第64話 親子げんか

「お疲れー」

「お疲れさまでした」俺は返事を返す。


 市民劇団の練習終わりの風景だ。

 社会人と大学生中心のこの劇団では、俺と明里の高校生コンビが最年少である。


 高松明里はヒロイン役の女子大生と話をしていた。コミュ力の高い明里は、劇団のお兄さんお姉さんに可愛がられて、もはやマスコット的な何かになっている。


 俺は演出家の大学生と話をしていた。文化祭用の俺の書いた脚本の事で、相談と言うほどの事ではないが、話を聞いてもらっていた。

 演出家は、演出には厳しいが、怒鳴ったりしない穏やかな男性だった。


 うちの高校演劇部の座長こと、演出家八坂雪は怒鳴りまくるけどね。あ、でも普段は怒鳴らないよ。


「明里ちゃん、帰りにお茶してかない?」

 ヒロインと話をしていた明里に、役者の一人が後ろから抱きついた。

 女子高生にいきなり抱きつく男子大学生。事案では?


「那智が行くなら」明里は全く気にする様子もなく、にこやかに答えた。

 え?俺ですか?


「こら、彼氏見てるのに、抱きつかない」ヒロインが、明里に抱きついている男子大学生をたしなめる。

 明里って彼氏いたか?

「彼氏? いませんよ?」

「え?」ヒロインと男子大学生が俺を見る。


「え? 付き合ってないの?」俺と話をしていた演出家が驚いたように言った。

「付き合ってませんけど」

「いや、いつもいちゃいちゃしてるよね」


「「してません!」」俺と明里がハモる。

 二人で目を合わせて、笑い出してしまった。


 演出家たち三人だけでなく、周りにいた劇団員たちも、そんなわけあるか、て顔をする。


「那智は彼女いますよ。同棲してる」

「いや、してないから」

「いつも泊まってるよね」

「夏休みだけだから。半分は家に帰ってるよ?」


「あー」演出家が困惑した声を出す。

「那智くんの彼女、公演見に来る?」

「チケットは買ってくれましたけど」

「あー」さらに困惑顔。

「キスするところ、まずいかな」演出家がそう言った。


 劇中に、俺の役が明里の演じる浮気相手とキスする演出がある。


「は? 必要があって決めた演出ですよね?」あれ? きつい言い方になったか?


 演出家が真顔になる。


「離してください」明里が抱きついていた大学生に言う。

 大学生に解放されると、俺のところにやって来て、後ろから抱きつく。顔を俺の顔の横に置いて、頬どうしをスリスリしてきた。

「那智、私とキスシーンしたいんだよね」楽しそうにそう言った。


「お芝居だからね。勘違いしないでよね」俺もおどけて返す。明里の頭に手をおいて、頬をスリスリし返す。

 明里が楽しそうに笑ったので、俺も笑い返す。


「じゃあ、演出に変更なしで」演出家が生暖かい微笑みを浮かべてそう宣言した。


 ヤバいヤバい。高校の演出家、八坂雪ならキレてたかも。


 場の雰囲気が弛緩したところで、みんな動き出す。

「お先に」背広を来た役者が通りすぎようとする。

「死神さんも、お茶いきませんか?」明里が死神役の役者を誘う。

「ありがとう。でもバイトあるから」

「うーん、残念」

「また今度ね」

 永久に来なさそうな今度だった。


 死神さんは、有志公演の主役だ。母体の劇団の看板役者でもある。

 フリーターをしている。

 プロの劇団のオーディションも受けているが、うまくはいってない。オーディションにも金がかかる。

 なまじ才能があるところが、趣味の演劇で折合をつけることを、邪魔しているように思えた


「演出さんは彼女いないのですか?」明里がなんとなしに言った。

「俺も同棲してたけど、別れたね」

「そうなんですか」

「この公演の準備で、夏休み全然遊んでやらなかったから、こないだ浮気されたよ」

「うわぁー」明里が聞かなければよかった、て感じで唸った。

「公演があるからね。下らない事にかまってられないよ」


 えっと、公演がんばります。




 家に帰った。

 日向がアルバイトなので、今日は自分の家に帰る。明里とは電車で別れた。まだ日が高いので送らないでいいから、と言われた。


 夕食どき。母親は台所で夕食の準備をしている。


 父親が居間のソファーに座って、缶ビールを飲んでいた。

 テレビはついていたが、流しているだけのようだった。


「今日は早いんだな」俺は聞きたいこともあったので、父に声をかけながら、テーブルをはさんで向の床に座る。

「ああ」


 しばらく無言。特に父親と会話が弾むことなんてないよね。


「今日も演劇か?」

「市民劇団の方」

「チケットあるか?母さんの分と」

「ノルマ助かる」


 チケットを渡すと、ちゃんとお金払ってくれた。


「父親らしい事を言わさせてもらうと」そう前置きして、「学校のクラブ活動だけにして、ちゃんと勉強してほしいな」

「勉強はしてるよ」彼女さんにさせられている。


「役者なんてバカな夢見ずに、ちゃんと受験勉強して、少しでも良い大学を目指した方がいい」

 父親らしいことね。なら、子供らしい返事をするか。


「俺はやりたいようにする。親の勝手な期待を押し付けるな」


 父はビールを飲む。

「親らしい事、言ったからな?」

 そうだね。


「自分で限界を決めて、途中で諦めると」少し間を置いて、ビールの缶を見つめる。「後で後悔する」

 こっちが本当に言いたいことだったらしい。


 父には……。

 いや、後悔のない人なんかいないか。


「話変えるけど、盆に彼女の実家に行っていいか?泊まりで」

「うん。いいぞ」

 簡単だな。

「初盆だと思うんだけど、なに持っていけばいい?」



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