第16話 大神官ポーツマス

 それからアレクセイは、大神官の元へと向かった。

 途中、聖女を護衛していた者たちの責任者である神殿騎士とすれ違う。

 彼はかつての同輩。

 アレクセイと共に幼い頃を異国で過ごした、数少ない友人の一人だった。


「なんでお前がここにいる、アレクセイ」


 アーガイルは廊下の角を曲がったらそこにいた知己の顔を目にしてぎょっとする。

 眉根が険しくなり、歓迎していない様子を彼は作っていた。


「失礼なやつだな。亡命者だ」

「亡命者‥‥‥?」


 意外な言葉に、アーガイルは旧友の後ろを見やる。

 そこには血まみれの男が一人‥‥‥しかし、なぜか元気そうだ。

 それ以外に、所在無さげに「どうも」と頭を竦めてみたり、その手を側頭部に添えて挨拶をしてくるのが他に三人。


 一見したら貴族かその下男に見えなくもない。

 しかし、彼らからは腐臭が漂っているように思えて、歴戦の神殿騎士さらに目を細くする。


「この女神神殿に争いを持ち込まれてはこまるな、アレクセイ。いや、グレイスター辺境伯殿。血なまぐさい事件も御免こうむりたい」


 それは、女神神殿を守護する者の判断として妥当な返事だった。

 女神は普段から特定の誰かと懇意にすることを禁じている。助けを求める者には無条件の庇護をするとも標榜しているが、それも公正であって平等ではない。


「この宮殿から外へと送り届けるくらいのことはしてやらんでもない」

「まあ、そう言うなよ。俺の顔も立ててくれ。こいつらを一時的でいい、預かって欲しいんだ」


 そうアレクセイが頼み込むと、アーガイルは顔をしかめた。


「王都に来たが女神様に祈りを捧げることなく、夜会に出向き賭け事にうつつを浮かすお前の顔を立てても、こちらとしては何も嬉しくない」

「おい、一緒にロイデンで学んだ仲だろうが!」


 それは冷たいぞ、とアレクセイは詰め寄った。大男に寄りかかられては迷惑なことこの上ない。こんな抱擁を好むご婦人はいるかもしれないが、自分は迷惑なだけだ。


「近いっ」


 そう言い、アレクセイを押し戻すと、アーガイルはまったく‥‥‥とやりきれない感情を言葉にした。


「神殿にも慈悲がある。それは間違いない。だが、この王宮内でその血の跡はどういうことだ。尋常ではない気がするぞ」


 さっきは聖女と王太子がもめたばかりだ。

 これ以上の揉め事は困る、とアーガイルは後ろの五人を顎で示す。


「さっき亡命させてな、辺境伯領に」

「その意味が分からん。どういうことだ」


 詳細に説明しろとアーガイルは迫る。彼を説き伏せないと、どうやらここは通してもらえないようだ。時間が惜しいのでアレクセイは端的に答える。


「王太子殿下の犬たち、大公殿下の執事、そして、婚約破棄、だ」

「っ‥‥‥つながっているというのか」

「それについてはなあ」


 アレクセイは人差し指を立て、何もない天を指さす。

 もっと上の人間と話をする。

 そういう意味だと神殿騎士は受け取った。


「……お前は運がいいのか悪いのか。大神官様が聖女様に命じらえて、国王陛下とお会いする予定だ」

「それはいつだ?」

「もう、間もなくだ。話すなら早い方がいい」


 部屋にまだおられる、とアーガイルは告げる。


「あっ、おい!」


 お前ら行くぞ! の掛け声と共にアレクセイは走り去ってしまった。

 彼にとってもこの神殿の内側は勝手知ったるなんとやら。

 幼い頃に共に海外で魔法を学んだ友人を訪れては、退屈しのぎに神殿の中を探検して回った経験がいまに生きている。


「へ、辺境伯様!」

「なんだ?」


 自分の血で服や顔をところどころ赤く染めたその男、レジンは走りながら申し訳なさそうに言った。


「わっ、わたくしめのこの恰好‥‥‥いいのですか?」

「気にするな! どうせ、処刑されるなら同じだろうが」


 最悪の場合を想定してそう伝えたら、彼は顔を真っ青に染めて黙ってしまった。

 他の男たちも同様に、アレクセイの後ろに従いながら、一団は途端に沈黙に包まれる。


「……そのときは、俺も同じだ」


 慰めにならないその呟きは、さらに場を重く支配していた。


 意外な来訪者を部屋に招き入れた大神官ポーツマスは、亡命者だという彼らの身なりをまず整えさせた。

 部屋に控えていた神殿勤めの侍女たちに申し付けて、男たちを湯殿へと案内させる。三名ほどの神殿騎士が、もしもの時の用心としてその後について消えた。


「さて、それで何がどうなっている。わしは聖女様の御用命で、国王陛下にお会いしなければならん」


 アーガイルほどでないにせよ、このふくよかな大神官もまた、アレクセイたちを歓迎する世ぶりは見せなかった。

 アレクセイはここまで歩いてきた道すがら、レジンや他の者から耳にした内容を的確に要点だけを絞って伝える。


「ま、簡単に言えば。あの大公殿下とトマスとやらはつながっている。それと殿下の新しい想い人は、トマスとやらの妻だそうだ」

「王族がよりにもよって、不倫とはな!」

「呆れてものが言えないな」

「しかし、その信憑性はどこにある。裏付けも無しにこのようでございます、とは報告は出来ん」


 アレクセイは決して嘘を付く人間ではない。それはポーツマスにも分かっていた。王国を裏切るような輩にあの要衝を与えたりはしない。

 若き辺境伯がその両肩に国王の熱い新任を背負っていることは、政治の中枢に携わる者なら誰でも知っていた。

 その彼が物証もなしにこんなことを持ち込むことは、これまでの彼のやり方からすれば、どこか浮ついた方法にも見えないはない。

 大神官はそこに警鐘を鳴らしていた。

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