第14話 王弟殿下

 男は涙を目に溜めて命乞いをし始めた。

 こんなに口の軽いスパイがいていいのかと思うほどである。

 こういった輩は言葉の端々に嘘を混ぜて真実をその中に覆い隠してしまう。

 信じるに足りない連中だった。


「まっ待ってくれ。違うんだ、俺はなにも悪くないんだ」

「悪くないやつは、いつもそう言うもんだ」


 すがりつくまだ若い、海外で流行りの恰好をしたその男は、軽薄そうにそう言った。

 アレクセイはにべもなくそれを却下する。

 あと数発殴りつければ、こいつなら口を割るだろう。そう思っての、却下だった。

 しかしその一発の合間にかかる時間が、五分になるのか、十分になるのかでこれから先、まだ四人ほど捕えて縛り付たまま床に転がしている男たちの尋問が伸びることになる。


「辺境伯様。あとは我々が」


 近衛衛士が言った。

 アレクセイは最初に殴った男に拳を振り上げたまま、どうしたものかと軽く思案する。

 もしこいつらが王宮にいる誰か――王族かそれに次ぐ特権階級の人間の雇い入れた人間だとしたら、逆にスパイたちの命が危ない。


 アレクセイがいなくなったとたんに命の灯を吹き消されかねないのだ。


「お前、もし俺がここからいなくなったら大変なことになるかもな」

「ひっ……?」


 へつらいの笑顔を見せていたその男の顔から、笑みが消えた。

 瞳に怯えの表情が映る。

 それから、もう騙しきれないと悟ったのだろう。


「俺はお前の爵位と名前を知ったからな」


 と、あからさま威嚇の表情で目をむき、そう唸るように言った。


「脅すつもりかいい度胸だな」

「俺の歯は高いぞ。金貨十一枚だ。どうする? 一枚くらいはサービスしてもいい」


 まるで立場が逆転したように彼はこちらを伺いながらそう提案してくる。

 つまり金貨十枚で寝返ってもいい。

 そう提案しているわけだ。


「出してくれるよな? でないとあんたの大事な爵位に傷つくぜ」

「……あいにくとそんなものに傷がついたところで俺は痛くも痒くもない。間に合ってるからよそ行ってくれ」

「おい、まじかよ‥‥‥しゃべるって言ってるんだぞ!」


 男はあんぐりと口を開け信じられないという顔をした。

 首を左右に振って、いやいやとするかのように、助けを求めている。

 その視線は、アレクセイの向こうにいる男たちに向けられていた。


「あー……。口が軽そうなお前を買っても、後が心配なんだよ。どうせなら一人金貨百枚を出して、後ろの男たちを雇った方が賢い気がする」

「辺境伯様! 正気ですか!」

「いいから黙ってろ。ここは俺が仕切る」


 金額を聞いて悲鳴を上げた近衛衛士を黙らせると、うぐうぐと芋虫のようになりながら、こちらに向かってうなずく四人の男たちに、アレクセイは目を光らせた。


「わかった、わかった、落ち着けって」

「うぐっ!」


 四人の返事は肯定らしい。


「お前はどうする。十枚なんて俺にとっては小遣いと同じようなもんだ。百枚も大して変わらない」

「何を知りたいんだ‥‥‥」


 かわいそうに、両方の頬を殴られ歯を折られた若者は、涙目になっていた。


「話せよ、お前が知っていることすべて、いますぐにだ」

「わかった」


 だがその前に助けることを約束してくれと男は懇願する。

 どうしようかと逡巡していたのは、二分くらいだっただろうか。

 若者にとっては永遠に近い、二分に感じられたかもしれない。

 助けてやる、と言おうとしたら、コツコツと部屋の入り口を叩く者がいた。


 扉を開けると、随分と身分の高そうな男が壮年の男が一人。

 その周りを六人の近衛騎士が固めている。

 ‥‥‥王族か?

 記憶に間違いがなければそれは国王の弟、王弟殿下とも大公殿下とも呼ばれる男の、執事だった。

 いきなりの訪問に、アレクセイはどこか疲れを覚えて、彼らを見つめた。


「大公閣下の側用人が何の御用かな」

「辺境伯様。殿下がお呼びです」

「殿下‥‥‥?」


 大公は殿下だ。殿下は王位継承権を持つ者が呼びならわされる敬称だ。

 しかし、この王宮の中には殿下と呼ばれる存在が、十数人はいる。

 さてはて、どの殿下なんだか。


「閣下のご用命ではないのですか」

「殿下がお呼びだと言っているだろう!」


 近衛騎士の一人が唾を吐き捨てるようにそう言った。

 彼らは王族のためにだけ存在する。

 王族以外の高位貴族なんて、人間以下だと思ってやまない連中だった。


「殿下のご用命であれば承ることができませんね」

「なんだと。貴様誰に向かってもの言っている」

「お前こそ俺を誰だと思ってる。辺境伯の特権を知らないのか? ばかな近衛騎士め」


 こういう時にこそ役立つ自治権というものがある。

 皮肉を込めてそう言ってやったら、彼らは心底嫌そうな顔した。


「残念ながら今ここは、俺が借りている土地なんでね。王宮の中でも、俺の自治権‥‥‥治外法権は存在する。俺はこいつらを庇護すると、たった今決めた」

「おい‥‥‥」

「ふぐっ!」


 疑念と困惑と歓喜の入り混じった声が室内に響いた。


「お前‥‥‥正気か? 殿下のご用命だぞ? ご機嫌を損ねたらどうなるか分かっているのか」

「もちろん。こいつらん今から俺の客人だ。おい、縄跳びて差し上げろ。怪我をしたそちらの方に治療魔法かけてやれ」

「は、しかし‥‥‥」

「早くしろ。俺が全責任を持つ」

「はあ……」


 あいだに立たされた近衛衛士はかわいそうなもので、どうして俺たちはこんな場所でこきつかわれなきゃいけない、とぼやきながら縄を解き、怪我の治療をしてやる。

 それはどこかにいるだろう殿下に対する、辺境伯流の侮辱だった。

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