第4話

 一か月が経過した。

 叶の仕事はそろそろ繁忙期に差し掛かる頃合いだった。でもこの忙しさは繁忙期というよりも、むしろ人員が1人欠けたことによるものだ。同じ部署の20代半ばの女性社員が産休に入ったのだ。普通だったら人員を増やすところだろうけど、どうやらその予定はないらしい。これから繁忙期が終わる2月まで、今の体制でほぼノンストップで駆け抜けなければならない。

 この前の同窓会で八木と連絡先を交換したところ、どうやら八木から千夏へと漏れたらしく、千夏から頻繁に遊びのお誘いがくるようになっていた。千夏のことはそこまで好きにはなれなかったが、それでも誘いを受けるのは嬉しくて、仕事で忙しく断らざるを得ないことを申し訳なく思っている。それとは別に連絡先を千夏に教えた八木には、お叱りのメッセージを入れた。八木はすぐに電話をくれて、心の底から申し訳なさそうに謝るので、叶は許さざるを得なかった。

 それ以来、八木とはどういうわけか毎日のようにやりとりをしていた。

 久しぶりの休みだった。

 本当は今日も千夏からお誘いがあったのだが、今日はどうしても家事をしなければならない。二週間ほど忙しく過ごしていたので、部屋の中が乱雑に散らかっているし、洗濯物も一週間分溜まっている。食器も洗わなきゃならないし、掃除機もかけたかった。

 最近ではテレワークなんて日ものもあって、自宅で勤務することもあるのだがその合間を見計らって家事かできるほど叶は器用ではない。

 窓を開けて、空気を入れ替える。朝に回した洗濯機が終わったので、よく晴れたお日様の下に洗濯物を干した。朝食の時に食器も洗ったし、あとは部屋の片付けだけだった。

 デスクの周りを片していたとき、ふと本棚に目が止まった。本棚には沢山のビジネス書と漫画が並んでいて、その隣に高校の卒業アルバムがあった。

 --いつ、実家から持ってきたっけか。

 持ち出した覚えはなかったが、引越しの時に紛れ込んでいたのだろう。高校を卒業してからほとんど開かれていないその本は埃こそ被っていたが、昔のそのままの状態でそこに置かれていた。

 なんとなくそれを引き出してみる。

 この前会ったみんながどんな高校生だったのか、少し気になった。

 冊子の真ん中ら辺を開くと、ちょうど修学旅行の写真が纏まっている箇所だった。四ページに渡って全部のクラスが載っている。3年B組のものを探して、自分が写っていないかと確認した。

 そうか、当時は写真柄あまり好きじゃなかったなと思い出す。

 叶の写っている写真はあることにはあったけれども、叶は明るく元気に中央で写ってる男子たちの端っこで、遠慮がちに笑いながら小さく写っている一枚しかなかった。確かアレは金閣寺に行った時、先生に突然声をかけられたのだったか。

 修学旅行は男女合同の班で、叶はもちろん沙織と一緒だった。叶は相変わらず男子に対して人見知りをして、沙織とばっかり話をしていた気がする。男子もわざわざ叶に話しかけてくることもなかった。きっと男子たちからは嫌われてるんだろうな、と思っていた。だからこの前千夏が言っていた「叶ちゃんはモテモテだった」と言うのは、未だに信じられていない。アレはおそらく調子のいい千夏が口から出まかせに言ったことだろう。

 みんないい笑顔をしている。ペラペラとページを遡ってめくっていく。体育祭の写真なんかは悔し泣きで泣いているものもあるけど、どれも楽しそうだった。

 当時に戻りたいな。と叶は思った。

 たぶん高校の頃は高校の頃でそれなりに悩んで苦労を生きているのだろうけど、今の自分に比べたらちっぽけな悩みだったんだろうなと思う。高校生の悩みなんてせいぜい青春の輝きの一つに過ぎない。当時の自分にそんなことを言ったら烈火の如く怒られるとは思うけれども。

 数ページめくって、やっとクラス名簿までたどり着いた。

 簡素な白い土台にゴシック体で3年B組と書かれ、みんなの顔写真が四角い枠で並ぶシンプルなページ。最初に自分を探した。写真はあいうえお順で並んでおり、叶はかなり下の方にあった。当時の、長い髪を二つ結びに結った自分。若々しくて可愛くて、今ほど卑屈な雰囲気のない自分だった。自分には明るい未来が待ち受けていると盲信している顔で、何も考えていない馬鹿の顔だった。自分にもこんな顔をしていた時期があったのかと思う反面、あまりにも知性に欠けた顔に少し嫌悪感を覚えた。

