したマイラはその小回りのきく身体を回転させ、対峙したコクランの首元をがしりと掴んだ。

「私の質問に……」

 息を吐き出しながら勢いよく身体を折りたたみ、そこに回転を加えてコクランを地面にたたきつけた。

「答えなさぁいッ!!」

 ドシン……ッ!!

「グ、ハッ」

 背中の衝撃が、時間差でコクランの脳を揺らす。

 あわせて関節技を数か所決め込んだマイラは、苦痛に悶えるコクランの目の前に立った。

「息子の! 居場所は! どこかしら!!??」




 ***




 コクランからアルジャーノンの聞き出したマイラは、中央階のホールに向かう。

 さすがは王族仕様の豪華客船。音楽鑑賞やショーを楽しむことができるようにと、複数の娯楽施設が用意されていた。

 吹き抜けの構造で造られたホールは、船の中であることを忘れてしまうような広さで、繊細な刺繍が施された絨毯が敷き詰められており、まるで宮殿の中のようだ。

 薄暗く照らされた照明の中、マイラが入ってきた扉とは別の扉がギィッと音を立てて開かれた。

「マイラッ!」

 現れたの、アーサーだった。

 暫くぶりに合流した二体の【悪魔竜】は、警戒しながら赤い天幕が降ろされたホールの中心に向かう。

 すると突然照明が消え、奇妙な笑い声が響く。

「ふふふっ、ふふふふ…」

 舞台にかかる天幕がゆっくりと開かれると共に、声の主がそのバリトンの声を張り上げた。

「ようこそ! 人外最強組織“レイヴン”へ!!!」


 ホールの真ん中に設置されたカウチソファには、百獣の王が二体の【悪魔竜】を見下ろす形で座っている。

 ゴシックなロングコートを羽織ったその獣人は、黄金のたてがみをなびかせて鋭い牙と爪を光らせている。


「我が名はライネル、人外組織“レイヴン”のボスを務める」

 ライネルはソファから立ち上がり続ける。

「我ら“レイヴン”が目指すのは人間と人外の“共存”。間違っても人間が人外を追いやることなど言語道断なのだ。共存の中で、どちらが上の存在かを示すために作ったのが、この“レイブン”である」

「わざわざそんなことする必要あるかしら?」

「なぁに、人外にとって人間はいてもいなくても良い存在。あくまで“レイブン”は、人間が間違いを起こさないための分かり易い“脅威”だ」

「それで? 私の息子を連れ去ったことと、何か関係があって?」

「“脅威”であり続けるためには、人間が人外に対抗するなどという思考になりもしないほどの強さでなければならない。そこで人外最強を誇る【悪魔竜】の軍隊を作るのだ。なに、貴方は【悪魔竜】の一滴の血さえ分けてくれればそれで良い」

 ライネルはロングコートのポケットから注射器を取り出して見せた。


「……私の息子はどこにいるの?」

 ライネルに冷たい視線を向けるマイラ。

「ここにいるさ」

 ライネルが指をパチンと鳴らすと、どこからともなく牛骨を被ったローブ姿の人外が、アルジャーノンを抱きかかえて現れた。


「ッ!」

 アルジャーノンは意識を失っているようでぐったりとしている。

 マイラはひゅっと息を飲んだ。

 アルジャーノンの笑顔が、頭の中で走馬灯のように何度も繰り返される。

「アーサー!」

 マイラの合図とともに姿を消した漆黒の【悪魔竜】は、牛骨面の人外からアルジャーノンを奪う。

 牛骨面の人外が無抵抗なのを見て、ライネルが口を開く。

「まぁ良い。人間はあくまで取引材料のひとつ。【悪魔竜】と対峙したいわけではないからな」

 アルジャーノンを抱きかかえて空中を舞ったアーサーは、マイラとすれ違いざまに「脈はある。ガレリア先生のもとへ」とだけ言い残し、その大きな翼を羽ばたかせてその場を去った。


「さてと」

 マイラは一度目を伏せて、ライネルに向き合った。

「貴方たちの目的はわかったわ。人間と人外との共存は、私も同じ願いよ。ただし、【悪魔竜】の血は一滴たりとも渡さない」

「なっ!」

 ジリッと後ずさるライネル。

 

