第72話 (日向視点)奇祭。最終戦

 構えをとった。


 右足を少し前、体重は少し後ろ。両手を軽く握って頭の少し上。両手の間から覗く感じ。

 ひと所を見ないようにする。


 格が違いすぎて、カウンターは通用しない。だから、初めから構えをとった。


 対する康太さんも構えをとる。

 右足を前に、体重も前に。右手を握って顔の前の方に出す。左手は握って、左頬の近く。


 彼は待たなかった。


 彼は、予備動作なしから、一気に右足をすりだして間合いを詰める。

 地面が縮んだように錯覚をおこす。それだけの速さと歩行技術。


 前に出していた右手が顔面に延びる。それをわずかに体を傾けて避ける。


 私はフェイントにはまっていた。

 右の拳は囮で、実は左足。彼は足首を外に向け、足の裏で蹴りを入れる。

 蹴りと言うよりは、私の左足の膝裏を下に押す感じ。

 それだけで私のバランスは崩れる。

 本気で踏み抜かれていたら、膝を痛めて、そこで試合が終わっていた。


 さっきの戦いでも速人が使っていた技だ。序盤に私の突進を止めるために使った。速人の蹴を私はあっさりと避けたが。

 康太さんの技は、同じに見えて、全く別次元の凶悪さだ。


 康太さんは、蹴った左足をそのまま下ろさず、私の右前に下ろす。そのまま右足を後ろに引き、左手左足を前にした構えで、私の斜め右をとった。

 正面を外して私に反撃をさせてくれない。


 前にした左のけんで私の顔を打ちにくる。私は左足を彼の方に進めながら、左手をしょうにして、突き刺す。手のひらを上に、彼の打ち出す拳に沿わして、軌道をずらす。そのまま彼の腕をくぐって右回転で移動。背後をとる。

 錯覚を使ったフェイントだ。

 相手の左外側に沿って移動したはずなのに、やられた相手は何故か右に移動されたと誤認する。

 なぜそうなるのかわからない。不思議だがそうなるものだとしか言いようがない。


 自分でもよく分からない技で相手を惑わし、私のいない方向を見て驚く相手を後ろから攻撃するのが私の得意技の一つだ。

 並みの相手ならね。


 康太さんは初めから、私を目で追わなかった。視線を動かさずに私がいなくなった正面を見据えて、右足で地面を踏み込む。


 ドン!

 大きな音がする。とても大きい。空気が震える。


 彼は誰もいない正面に左拳を突き出す。地面を蹴るのも、左拳を突き出すのも、右手にすべての力を伝えるためだ。

 彼の右手は肘を曲げて、突き出した左手の正反対を打った。

 つまり、真後ろをとったわたしの胸を打っていた。息が止まって攻撃に移れない。


 彼は右から振り返りながら、私の胸を打った肘をの位置を変えずに、右手前腕を開いて押し付けてくる。

 私は上体を後ろに引く。両手を、彼の肘側から私の体との間に滑り込ます。

 前に体重を移しながら、彼の右手を両手で推す。

 彼は推されるのに任せて私に背をむける。

 押しすぎた。と、思ったときには手遅れだった。彼と私の重心点を越えた瞬間に、彼は息を一気に吐く。彼の体が震える。彼を押していた手を伝わって私の体が揺らされる。バランスが崩れてよろめく。


 押しているように見えて、引き込まれていただけだった。


 ドン!


 彼はその場で低く跳ねた。ほんの数センチのジャンプ。

 そのわずかのジャンプで、彼は体を180度入れ換えていた。

 右回転のジャンプで、後ろを向いていた彼は、私と真っ正面で対峙する。

 彼の左腕は彼の体から離れた外周を、わずか一瞬で移動してきた。


 つまり、目では捉えられないほどの速さで、とてつもない遠心力を乗せて。


 その左手で握られたけんは私の右頬を襲った。避ける暇もない。


 私は拳の反対側に頭を振られて、そのまま吹き飛んだ。

 倒れる直前に両手を地面につけて支え、頭を打ち付けることを回避するのがやっとだった。


 何もさせてもらえなかった。私の攻撃のターンは一度も来なかった。

 それでもやりきれた。後悔はない。



「日向!」拓海の声が聞こえる。


 私は半身で倒れるのを、両手で支えたまま動けない。下を向いてじっとしている。

 脳の揺れが収まるのを待っていた。


 駆け寄った拓海が、手を伸ばしてくる。

 やめて! 今動かされたら後遺症が残る恐れがある。


「動かすな!」康太さんが、拓海を止めてくれた。

 みんなが周りに集まって来るのがわかる。


「自分で動けるか?」康太さんが触れずに声をかけてくる。

「大丈夫」私はゆっくりと体を起こし、足を曲げて女の子座りで地面に座った。

 まだボーとする。


「見えるか?」康太さんが指を二本出す。

「二本」見えてるよ。


「氷を」

 保冷剤を受け取って、左頬に当てた。

 口の中で、鉄の味がする。舌で歯を確認する。折れてはいない。歯で口の中を切っただけだ。


 血を吐き出したかったが、拓海が見ている。見ないでほしい。

 ためらいはあったが、仕方なく、拓海の反対側をむいて唾をはいた。


「切ったか。歯は折れてないか?」康太さんが訊いてくる。

「ん」


 私は拓海に心配させたくなかったので、「ごめん。カッコいいとこ見せたかったのに」と、彼の気にしていることとは別のことを言った。

 私の体を心配しているのはわかるけど、大丈夫だと言ったところで、心配が消えるわけでもない。


 私は康太さんを見る。

 康太さんも私を優しい目で見ている。

 彼は怒らない。誰も怒らない。

 同情でもない。

 ただ帰りを待っていてくれて、そして帰った私を優しい目で迎えてくれた。

 私も謝らない。謝罪の言葉は全て心の中で済ませた。


 語るべき言葉は、全てこぶしで語った。


「気がすんだか?」康太さんが言う。

「ん」

「ちゃんと戻ってきて偉かったな」

「拓海がいたから」


 拓海は待っていてくれると言った。生きて帰ってこいと言った。

 私に生きていていいと言ってくれた。


 拓海がいなかったら、すさんだ目のまま、みんなの前に立っていた。

 そしてみんなを悲しませるだけだっただろう。


 康太さんは笑顔で頭を優しくなでてくれた。

 私は帰ってこれた。


 拓海と一緒だから帰ってこれた。幸せな気持ちに満たされる。



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