第2話

「こんにちわ」と叶はその人たちに話しかけた。

 別にリーダーというわかではないとは思うが、いつも集団の真ん中にいた早川美奈が驚いた顔をした。

「松谷さんが私たちに話しかけるなんて……」

 正直とても失礼だとは思ったけれども、美奈がそう思うのも無理はない。だって、学生時代は叶が一方的に美奈たちを無視していたのだ。いや、無視していたわけではないが、なるべく意図的に関わらないようにしていた。何かあった時迷惑を被るのは嫌だったのだ。

「私、ずっと松谷さんに嫌われてると思ってた」

 と美奈は笑った。

 小さな身体は相変わらずで、白いふわふわとしたニットを着ている。きっとお金持ちと結婚したのだろう。着ている服や着けているアクセサリーの一つ一つが高価そうなものだった。金銭的な余裕は心の余裕にもつながるらしく、昔は家庭環境があまり良くなくてギスギスしていた表情も、今は穏やかだ。当時と変わらないのは下品に染めた金色の髪だけだった。

「嫌ってなんかないですよ」と叶は言った。

「確かに当時は少し怖かったですけど、今も怖いってわけではないので。皆さん、とっても変わっててビックリしちゃいました」

「松谷さんもめちゃくちゃきれいになってるよね」

 と美奈の隣から春海が口を出す。記憶があやふやではあるが、どうやら春海は当時よりもだいぶ太ったようだった。

「そんなことないですよ」と叶は笑う。自分でもわかるくらいに貼りついたような、愛想笑いだった。

 三人はどこか居心地の悪そうな顔をしている。居心地の悪さは叶も感じていた。やっぱりこの三人に声をかけたのは間違いだったと思う。話しかけたところで特に話したい思い出話なんてないのだから。

 少し沈黙があって、「そ、そういえば」と美津香が話を変えようとした。助け舟が出たと言わんばかりに美奈と春海が「何?」とくいつく。

「酒井さん、めちゃくちゃ変わってびっくりしちゃった」

 美津香は言った。

「わかる!私、CHINATSUが酒井さんだなんて思わなかったもん」

 と美奈。

「なんで私たち昔のあの子とあまり仲良くなかったんだろうねえ。もし仲よかったら今頃ゲイノウジンとお友達だったのかもしれないし」

 春海が言う。

「ねえ」と振られて叶はどうしていいのかわからず微笑んだ。

 --芸能人、か。

 全く興味がなかった。

 美奈たちの話では、CHINATSUは有名紙の表紙になるなどの売れっ子をずっと続けており、最近はフィットネス本を出したりしてテレビにも引っ張りだこらしかった。

「ねえねえ、酒井さんに話しかけてみない?」

 美津香が言った。

「そうね、そうしましょう」と他の二人が同意する。そうして、いそいそと男子の集団に紛れて話をしている千夏の元に向かって行った。

 千夏と関わるのがなんとなく嫌で、叶はそっと輪の中から外れた。

 ぐるりと辺りを見回す。沙織を探す。どうやら沙織は会の始まりだけを手伝って、すぐに帰ったようだった。他に仲の良かった子たちは殆ど来ていない。それぞれグループを作って話をしているが、そのどこにも入っていける雰囲気ではなかった。

 仕方なしに叶は用意してある誰も座っていないソファの席に腰をかける。手元のシャンパンがシュワシュワと喉に心地いいが、一人で飲むのはなんとなく寂しいような気がした。

「一人で寂しくないの?」

 突然、男性に話しかけられて叶はビクリとした。顔を上げると、見たことのない男性がそこにいた。

 長髪で背の高い男性。ラフなジーンズに大きめのニットを着ていて、無精髭をはやしている。ショップ店員かどこかのミュージシャンと言ったような風体の彼は、顔を上げた叶ににっこりと笑いかけた。

 叶はこの男に見覚えがなかった。もう15年も立ってしまっているから、もしかしたら千夏のように雰囲気が変わってしまったのかもしれないし、ただ単に記憶にのこっていないだけかもしれない。『誰?』とも聞きづらくて、叶は困ったような顔で笑った。