 アルジャーノンの奪還には成功し、この船に人間はほかにいないことから、マイラは怒りのまま、船ごと大破したい衝動に駆られていた。

 しかし、港には多くの人が集まっている。祭を楽しむナタリア国の人たちに、あの時のような天災をぶつけることは避けなければ。

 アーサーのおかげで冷静さが残っていたマイラは、指をあちらこちらに指し、方角を気にしはじめた。

「え~っと、あっちが港でこっちが沖……あれ? 逆かしら? 合ってるわよね」

 ぶつぶつと独り言を終えると、ライネルにまた向き合って言い放つ。


「どんな目的も、子どもを拉致する理由にはならないのよ!!」


 ──瞬間。

 くわっと大きく開けたその喉奥で、まるで小宇宙のような黒い渦がバチバチと弾く。 

 マイラはカッと目を見開き、ライネルに向かって真っすぐに咆えた。

 ライネルにぶつけた黒い咆哮は船の壁に大きな穴を開け、沖に向かって一筋の光を伸ばす。

 闇と風と雷を含んだ強烈な咆哮を受けたライネルは膝から床に崩れ落ちた。

 そんなライネルに冷たい視線を送りながらマイラは告げる。

「貴方を塵にしなかっただけ感謝しなさい」




 パチパチパチパチ

「いや~見事でしたぁ」

 ぽっかりと開いた風穴を眺めて、拍手を送りながら入ってきたのは人外対抗組織“シラヘス”の隊長を務めるオスカー・オウエン。


「まさか【悪魔竜】の咆哮が見られるとは……良いタイミングで来られましたよ。しかもこの船、ただの客船じゃなくて実は人外に対抗するべく作られた戦艦でもあるんですけどねぇ。こんなにあっけなく壊されてしまうなんて、いやいやいや、見事です」

「……オスカー様、遅いですわ」

「あぁ、すみません。今日はナタリア祭で、朝からずっと城に籠っておりましたもので」

 その無機物のように整った顔を口元だけ綻ばせ、気持ち程度の謝罪をするオスカー。

「私、一刻も早く帰りたいのであとは頼んでもいいかしら?」

 変態を解いたマイラに上着を着せながら、オスカーは告げる。

「ええ。盛大な片付けが残っておりますが、あとは私どもにお任せください」

 その笑っていない濃紺色の瞳を横目で見やるマイラ。

(う……、さすがに王族の船を壊しすぎたのは認めるわ……でも)

「人外と対抗するべく作られた艦船って言ったけど、これじゃあ脆すぎるわ。ライネル、だったかしら。彼が言ったように、そもそも人間が人外に対抗するのに無理があると思うけれど」

「……本当に仰々しくてすみませんね。そうなんですよ。人間が今のまま、人外としようとすること自体が無理な話なんです。ここは“ただの採血会場”として用意しただけなんですけど何だか手違いで……」

 マイラの耳元でそう告げるオスカーの右手には注射器が持たれており、マイラの右腕にはしっかりとその針が刺されていた。

「え……?」


 マイラは咄嗟に腕を抜いた。

 そのまま注射器を奪い取ろうとするも、結界によって弾かれてしまう。

 いつの間にか姿を表した牛骨面の人外が、オスカーの後ろで魔法陣を張っていたのだ。

「オスカー……?貴方何を……」

 血の溜まった注射針を、恍惚とした表情で眺めるオスカーは言った。

「私達が望むのは、はじめからこれだけです。【悪魔竜】の血。これがどれだけ尊いものか。それを貴方は独占し、いつまでも最強の座を譲ろうとしない」

「何を……言っているの」

「さっき貴方も言ったでしょう。人間が人外に対抗するなんて無理な話なんです。次元が違いますから。用意された人外対抗組織“シラヘス”は、所詮形だけ。そんなところに貴方が現れた。人間でありながら、人外最強の力を持つ貴方が」

濃紺色の瞳がじっとマイラを見つめる。

「現国王は人外の存在をひた隠す。そうじゃないんだ……! そんなのは共存なんて呼ばない。貴方のような存在が、この世界には必要なんですよ。人と人外が共存するためには、最強の力を持った両者を統べる王たる存在がね!!!」