 それから、八木を探す。八木は叶の殆どすぐ下にいた。たしかに今は目尻に少しシワができ始めていて、沢山の人生を積んで男らしい顔つきになってはいるがこうやって見るとあまり変わりがないように見える。何も考えてなさそうな叶の顔とは全く違って、八木は見るからに頭の良さそうな顔をしているように見えた。

 それから花山を探して、沙織を探して、千夏を探した。

 この前会ったときはみんなとても変わったと思ったけど、こうやって昔の写真を見てみると案外変わっていないものだなと思う。それから、美奈を探して春海を探して--『な』行に来て思わず手を止めた。

 ざわりと鳥肌が立った。


『中澤 雄大』


 そこにはそう書かれていた。そこに貼られているのは、みんなよりも少しだけ幼い少年の写真。どう見ても入学したての男子の写真。

 その顔を見て、失われていた記憶が一気に蘇ってきた。

 それは病気で殆ど学校に来ないまま亡くなった子の写真だった。

 一年生のころに病気になって、それから入退院を繰り返して、3年になって二、三回学校に来ただけでそのまま亡くなってしまった男の子。そうだ。一番最初に叶の隣の席になったのは彼だった。

 三年になって一番最初の席替えで、叶は運良く窓際の一番後ろの席に当たった。叶の前の席には沙織がいて、確かその隣には成瀬が座っていたと思う。ただ他と違うのは、隣の席がいつも欠席だったことだ。その子は病気でなかなか学校に来れないと先生から説明を受けて、そんなもんなのかと納得していた覚えがある。最初はどことなく寂しい気もしたが二、三日したらそれにも慣れて、気にもならなくなっていた。

 席替えをして二週間くらい経った朝、叶が教室に着くと叶の隣に見知らぬ男の子が座っていた。年齢の割に小さくて、ガリガリに頰の痩けた青白い顔の男の子。その子は叶が席に着くと「おはよう」と叶に笑いかけた。

 --この子が『中澤 雄大』君か……。

 と叶は思った。あまりにも病的なその出立に少し驚いたが、愛想笑いで「おはよう」と返した。すると、彼は嬉しそうに笑う。

 なんとなく気になって、授業中、叶はずっと彼を眺めていた。

 一時間目の数学の時、彼は必死で板書をノートに写ししていた。それから、先生の何気ない言葉の一つ一つを絶対に聞き逃すまいと真剣な眸で先生を眺めていた。殆ど学校に来れていないのに、内容を理解しているのだろうかと不思議になって、休み時間に訊いてみた。

 彼はニッコリと力のない笑顔を見せて、笑った。

「うん、全くわからないけど、でも楽しいんだ。ほら、僕殆ど来れてないから、普通の学生が普通にしてる時間を僕も過ごしてるって思えるのが楽しくて仕方がないんだよ」

 そう言われて叶は正直理解が出来なかった。

 理解はできなかったが、理解が出来なくともこの男にそこまでの興味もなかった。話はそれで終わって叶はすぐに沙織の元へと向かった。

 二時間目も彼は真剣な眸をしていた。真剣な眸で板書を写す彼を、叶は授業もそっちのけでただ見つめていた。コロリと彼の脇から消しゴムが落ちた。コロコロと叶の足元まで転がってくる。ずっと彼を眺めていたので、気づいた叶は消しゴムを拾った。そして拾おうとした彼に手渡した。

 彼は午前中の授業だけ受けて帰って行った。お昼休みに彼のお父さんらしき人が教室まで迎えに来て、お父さんが担任の早川先生にペコペコと何度も頭を下げていたのを覚えている。

 彼が学校に来ることは二度となくて、それから約二週間後、先生から彼が死んだという報告がされたのだった。


 あの男性は確かに『中澤 雄大』と名乗っていた。もしかしたら悪戯かなにかかもしれない。クラスの中の誰かが、会場にいる叶たちに少し不快な思いをさせようと、中澤雄大を騙ったのかもしれない。

 そう思いながら、改めてアルバムの写真を見た。

 アルバムの幼い少年--おそらく使えそうな写真が入学当時の学生証用の写真しかなかったのだろう--を見ながら、この前の男性の顔を思い出す。

 違う。あれは本人だ。

 妙な確信があった。

 この写真の子は幼いけれども、確かにこの前の男性の面影があった。目も鼻も唇も、すべてあの男性と同じだった。

 叶いさはスマホを取り出した。そして、電話をかける。

 二、三コールの後、『松谷さん、どうしたの?』

 きっと仕事中だと思ってたので少しびっくりた。一瞬言葉に詰まったが、叶は振り絞って話し始める

「あのね、八木君--」

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