第66話 メーデー

 日向ひなたは堤防の端まで歩くと、そのまま飛び降りた。

 背の高さくらいはあるんだけど。


「日向」俺はまた抗議する。「スカート」

「誰もいませんよ?」何故怒られてるのかわからないって顔。「鞄とってください」

 俺は一つづつ旅行バックを渡す。


 降りるために一旦堤防の端に腰かける。いきなり飛び降りるには高すぎる。目線で4メートル位はある。

 座って高さが下がってもまだこわい。

「拓海」彼女が俺の下に来て、左手を差し出す。

 俺は右手で手をつなぐ。

 着地したときに反動でバランスを崩すことを防止するためか。

 男として思うところもあるが、素直に彼女に頼ることにする。身体能力では、彼女は頼りになるからね。


 と思ったが、彼女は全く違う事を考えていた。


 俺がゆっくり堤防から体を離して落下すると、彼女はつかんでいた手を引っ張る。

 体が彼女に向かって落下する。彼女は俺の体を右手で抱き寄せると、ゆっくりと下ろした。

 片手で手をつないで、もう片方の手で腰を抱き寄せる、まるでダンスしてるような体勢。


 いや、もう驚かないから。

「ありがとう」

「ん」

 彼女は一度、ぎゅっとしてから腰に回した手を離す。左手はつないだまま。

 空いた手で鞄を引いて、駅の方向に歩き出す。



「日向。僕にもまだわからないことがあるのだけど」歩きながら話しかける。

 彼女は前を向いたまま、返事をしない。


 今回の帰省は彼女の過去に向き合うための旅でもある。

 勝手に俺が思っているだけだけど。

 彼女が過去に向き合うとき、俺は彼女のそばにいたい。俺たちが未来に進むために。


「どうして日向は生き急ぐの?」

 彼女は沈黙。

「告白されてすぐに付き合ったり、付き合ったらすぐに関係進めようとしたり。何か急ぎすぎてない?」

「私だって、いろいろ興味ありますよ」

 返事したが、こっちを見ていない。


「まあみんな興味あるだろうし、僕もあるけど」そこは認めておく。

「日向は急ぎすぎてない?」

 返事はない。


「何か欲求不満なエロい人?」

「エロい人でいいよ」

「ビッチって呼ぶよ」

「ビッチでいいよ」

 こっちを見ない。ちょっとイラっとするが、落ち着こう。いつもの日向だ。


「じゃあ、どうして人見知りのフリをしてるの?」

 これも無視。

「友達を作りたがらないのはどうしてかな?」

「友達をつくると、メンドウだから」


 人見知りはフリと認めたのかな。いや、友達をメンドウと思うのは、正しい人見知りか?


 再び沈黙。

 黙ったまま歩く。

 海上保安庁の船が近づいて、大きく見えた。


「言いにくいことを訊いてごめん。察してあげられなくてごめん。日向の事をわかってあげられなくてごめん」


 彼女は驚いたように俺を見る。泣きそうな顔をして、やはりなにも言わずにうつ向く。


「生き急ぐって言うか、むしろ」言ってもいいのかな。

「死にたがってる?」


 彼女は立ち止まり、驚いた顔で俺を見る。

 俺も立ち止まる。

 間違えたか? 怒るかな?


 彼女は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。

 俺は彼女の言葉を待つ。


 そして何かに思い当たったように顔色を変え、再びうつ向く。


 まるで俺に言われて、初めて自分が死にたがっていることに思い当たったように。


 彼女は俺の言葉を否定しようとして言葉を探しているのか。

 俺は待った。


 どれだけ待ったのだろうか。日差しは少し弱まっている。

 トンビの鳴き声が聴こえる。

 誰かが近付いてくるのを感じた。


 人の気配の方を見ると、数人の男がこちらに近づいてきていた。揃いの作業服に、同じ救命胴衣。

 彼らは怪訝な表情でこちらを見ている。


 俺たちが不審に見えることを自覚したので、先に挨拶をする事にした。

「こんにちは」会釈する。

 彼女も少し会釈する。

 彼らも挨拶を返して、通り過ぎた。


 俺は彼らを見送る。

 彼女は彼らの後ろ姿に正対すると、深々と頭を下げた。

 俺は意味がわからず、ただ彼女を見ていた。


 頭を上げた彼女は言葉をゆっくりと紡いだ。


「お父さんたちの船は、悪天候で漂泊しましたが、特に問題はありませんでした。問題は悪天候をやり過ごして寄港するときに起こったようです。たぶん、うねりだと言っていました」

 何を言っているのかわからないところもあったが、口をはさまなかった。


「携帯電話から118があったそうです。無線電話を使う間もなかったのでしょう」

 これも意味がわからないが、黙っている。


「そして、壊れた船だけ見つかって、遺体は見つかりませんでした」


 彼女は言いがたいのか、しばらく沈黙。


「そして私は最低なことをしました」


 俺は口をはさめない。


「捜索に当たった人たちを恨んだのです。流石に言葉にすることはしませんでしたが、私を見た人たちは、みんな目を背けました。よほどひどい顔をしていたのでしょう」


 ここで再び沈黙。


「ですから私は人を助ける仕事につこうと思ったのです」そう言って、目をそらした。


 そして、「私は死にたいわけではありません。危険な仕事に就く覚悟を決めただけです」そう言って弱々しく俺に向けて微笑んだ。


 俺は彼女の微笑みを眺めながら、そういうことかと思った。そういうことで納得するか。


 また逃げるのか?


 俺は深く息を吐き出す。


「どうして、作り笑いで嘘をつくの?」



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