 マイラは黙ってオスカーを観察する。

 理想を語るアーサーは、狂気を孕んだ目でマイラを見つめていた。

「なのに貴方はその座に座ろうともしない。人外最強の【悪魔竜】、そして始祖から血を賜りし伝説の白銀色。その限られた位置から見下ろす景色はどうですか? 傲慢が過ぎると思いませんか」

 マイラはぎりっと歯を食いしばる。

「そうだ。貴方が唯一血を分けた、アーサーという男。あの男の素性について教えましょうか」

「アーサーのこと、何か分かったの?!」


 ずっと気になっていたこと。

 彼が誰で、どこから来たのか。

 なぜあの土地で怪我を負って倒れていたのか。

 いつでも誰にでも優しい彼が頭をよぎる。


「人外の存在を知るのは限られた一部の人間のみ、それは他国も同じです。そして我ら人外対抗組織“シラヘス”は、他国にも存在しています。アーサー……彼は隣国、ラーナ国で“シラヘス”団長を務めるレオン・グラントという男。グラント公爵家の次男です」

「なんですって…!?」

 アーサーがラーナ国のシラヘス団長!?

 しかも公爵家……ということは王族の血縁……!?

 命を助けるためとはいえ、人外にした彼の正体を知りマイラは青ざめた。


「オスカー、貴方は初めから知っていたの?」

「ええ。団長同士、顔を合わせる機会はありましたから。ハリソン領地でお会いした時は驚きましたよ。殺したはずの彼が生きていて、あまつさえ貴方の血を賜っていたなんて、ね」

「……貴方が……アーサーを傷つけたの?!」

「ええ。同盟国であるラーナ国とシラヘスを統一する動きが出ていたんですが……彼とはどうも意見が合わなくて。人外が多く住まうハリソン領なら、彼が死んでいたとしても人外の仕業として片付くでしょう」

「ちょっと、我が領地は死体置き場にしないでくださるかしら……。それにその言い草、もしかして王都での拉致・強奪も人外のせいにしようと貴方が企てたものじゃなくて?!」

「そうだとしても、もう関係ありません。この血を手に入れた。子を産み母となり、とうに物語の主人公ではなくなっているのだから、そろそろ降りろよ。その座から」

オスカーは冷たい視線を向けながら言い放つ。その腕には、注射針を刺しながら。

(まずい!!!)



 ビキビキ、ビキビキ、と骨が軋む音がする。

 オスカーの鍛え抜かれた身体は筋肉を巨大化させ膨らみ、着ていた服は四方に弾け飛ぶ。

「うああああああはははははははは!!! 【悪魔竜】の力を我が手に!!!!」

 明らかに常軌を逸している様子のオスカーが、高らかに声をあげる。

 その人形のように整った顔面が、みるみるうちに錆びた鱗で覆われていく。

 ……錆びた色の鱗? ‥‥‥漆黒の鱗ではなく?

 骨を歪ませて生える角や尾、そして翼は、【悪魔竜】のものとは思えないほど弱々しく、せいぜい蝙蝠型の【魔族】程度の大きさだ。

 一度は膨らんだ筋肉もすぐに衰えて、まるで老人のようにやせ細っている。

 そこには、随分と不出来な竜人の姿があった。


「なぜだ……!? なぜなんだぁぁぁぁぁ………!?!?」

 完成した姿は人外最強には程遠く、膝から崩れ落ちて狼狽えるオスカー。

 マイラはアーサーに血を与えた時と、何が違うのかを考えていた。

(あの時は、もっと白い光に包まれていたはず。私の時はどうだった…?始祖から血を賜ったとき……)

