第15話 女神様の思し召し

 いざとなったら腰に差してある儀礼用の刃を落とした剣を抜くか、上着の裾に隠してある魔法を封じた宝石を割りそれを使うか、ここから目と鼻の先にある女神様の神殿まで、男たちと共に転移魔法で逃げるか。

 アレクセイは少し迷ったが、どれも使わないことにした。


 こういう気分のときは、相手に従うのが一番悪い。

 それから大げさな仕草で片手を扉の方に向けると、


「お帰りはあちらだ。ああ、まだ扉をくぐってもいなかったな。大公閣下に宜しく」


 と、最大限の嫌味を込めて賛辞を贈った。

 大公の執事は、最初はしゃべったもののそれからずっと沈黙を貫き通していた。

 片方の頬をピクピクと痙攣させるように震わせながら、静かにその身のうちに怒りを宿しているかのに見えた。


「あなたのその決断があなたご自身を破滅に導かないように忠告させていただきますぞ、グレイスター辺境伯殿」

「これはどうもご丁寧に」


 鷹揚な仕草で両手を広げて感謝の意を表明する。

 ふざけるな、と小さく吐き捨てて、彼らは出て行こうとした。

 しかし、そのうちの一人は面白くなかったらしい。

 なにか言いたげだったから、


「ああ、そうか。ここまで来た手間賃がいるよな?」

「なんだ?」


 上着のポケットに銀貨が何枚かあったので、アレクセイはそれを掴み取ると床の上にばらまいた。

 近衛騎士たちはそれを見て、理解ができなかったらしい。

 硬貨と彼とを交互に見返してから、顔を真っ赤にした。


「ほら、拾えよ。お前たちの駄賃だ。感謝しろよな」


 馬鹿にされたことに気づいた近衛騎士の一人が、腰にさげている剣の柄に手をかけた。

 これで、正当防衛成立だ。

 悪いのは先に手を出したあちらになる。


 アレクセイはそれを確認して心でほくそ笑むと、怒声を上げて殴りかかってきた一番近い一人の腕を逆に掴み、押し返す仕草をした。

 大して力がこもっていないように見えて、戻された近衛騎士は、後ろにいた三人ほどを巻き添えにして、廊下の壁に叩きつけられた。


 次に伸びてきた誰かの腕を片手でいなすと、その力を利用してまた彼に戻してやる。

 三人目にかかってきた男がぐらついた同僚を受け止める形になると、そのがら空きの脇腹に重たい蹴りを入れた。まだたたらを踏んでいる方の胸元に滑り込むと、肘をつかって鳩尾を深く突いてやる。


 そのまま逆の手でこぶしを握り、膝裏を一撃。

 それでことは済んだ。


 ぐふっ、と苦悶のうめき声が上がり、二人の近衛騎士はその場に崩れ落ちる。

 しゃがみこんだ体制から元通りに起き上がると最後に残った一人にアレクセイは向きなおる。


「どうした、来いよ」


 おいでおいで、と手招きすると、男は顔を恐怖に染めて、首を振った。


「やるのかやらないのか?」

「え、いや‥‥‥やめておくよ」

「辺境の田舎貴族にも、こわい相手がいるって理解したか?」


 さらにいたぶるように言うと、「もういいだろう」と制止が入る。

 執事だった。


「礼儀がなっていなかったのはこちらのようだ。失礼をしてすまなかった、辺境伯様。どうかご容赦願いたい」

「そう言っていただけるなら、俺に文句はないよ。こいつらの受け入れはバッチリやっておくから任せてくれ」


 後ろでいきなり始まった乱闘とアレクセイの強さに呆気に取られていた男たちが、ひいっ、と悲鳴をあげる。


「ではそのようにお願い致します。殿下にはこの旨をお伝えいたしますので」

「どの殿下か、はっきりとして欲しいもんだ」


 後からやってきた増援に、仲間たちを背負わせて去ろうとした執事は、今度こそ顔を歪めていた。


「知りすぎるということは毒にもなりえるとご存知か」

「毒には慣れている。知っているか? 獣人の爪には猛毒が塗られていてな。あれにひっかかれたら、ひとたまりもない」

「……あなたはそれを頂いたことがあると?」

「これまで何度もな。その都度、生き延びてこられたのは、女神様のおかげだ」

「……。御用があるのはその殿下ですよ、辺境伯様」


 世の中には聞かない方が良かったことが多々ある。

 どうやら、執事はその手の問題が待っていますよと暗に言いたそうだった。

 せっかく言わないでおいてやったのになんて顔をする。

 彼はつもりに積もった怒りを晴らした気になっていたのだろう。


 近衛騎士たちはアレクセイの暴力から免れた一人が、今にも逃げ出したそうな顔をしてこちらを覗きこんでいる。

 くいっと固めた拳を突き出してやったら、「うひぃっ」とか情けない声を上げてその顔が引っ込んだ。


 それでも王族を守護する近衛騎士か、お前は?

 顔を覚えておいて、後から国王陛下に拝謁を賜った際に、一言物申してやりたくなった。


 もっとも、その前にやり過ぎだとおしかりを受けるだろうが、それは後程考えることにして。若造の鼻っ柱をへし折ってやった気分に浸っている、この執事に偉そうにされる謂われはない。

 住んでいる辺境はつい最近まで戦乱の世、そのものだった。

 中央でぬくぬくと過ごしているこいつらのために、俺は命がけで働いているのだと思うと、なぜだか無性に腹が立った。


 自分の領土の独立を保つためにする戦争と、誰かに雇われて行う戦争は価値が違うのだ。

 少なくとも俺にとっては。

 そう考えると、肉体の格も、魔法の才能も飛躍的に上の連中と、戦場で命のやりとりをすることに、ふとした虚しさを感じた。


 もし、それが誰かの為なら、誰ならいい。

 家族か、恋人か、家臣たちか、国王陛下か、王族か、王国か‥‥‥それとも?

 アレクセイが自問自答して押し黙ってしまうと、それを敗北の宣言と受け取ったらしい執事はふふん、と鼻息一つの残して撤収していった。


 まあ、いい。

 ひと暴れして、もやもやしていたものが晴れた気分だ。

 まだ心のなかのわだかまりは溶けないが、肉体のうっぷんは晴らすことができた。


「おい、行くぞ」


 そう声をかけたら、捕縛されていた男たちはアレクセイの領地に逃げ込むしかないと思ったのだろう、不承不承うなずくと、のっそりと立ち上がる。

 やがて神殿に向かって歩きだしたら、なぜか衛士の数人も後をついてきた。


「おい、もういいぞ。業務に戻れ」

「あ、いや‥‥‥。私達もなんだかにらまれそうでして」

「聖女様に匿って頂こうか、と。そう話しておりました」

「かくまう? 神殿にか? 俺が話をしておくから、戻れ!」


 いくら大公殿下とは実の兄に従う部下を罰したりはできない。

 それこそお門違いというものだ。

 彼らを言い含めると、アレクセイは神殿に向いて再度歩き出す。


「……聖女様のための国ってのも‥‥‥」


 悪くない。

 そんなことがまるで天啓のようにひらめいたのは、もしかしたら女神様の思し召しなのかもしれなかった。

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