 その叶の様子に何かを察したようで男は

「もしかして、松谷さん、俺のこと覚えてない?中澤雄大だよ」

 と言った。

 少し考えて、叶は言った。

「……ごめん」

 どうしても思い出せなかった。昔に立ち戻って、教室の中をぐるりと見回してみたけど、どうしても「中澤雄大」という名前の生徒を記憶の中から呼び出すことができない。

「ははは、ひどいなあ。席、隣だったこともあるんだぜ?」

 少し驚いた。三ヶ月に一回の席替えだった記憶がある。そんなに長い期間隣の席だったのに、全く記憶にない。

 雄大はいかにも女慣れしてそうな自然な動作で叶の隣に座った。しっかりとパーソナルスペースは守っているが、それでもほのかに体温を感じるくらいの距離感。なんとなく心地のいい距離感だった。

「みんなと話さなくてもいいんですか?」

 と叶は聞いた。雄大は少し悲しそうな顔をする。

「うーん、俺は松谷さんと話したかったから、来たんだけど迷惑だった?」

「いや、迷惑ってことはないですけど……」

 --私なんかと話しても然程面白いことはないですよ。

 叶はそう言いかけて言葉を飲み込んだ。なんとなく、この会場に入った時から--沙織や千夏と出会った時から妙に卑屈になっている自分を感じる。結婚して幸せそうな沙織や、プライベートはイマイチでも仕事では大成功している千夏に嫉妬しているのかもしれない。別に自分の生活が充実していないとは思っていないし、仕事も順調だ。友人だってそれなりに仲良くしてくれてる人たちはいる。でも、心のどこかで二人に対して敗北感を覚えている。

 黙ってしまった叶の顔を雄大は覗き込んだ。

「松谷さん、全く変わってなくて安心した」

「そう……ですか?みんなから『めちゃくちゃ変わった』って言われますけど」

 叶は怪訝そうな顔をした。

「確かに容姿はめちゃくちゃ綺麗になったとは思うけど、でも昔とおんなじで優しいままだ」

「優しい……」

 口説かれていると思った。この男も同窓会を婚活パーティーかなんかと勘違いをしている千夏と同じぼんくらなのだ。初めて会ったも等しい、記憶にないこの男の印象が地に落ちた。この男とも早く離れたい、そう思ったが隣に座られてしまっては中々タイミングも難しい。