「そういえば……」


 真っ白なベールに包まれた“彼”が、あの時最期に言った言葉。

『……【悪魔竜】は絶滅危惧種。お前が血を分けたいと願えば、【悪魔竜】を増やすこともできようよ。願わくば……人間と人外の共存ができる未来へ……』


「つまり、血を与える側が【悪魔竜】の完成を願わなければダメってことね」

 変態を解いたオスカーは、真っ青な頭を抱えた。

「そ、そんな……そんなことって……!!!」

 取り乱すオスカーに一歩一歩近づくマイラ。

「来るな! 来るなぁぁ!! 来ても無駄だ、そうだ、結界!!」

 結界の効果は続いているようで、オスカーの足元でポゥッと薄緑色の魔法陣が浮かび上がった。

 それでもマイラは足を止めず、オスカーの後ろに控える牛骨面に向かって言った。

「そこの面を被った貴方。この結界を解き、オスカー・オウエンを捕縛しなさい」

 すると牛骨面の人外は、突然肩をガクリと落としたかと思うと、ゆらりゆらりと身体を揺らしはじめる。どうやら足がおぼつかない様子だ。

 オスカーの足元にあった円形の魔法陣は、そのまま上へ上へと浮かび上がり、やがオスカーの腰付近まで浮上したかと思うと、身体全体をギュッと締め付け捕えてしまった。

「……ッ! どういうことだ!?」

 信じられないといった表情で、マイラを見やるオスカー。

「牛骨面の彼。前に一度、主従関係を結んでいたのを思い出したのよ」

 どこかで見た人外だと思ったのよね~、と軽口をたたくマイラ。

「は……? そんな、それじゃあ初めから……」

「子を産んだとて、夫が亡くなったとて、私の物語は私が主人公よ。母になったら子どもに主人公を譲るですって? そんなの道理が通っていないわ。第一、息子もそんなこと望んでないし。自分の人生ですもの、いつどんな時でも、自分がすべて選択をして今があり、未来があるのよ」

「そんな……、そんなことって……」

 オスカーは抵抗をやめ、力なく項垂れながらブツブツと何かを呟いている。


 そこにようやく現れた“シラヘス”本隊に、今回の計画を企てた人外組織“レイヴン”のボスと幹部、そして別人となり果てたオスカーの身柄を引き渡した。

「ハリソン卿、人外組織“レイヴン”の壊滅、および……オスカー・オウエンの捕縛にご協力いただき感謝いたします!」

 オスカーの元部下と思われる男が、まっすぐな目でマイラに敬礼をする。

「あの牛骨面の人外とは主従関係にあるから、ことの詳細は彼に尋ねるといいわ」

 マイラは牛骨面の人外に「今回のこと、何を聞かれても正直に話しなさいね」と言い残し、早々に船をあとにした。

 



 ***




 マイラは大きな翼を羽ばたかせ、家路を急いだ。

 牛骨面の人外に抱かれたアルジャーノンがぐったりとしていた様子を思い出し、最悪の事態が頭をかすめる。

 マイラの指先は凍ったように冷たくなっていくのがわかる。

(アルジャーノン……! どうか、どうか無事でいて……!!!)

