第16話 童貞を殺す服

 土曜日の朝8時。

 改札を抜けると、天使に抱きつかれた。

 たまの休みの日ぐらい惰眠をむさぼりたい。と、言ってはダメかな?


 天使は俺の脇の下から両腕を回してギュッと抱きついている。顔を俺の胸に埋めたまま固まっている。

「おはよう、日向ひなた

「ん」顔を埋めたまま返事をする。

「そろそろ移動しない?」改札前は通行のじゃまだから。

「ん」と返事をするが抱きついたままだ。

「日向」優しく声をかける。

「ん」彼女は体を離し、俺の手をとると小走りで駅の構内から出た。

 立ち止まると再び、俺に抱きつく。

「ここなら良い?」

 うーん。通行の邪魔ではなくなったかな。でも、観光客の生暖かい視線がツライ。

「日向、ちょっと恥ずかしいから」

「私は恥ずかしくない」

 毎回やるの?儀式なの?


 しばらくしてから、彼女は一歩離れて向かい合う。左手を伸ばして俺の右手とつなぐ。

 これもやるの?

 ほめろ、ですね。


 彼女は白のブラウス。襟や袖が少しヒラっとして可愛いデザイン。何て言うのか知らない。スカートは黒で膝上までの丈。ウエストのところの布地丈が少し太い、コルセットみたいな感じ。腰回りが締め付けてかなり腰のくびれが細い。その分胸が強調されてる。

 お腹苦しくないのかな、腹筋割れてるくせに。あと、胸が大きいの知ってるから強調しなくて良いよ。

 そんなことより、一番目立つのは前髪だった。

 チョンマゲかよ。


 彼女は学校では長めの前髪で目を隠している。今日は前回の休日と同じ様に前髪を上げて、顔を出していた。

 前回はヘアピンかカチューシャだったと思うが、今回は前髪をおでこの上で、それも真ん中でまとめて黒のゴムでまとめていた。髪の生え際だけでなく、髪そのものにもゴムを巻いていたので、マゲみたいに束ねた髪が上に突きだしている。


 顔を隠していないので、彼女のきれいな顔がよく見える。キリッとした美人さんなのに子供っぽい髪型とか、殺す気か。


 飛び出したマゲを見ていたら、ついニヤけてきた。いつの間にか左手が彼女の頭に伸びていた。右手は彼女につかまれてたからね。

 あれ?俺は何しようとしてるのか。彼女のつかみやすそうなマゲを引っ張ってみたい衝動にかられてしまった。

 髪の毛引っ張ったらダメだろ。俺は自制した。


 彼女の頭の前で手をとめた。彼女は俺ののばされた手を見て、なぜか目をギュッと閉じて頭を少し俺の方に出した。

「ん」何かを求めているようです。


 何?髪の毛つかんで良いの?引っ張っていいの?


 違うよな。ナデナデか。ナデナデしてもらえると思ったのか。

 これはしないわけにはいかないか。

 髪の毛を引っ張る代わりに、彼女の頭を撫でた。

「ん」満足そうな声が出る。ちょっと色っぽい。


 少し撫でて手を引っ込める。

 彼女は目を開け俺を不満げに見た。物足りないようだ。


「その髪型、斬新だね」俺は笑いながら言った。ほめろ、は、続いてるんだよね。

「そのスカートも可愛いね。腰の辺りとか、着るの大変そう」

「ん」彼女は下を向いて自分の腰の辺りを見た。

「着方を知らないと迷うかも」そう言って、つないでいた手をはなし、背を向けた。そして見返るように顔だけ振りかえる。両手を軽く握り、両肩近くにおいて、何かのモデルのようなポーズを作った。


 あざとい。そして可愛すぎる!


