第58話 正妻は余裕

「おはよ」俺が目を覚まして、日向ひなたに挨拶すると、彼女は目を泳がせながら、「お早うございます」と、返した。


 何か触られている感触で、目が覚めた。

 俺が目を開けた瞬間に、彼女はビクッとして、慌てて俺から握っていた手を離した。


 じっと彼女の顔を見る。

 彼女はバツがわるそうに、目をそらしている。冷や汗かいてないか?


 初めて一緒に寝た日の朝。布団に入ったまま、お互い向き合っている。

 何もなかったよ。俺がすぐに寝たから。


「日向?」

「ん」

「何してたの?」

「朝は固くなるって事なので」

「うん」

「どれくらい固くなるのかと」

「うん」

「確認してました、ごめんなさい」

「そう」

 怒られている子供みたい。


「怒ってないよ」

 彼女はほっとした表情をする。

「寝てる間に、同意無しってのはどうかと思うけどね」

「ごめんなさい。おきているときにします」


 ソウダネー。


「私は、寝ているときでも構わないですから」

「しないよ?」


 寝ぼけて反撃でもされたら怖いからね。


「ん」彼女はちょっと意を決したような相づちを打って、「触っても良いですか?」と言った。

「さあ、朝練に行こうか」




 公園まで走って朝練。彼女の補助で、側転宙返りもできるようになった。今なら、補助無しで、コンクリートの上でも余裕。


 帰ってからシャワーを一緒に浴びて、朝食。


 そして勉強。

 わからないところを彼女に教えてもらう。自作の練習問題とかもさせられた。

 優秀な家庭教師のおかげで、成績が上がるわ。



 早めの昼食をとる。

 俺の練習があるので、昼食を早くしてもらった。今日も市民劇団の練習だ。


「「ごちそうさまでした」」彼女に合わせて頭を下げる。


 食器を片付けながら、「駅まで送っていきます」と、彼女が言った。


 普段、別れるときは、部屋の玄関までだ。最初に、夜は危ないからと、見送りを断ったから。昼間なら断る理由は無かったのだけどね。


 んー。いつも駅の前で明里と待ち合わせしている。演劇部の高松明里と、一緒に市民劇団に入ってから、いつも一緒に通っている。


 どうしょうかな。


「拓海?」彼女が訝しんで俺を覗きこむ。


 うん、俺にやましいところはない。そもそも日向は明里の事を知っている。


「演劇部の子と、駅前で待ち合わせしてる」

「そう」彼女は少し考える。

 今までなら、知らない人に会いたがらないので、ついてこなかっただろう。


「送っていきます」

 何か変わったか?


「修羅場ですか?」

 積極的に明里に会いたいの? まずいことになった?


「付き合ってるっぽいです」楽しそうだった。


 今度は修羅場ごっこか。


 明里にメールでこの事を伝える。

 彼女の返事は、いつものところで待ってる、だった。

 彼女の意図はわからない。やましいところはないとの判断か。実際何もない。一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝たりはしているけど、演劇業界では普通のことだ。普通らしい。うん、普通の人には理解されない自覚はある。


 まさか、日向と対峙するつもりじゃないよな?


 日向は楽しそうに化粧をはじめる。

「正妻の余裕を見せないといけませんよね」

 楽しそうだね。余裕なんて見せれるの?


 彼女の化粧は普通だった。元が良すぎて、化粧が上手になる必要がないからか。


「日向」俺は彼女の隣に座って、こちらを向かせる。道具を取り上げて、彼女にメイクをする。


 舞台メイクの練習をしたかったわけではないからね。その証拠に、ハッキリとした舞台用のメイクではなくて、自然に見える、だけのメイクにした。

 眉毛も揃える。前髪じゃま、切りたい。ついでに鼻毛も切る。彼女は恥ずかしがったが無視する。


 でき上がりは、とても美少女だった。

 元が良すぎて、俺の功績かどうかは不明だった。


 彼女は服を選ぶ。


 可愛い下着を着けて、くるっと回る。

「どうですか?」


 下着なんか服着たらみえないから、どうでもいいだろ。「可愛いよ」


 彼女は満足して、服を着る。榎本さんが選んだ、清楚なお嬢様風、白のワンピース。そのときに揃えた髪飾り。

「なんだ、天使か」

「ん」

 あれ、声に出てた?


 小さな落ち着いた肩掛けバッグと、白の日傘を取り出す。


 ヒラヒラな可愛い日傘。「そんなのもってた?」

「可奈に買って貰った」


 何やってるの榎本さん。貢ぎ体質? だんだん高価になっていってない?


 玄関で靴を履いて、

「日向」俺は彼女をとがめる。「何でスニーカー?」小学生か。服に合ってないだろ。


「戦えません」


 ローファーに変えさせました。学校指定しか、まともな靴持ってなかった。




 日向と二人で駅に向かう。

 俺と繋いだ手と、反対の手で日傘をさしている。

 特に会話は無い。いつも通り。


 駅前には高松明里が、すでに待っていた。

 黒のスラックスに、黒のベスト。フォーマルだ。髪の毛も固めている。

 ハンサムだね。


 何で明里まで気合い入った格好してるんだよ。持っている大きめのバッグに練習用の着替えが入っているのだろう。


 明里が俺達に気づくが、いつものように手を振ったりしない。

 少し緊張した面持ち。男前な男装と相まって、なかなか様になってるね。


「こんにちは」明里がハンサムボイスで、日向に声をかける。


 日向は俺の服の袖をつまんで、半分俺の後ろに隠れながら、「コンニチハ」と聞こえないくらいの小さな声で返事した。


 正妻の余裕とは?


「こっちが俺の彼女で、三鬼日向」先に日向を紹介する。

「こちらが、高松明里さん。僕と同じ1年の演劇部の仲間」


「この子には、『俺』って言うんだ」日向が、ハッキリと聞こえるように呟いた。


 明里の顔が一瞬で強ばる。顔色が青くなる。

 日向が圧をかけたのか。


「日向!」俺は大きな声を出して、日向に振り返る。

 彼女は、ビクッとして、俺の背中の影に隠れた。殺気が霧散する。


 明里は涙目で、すこし震えていた。




 二人を友達にするために紹介したわけではないので、すぐに別れた。


 日向は体の前で、小さく手を振る。

 俺と明里は改札に入る。

 明里はうつ向いたまま、日向を見なかった。



「那智は普段、『俺』って言わないんだ」

 電車を待っているときに、明里がそう言った。よっぽど怖かったのか、彼女はすこし泣いていた。今は泣き止んでいる。

「演劇部や劇団の人といるときしか使わないけどね。同い年か年下にはね。対象は明里しかいないね」


「ふーん。普段から演技してるんだ」


 俺は返事をせずに、電車が来る方を見ている。


「あの女、ヤバイよ」

 そうだね。


「別れたら?」

 別れて私と付き合おう、というニュアンスには聞こえなかった。



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