 人目も気にせず大空を舞い、我が家に戻ったマイラはアルジャーノンの部屋の扉を開けた。

 アルジャーノンはベッドに横たわり、ガレリア医師とアーサー、そして執事のレイモンドがそばで見守っていた。


「ガレリア様! アルジャーノンの容態は…!?」

 ガレリア医師はアルジャーノンを見つめて言った。

「……早い段階で気を失ったのが功を奏したのじゃろう。心臓への負担はさほど大きくなかったようじゃ。じき、目を覚ますじゃろうて」

 その言葉に、マイラは心から安堵した。

 すやすや眠るアルジャーノンの手の取り、その温かさを確かに感じる。

「生きてる……!」

 マイラの目には大粒の涙が溢れた。

「良かった……本当に良かった……!!」


「今回助かったのは奇跡としか言いようがない。状況はアーサーから聞いたが、気を失っていなければ発作の連続できっと耐えられなかっただろうよ。」

 アルジャーノンが気を失っていなければ……、命を落としていたかもしれない。この温もりをもう二度と感じることはなかったかもしれないと思うとマイラはゾッとした。

 ガレリア医師は続ける。

「この子の病気は、手術の時期が早ければ良いってものじゃあない。もう少し身体が大きく成長してからの方が、成功率は高くなる」

「ええ。幼い子どもの場合は、手術をいつ行うか……見極めが難しいのですよね」

「そうじゃ。ただ手術というのはあくまでも人間の選択肢。【悪魔竜】であれば、また違った選択肢もあるんじゃないのかい?」

 ガレリア先生はマイラとアーサーを交互に見つめた。

「そうですわね……。きっとこの血を与えれば【悪魔竜】として身体が再構築され、人間の病気なんて無かったことになるでしょう」

 マイラはその長い睫毛を伏せ、ガレリア先生に身体を向ける。

「でも私、アルジャーノンを【悪魔竜】にする気はないんです。本人が考え悩んだ末、望むまでは」

「……お前さんらしい答えじゃな。子供であっても親の所有物ではない。自分の未来は自分で選択するものさ」

 二人はアルジャーノンの未来に想いを馳せて、優しく微笑んだ。




「アーサー、少しいいかしら?」

 ガレリア先生とレイモンドにアルジャーノンの付き添いを任せ、マイラはアーサーを別室へと連れ出した。

 皮の張られた二人掛けのソファに並んで座ると、マイラは意を決して、オスカーから聞かされたアーサーの過去について話し始めた。


 彼の本当の名前はレオン・グラント。

 ラーナ国出身でグラント公爵家の次男であること。

 そしてラーナ国ではシラヘス団長を務め、オスカーに命を狙われたことで大きな傷を負ったこと。


 その事実を聞いたアーサーは、何かを思い出そうと真剣な表情で考え込んだ。

 そんなアーサーを見て、マイラは罪悪感で胸が締め付けられていた。

(レオン・グラント……きっと団長としても一人の男性としても、多くの人たちから慕われていたことでしょう。人外と対抗するために作られた一国の組織の団長を、人外にしてしまった。アーサーの家族はどう思うことでしょう……)


「ねぇ、アーサー」

 マイラは何かを決意したように、背筋を伸ばしてアーサーに向き合った。

「いくら命を助けるためとはいえ、貴方の承諾も得ずに【悪魔竜】にしてしまったこと……本当に申し訳ないと思っているわ。優しい貴方を、家族と離れたこの地に長い間引き留めてしまった。アーサーと共に過ごして、【悪魔竜】の力を悪用するような人じゃないことも分かった。もう……普通の人間に戻すことはできないけれど、せめてこれからは、貴方が生きたいように生きてほしい」

 長い睫毛を伏せる。

(アーサー、今まで本当にありがとう。あぁ、こんな時になって気づくなんて。私は貴方のこと…)


「マイラ」


 ドクン、ドクンと心臓の音がうるさい。

 ハリソン領での出会いから、これまでのアーサーと過ごした思い出が次々と溢れ出し、じんわりと目頭が熱くなる。


「マイラ」


 こっちを見て、とでも言うようにそっとマイラの手を取るアーサー。

 そしてゆっくりと、優しい声で綴る。


「マイラ、そしてアルジャーノン。俺にとっては君たちが家族だ。俺はこれからも君たちと、共に生きたい。そしていつの日か、君の願う“人間と人外の共存”を、一番近くで見届けたいと思っているよ」


 サファイアの瞳から零れ落ちる涙を掬ったアーサーは、マイラを包み込むように優しくそっと抱きしめる。

「……どうしましょう、涙が止まらないわ」

 腕の中のマイラを、いつまでも愛おしそうに眺めるアーサーだった。




***



 ──数日後。

  人外組織“レイヴン”の一連の犯行は国王陛下にも報告され、マイラとアーサーは国王との謁見の場を設けられていた。

 国王陛下の待つ部屋へと案内された二人は、大理石の広間の中心で跪き、最上級の礼をした。


「堅苦しい挨拶はよしておくれ。前々から、君たちとは一度じっくり話がしたいと思っていたのだ」

 二人の顔があげられたことを確認し、国王はゆっくりと話し始める。


「まずは、我が国の第四騎士団、元団長であったオスカー・オウエンの企てにより、君たちに迷惑をかけてしまったことを詫びたい。申し訳なかった」

「国王陛下。私マイラ・ハリソンとレオン・グラントは、その謝罪をお受けいたします」 

 マイラは片膝をつき両手を胸の前で組んだ姿勢を取り、毅然とした態度で言った。

「つきましては陛下。恐れながら、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「構わん」

「今回のオスカー・オウエンの裏切り、そして人外組織“レイヴン”の思想は伝わっていることと思います。失礼ながらその思想について、陛下はどのようにお考えでしょうか?」