「脱がす練習する?」

 言ってることが、頭おかしい。

 背を向けたってことは、このスカートは後ろから脱がすようです。

「街中で脱がしていいの?!」たまらずつっこむ。声が大きくなった。これは恥ずかしい。観光客の何人かがこちらを向く。街中で発する言葉じゃ無いよね。


「拓海が脱がしたいなら、どうぞ」

「しないから!」つっこむのも疲れる。

「ん」あっさりと引き下がる。

 今回はさすがに冗談だったようだ。‥‥冗談だよね?

 彼女は俺の手をとって引っ張るように歩き出した。

「部屋で練習」そう言って早足で歩き出す。

 何の練習?しないからね。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 スカートを脱がす練習、てネタ終わったと思う?思うよね。

 終わってなかったんだよ、これが。


 部屋につくと彼女は俺に背を向け、振り返りながらスカートの背中側の腰のところを指し、

「この編み込みの紐はダミーだから。裏にホックがあるからそれを外して」


 外さねーよ!


 先週と同じ様に、二人でテーブルをはさんで向かい合って勉強を始めた。

 彼女はずっと不機嫌そうだった。

「どうしてダメなんですか」

 まだ言うのか。

「普通に早いでしょ。僕たち付き合って1週間だよ」

「10日です」即座に反論。数えてるのか。

「それでも。普通はもっと時間をかけるよ」いや、知らんけど。

「むー」

 あ、『ん』、以外もバリエーションあるんだ。

 彼女は仕方なく納得したようだ。

 しかし、少しの間のあと、

「来週なら脱がしてくれますか?」

「来週でもダメです」

「来週なら半月はたってます。いつならいいのですか」

 うわ、今日はしつこいな。反論するのも面倒になってきた。いやいや、ここで適当ににごすと来週大変な事になる。彼女なら『来週なら脱がしてくれると言いました』とか言いそう。いや、絶対言う。


「お互いに気持ちが重なった時と言うことで」具体的な期間は避けた。

「私が拒否することはあり得ません」

「いやいや、二人の関係性を大切に育てていこうと言うことで、」

「拓海の都合の良いときってことですよね。わがままです」


 は?


 いま、こいつ、二人の関係を大切にする気がないと言ったか?


 何か怒りがわいてくる。

 いやいや、彼女がそんなんだってことはわかってたはず。落ち着こう。俺は視線を下げて目を閉じた。


 彼女は俺が黙ってしまったので、なにか失言をしたことに気づいたようだ。

「拓海?」

 俺は口を開こうとして、やめた。いらない事を言いそうだ。


「ごめんなさい。しつこかった?」彼女は不安げに問いかける。

 俺は黙ったまま。

 しつこいのは問題じゃない。いや、しつこいのも困るけど。


「ごめんなさい」彼女の声は不安で消え入りそうだった。

 俺が顔をあげると、彼女は泣きそうな顔でうつむいていた。


「嫌いにならないで」彼女は聞き取れないような小さな声で叫んだ。


 これは卑怯だよ。俺がおれるしかないのか。

 俺は立ち上がり、彼女の隣に座り直した。彼女の両手を握る。身をかがめて目線の高さを合わせる。


 彼女が不安そうに俺を見つめる。

「嫌いにならないよ」

 彼女は返事をしない。

「日向、好きだよ」

「愛してると行って下さい」

「日向、愛してる」

「ん」彼女は視線を外す。「しつこくしてごめんなさい」

「うん」

 彼女はふたたび視線を俺に向ける。「キスしてください」そう言って、目をつむりあごを少しあげた。

 俺は少し考えてから、髪を結わえ上げられた、むき出しのおでこにキスをした。


 彼女は、あれ?って顔で俺を見る。

 俺は微笑んで、チョンマゲのように、結わえられた髪をさわった。束ねたさきが、ハケみたいなさわり心地で気持ちよかった。

「これ、可愛いね」

「気に入った?」

「うん」

「では、今日は泊まっていって」

 んん?どういう脈絡なの?全然反省してないよね。


「嫌だよ」



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