「あ、違う違う。別に口説いてるとかそう言うわけじゃないからね」

 と雄大は叶の表情から何かを読み取って言った。

「まあ、うん、正直言うと……俺、高校の時、松谷さんのこと好きだったんだよね」

「はあ」

「だから、今日松谷さんが来てくれたの嬉しくって。ついつい話しかけちゃったわけ」

 雄大は肩を竦めた。下の方からジロリと舐め付けるようにした叶に戯けた笑みを向ける。

「なんで、好きになったんです?」

 叶は訊いた。

「なんでって言われると恥ずかしいなあ。簡単なことだよ。隣の席になって、俺が消しゴムを落としたとき笑顔で拾ってくれたっていう」

 あまりにも単純で叶は思わず笑った。その様子を見て、雄大は少し耳を赤くした。

「いや、男子高校生ってめちゃくちゃ多感な時期だからね。ちょっとのことで女の子のことを好きになる。俺、それからずっと松谷さんのこと好きだったんだから」

 言い訳がましく説明する雄大がおかしくて、それがツボにハマって叶はますます笑う。雄大の顔がさらに赤くなっていく。

「あと、ほら学園祭の時!」

 雄大が思いついたように言った。

「学園祭のとき?」

「クラスで劇をやって、松谷さん主人公役だったけど登場して真っ先にこけて転んで……」

 今度は叶が赤くなる番だった。

「それで慌てて起き上がろうとしたんだけど、裾の長い衣装に躓いてまた転んで……」

「やめて!」と叶が雄大の口を押さえた。茹で蛸みたいに真っ赤になりながら、

「恥ずかしい思い出を話すのやめてよ……」

 と力なく言った。自分でも高校生の可愛らしいエピソードであるとは思うけど、その可愛らしいエピソードを自分がやったと思うと顔から火が吹くほどに恥ずかしい。

「もう!恥ずかしいこと言わされたから、仕返しのつもり?!」

 叶は頬を膨らませた。

「違う違う。ごめん。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃん」

 と雄大。

「俺、あの時の松谷さんが本当に可愛いって思って、それでもっと好きになったんだよね」

「……なんで告白してくれなかったのよ」

 叶がポツリと言った。

 あの時もし誰かに告白をされて、誰かとお付き合いをしていたら、今の自分じゃない自分がここにいた気がする。沙織や千夏に対して、卑屈になんかなっていなかったように感じる。

「うーん……それは……」

 雄大が空を仰いだ。

「色々あったんだよ。俺も、松谷さんに告白して、付き合えたら本当に幸せだったと思う」

「色々って何?」

「うーん、色々……かなあ」

 歯にものが挟まったような物言いに叶が雄大をジッと見つめると、雄大は少し居心地の悪そうな顔をした。それから、ふと何かに気づいたように腰を浮かせる。

「俺、少し用事を思い出したから、また後でね」

 そう言って、席を立っていった。

 直ぐ後に「叶ちゃーん」と呑気な声がかかる。

 千夏だった。

 どうやらお目当ての男性はゲットしたようで、腕を組みながら近づいてくる。隣にいるのは--花山聡か。当時は千夏同様地味で、皆から少し距離を置かれているような奴だったがパリッとスーツを着た姿は仕事のできる営業マンと言った風だ。容姿が変わっても、案外誰なのかわかるものだなと叶は思った。

「叶ちゃん、私たち三人でこの後二次会に行こうと思うんだけど、一緒に来ない?」

 千夏は言った。

「私、邪魔じゃないです?」

「えー、何言ってるの?全然邪魔じゃないよ!むしろ一緒に来てくれたら嬉しい!」

 おそらく酔っ払っているのだろう。千夏の頬は僅かに上気している。千夏に腕を組まれている花山が申し訳なさそうに『お願い』と言った感じで手刀を作った。その隣で三人の中のもう一人、八木太一が苦笑いをしている。

「仕方ないなあ」と叶が言うと、千夏は顔をパッと明るくして聡に抱きついた。聡は困ったような顔をしながらもまんざらでもなさそうな雰囲気である。

 いい雰囲気な二人を尻目に八木が叶に話しかけた。まるでトーテムポールのように背の高い八木に見下ろされて、叶は少し動揺する。

「ごめんね、松谷さん。付き合わせちゃったみたいで」

 しかし、口を開いた八木の喋り方は思いの外優しかった。

「ううん、全然ですよ。酒井さん、大分酔っ払ってますね」

 と叶は答える。

「うーん、そこまで飲んでたわけじゃないと思うんだけどなあ。お酒、たぶんそんなに強くないんだと思う」

「私、酒井さんがあんな感じだって知らなかった」

「僕も」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「そう言えば、さっきまで松谷さんの隣で話してたロン毛の男、誰?」

「中澤雄大くんだって。中々のイケメンだったよね」

「中澤?」

 八木が不思議そうな顔をした。

「どうしたの?」

「いや、覚えがないなって思って」

 ただでさえ細い目をさらに細めて、八木は腕を組んで考える。それでもどうしても思い当たらないようだった。

「おかしいなあ。女子はともかく、男子で覚えてないなんてなあ……。おい、花山!」

「なんだよ」

 花山は千夏からやっと解放されると言ったような表情で八木を振り向いた。

「花山、中澤って奴知ってるか?」

花山も不思議そうな顔をした。「女子か?」と訊いて、八木が「いや、男子」と答える。

花山もまた腕を組んで考える。

「うーん、それ、うちのクラス?」

やはり覚えがないようだった。

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