「それは、ハリソン領の領主としての質問かね?」

「どちらかと言えば、一体の人外としての疑問ですわ」

 国王陛下は瞼をゆっくり閉じ、口元を綻ばせた。

「少し、聞いてくれるか」

 陛下はポツリポツリと話し始めた。

「今まで我が国は、人外の存在を国民に覆い隠してきた。その一方で、人外の住まう場所を人間が侵してしまわぬように、自然保護という名目で管理しておった。そうして、うまく管理できていると思い込んでおったのだ。人外側の要求を聞こうともせずにな」

 マイラはじっと国王を見つめていた。

「自分達とは異なる存在。未知なるものへの興味はやがて畏怖となり、脅威だと決めつけて遠ざけた。それが安寧につながると信じておった。しかし今回、それがどれだけ傲慢勝手な考えで、怠慢な手法だったのかを気づかされたわ」

 国王陛下は目尻の皺を濃くして苦い笑みを浮かべる。

「発言をよろしいでしょうか、陛下」

 確認するマイラに国王は頷く。

「私も、つい数年前までは人外の存在を知らずに暮らしておりました。そして実際にその種族の種類や能力、個性を知ったのは自分が人外となってからのこと。彼らを知っていくたびに、驚きと発見の連続で、世界が大きく広がりました」

 マイラはそう話しながら、ハリソン領で暮らす人外たちとの交流を思い浮かべていた。

「陛下は、今後どうなさるおつもりなのでしょうか?」

「まだ協議の場にも出しておらんが、まずは君たち二人に聞いてもらいたい。一つ、国民に人外の存在を公表しようと思うておる。二つ、人外との“真の共存”のために、他国との同盟を結び直そうと思う。三つ、人外に歩み寄ってみたい。彼らが何を求め、何を必要としているかを知らぬことには、“真の共存”とは言えぬからな。何年かかるかわからんが、いつか国民が人外の存在を受け入れられる日が来ると思うておるよ。私はそう信じる。君たち二人がいるから」

 陛下のひとつひとつの言葉に重みを感じる。

 国王陛下とて、人間という種族であり集合体の一個人に過ぎない。

 自分達とは異なる存在を脅威だと決めつけて、遠ざける方がどれだけ楽だろう。

 たくさんの迷い、恐怖を持ち合わせながらも、私たちを介して人外を受け入れ、共に世界に存在しようと踏み出している。

 マイラは一人の人間として、また一体の人外として、国王陛下の提案を共に実現したいと思った。


「ではもしも、人外の中で統制が必要ということでしたら、私マイラ・ハリソンが引き受けましょう」

 さらりと提案されたその内容に、目を見開き驚く陛下。

「なっ、そんなことができるのか!?」

「薄々気づいていましたが、【悪魔竜】というのはやはり人外最強……。それに、すでにコネもありますし」

 ハリソン領の湖で待つ【水竜】レフィーネの姿が思い出される。

 海や湖を統べる存在の【水竜】だけでなく、もし本格的に人外の統制を行うことになれば、ほかの竜たちとも話をしてみたいと思った。きっとその地を統べる存在だろうから。


 人と人外がまずはお互いを知るところから、お互いが歩み寄る一歩を。

「あの、まずは『人外』というの、やめませんか? とても排他的で……この世界の中心が人間だとでも言っているように聞こえます」

 わかりやすく顔を歪めたマイラの提案に、国王陛下はにこやかに笑った。

「では総称も彼らに伺ってみようかの」

「素晴らしいと思いますわ」

 ──ナタリア国の未来に光あらんことを──



「そうそう、君たちには褒美をやらねばな。何がお望みか?」

 マイラとアーサーは目を合わせ、確かめ合うように小さく頷いた。

「私たちの望みは、ただ一つです。王族直属の……ナタリア国最高の医師および設備を、愛する我が息子のためにお貸しいただけないでしょうか」

 ガレリア医師とも話し合った末、それが可能であれば手術のリスクを少しでも下げられるだろうと言われた瞬間から、この機会を待ち望んでいた。

「利益より、息子を助けたいとはな」

「当たり前ですわ。自分の命に代えても守りたい存在ですから」

「ふっふっふ、最強の【悪魔竜】が、こんなに子煩悩だとは。良かろう、好きに使うと良い」

「感謝いたします。あと……今回捕まった“レイヴン”の一行と、【悪魔竜】になり損ねたオスカー・オウエンのことですが」

「あぁ。今は君の“吸血”による効果で、大人しく地下牢で捕縛されておるようだが?」

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