レプリカ、レプリカ


 左目が光を失った瞬間、あるいは両脚が動かなくなった刹那、俺はもう必要ないと世界から切り捨てられた。けれど、その選択を後悔したことは一度も無い。

 それは雨の夜、鉄格子の奥の窓に大きな雨粒が叩き付ける五月蠅い夜のことだった。談話室に飾られていたクリスタルのオブジェを握り締め、俺は息を殺して足音を消して駆けた。目指すのは施設長の部屋。雨音に紛れてドアを開ける。寝台に施設長の後ろ姿が見えた。俺はクリスタルを握り直して寝台へ走り、施設長に目掛けて精一杯の力で振り下ろした。施設長は唸り声を上げて倒れた。俺は寝台に縛られたサクラの拘束を解いた。

 だが、幼い俺の力では施設長を気絶させることは出来なかった。俺がサクラを解放したのと同時に、硝子瓶が俺の顔に飛んできた。割れた硝子片が身体のあちこちに突き刺さった。抵抗するより先に殴り倒され、立ち上がる前に蹴り上げられ、俺は床に這いつくばった。自分自身が呼吸をしているのかさえ分からなかった。痛みが全身を駆け巡る。流れ出す血が生ぬるい。

 泣きじゃくりながら部屋から逃げ出すサクラが歪んだ視界の片隅に見えた。良かった。俺は笑った。俺の左目が映した最後の景色に、サクラが居てくれて良かったと思った。


 それから何がどうなったのかは分からない。

 気が付いたら三日後で、俺は診療所で寝かされていて、左目と両脚とナンバーを永遠に失ったのだと医者から告げられた。俺はその宣告を随分と穏やかな心持ちで受け入れた。

 生まれた時にすべての人間へ割り振られるナンバーは、中央管理局が世界を統率するためにある。出自や成績、健康状態から資産まで、あらゆる情報がナンバーで管理されている。人間として生きるためにはナンバーが必要だが、それはこの世界にとって有益な存在であることの証明になる。俺は身体の欠損と暴力行為によってナンバーを剥奪された。だが、そんなことはどうでも良かった。俺はサクラの安否を尋ねた。サクラの無事さえ分かれば、俺のことなんて本当に、どうなったって構いやしなかった。

 逃げたサクラは管理局に保護されて、新しい施設に移ることが決まったらしい。サクラは施設でも飛び抜けて優秀だったから、どこへ行ったって上手くやれるだろう。

 さあ、と俺は医者に腕を差し出した。ナンバーレスには生きる資格が無い。人体実験の被験者になることで技術の発展に貢献するか、安楽死することによって社会の負荷を減らす。社会の講義で最初に教わる基礎だ。

 医者は首を横に振って言った。

「君の命は、彼が買い取った」

 俺はその言葉の意味を飲み込めずに医者を見詰めた。

「飼育はナンバーレスを生かす唯一の手段だ。最初にそう教わっただろう?」

 今になって痛みがやって来た。どうやら俺はサクラに飼われることになったらしい。喜ぶべきか、嘆くべきか。こんな時にどうすれば良いかなんて教わっていない。俺はただ灰色の天井を見上げていた。

 サクラが教育課程を終えるまでの間、俺は診療所で暮らした。片目での生活に慣れるには時間が掛かった。腕が使えるのは救いかもしれなかったが、義足での歩行はぎこちなかった。慣れたと思っても、成長期の肉体はすぐに大きくなる。身体の成長に合わせてパーツを変えると、また最初からやり直しだった。

 ようやくなんとか思い通りに生活出来るようになった頃、サクラが俺を迎えに来た。五年ぶりの再会だった。中央管理局の制服に身を包んだサクラは、背が伸びて声は低くなって、俺の知らない姿になっていたけれど、そのひとが間違いなくサクラだと俺には分かった。

 俺の首にはめられた首輪は、サクラの瞳と同じ、真っ黒な空の色をしていた。


 サクラに引き取られてから四年の月日が流れた。

 俺の左目は星硝子製の青い義眼になり、右脚は星鉛と白金の合金、左足は星鉛と黒金の合金の義足なった。

 ナンバーが剥奪されたことで人間としての俺の存在は社会から削除されたが、サクラの飼育物として登録されているので今日も生きることを許されている。法的に言うと俺は愛玩動物で、この首の黒い首輪がその証拠だ。つまり俺は飼われている犬や猫と同じ存在だ。人間の飼育は富裕層の道楽だ。気に入った人間からナンバーを奪う手段は選ばない。あの夜、俺が邪魔しなければ、施設長はサクラをナンバーレスに出来たはずだった。

 愛玩人間は、街ではあまり良い目では見られない。どれほど整った外見をしていても、どれほど魅力的だったとしても、愛玩人間はナンバーレスだ。人権なんて無い。ナンバーレスに対する暴力行為そのものは罪に問われない。ナンバーレスが襲われないのは主人である金持ちが傍に居るからだ。だから単独で出歩くなんてあまりにも無謀だ。俺にとってはサクラの部屋だけが安全な居場所だった。世の中には自ら望んで愛玩になる人間もいるらしい。囲われて暮らす怠惰な生き方を望む者、社会の責任から逃れる者、自由よりも安全を優先する者。

 サクラと俺の場合は、ナンバーレスを生かすための選択だ。これが至極まともな理由に聞こえるかもしれないけれど、実際には、救済のためにナンバーレスを飼育するというのは珍しいことだという。そのことを教えてくれたのは診療所の医者だ。飼育の許可を得るには厳しい審査があるらしい。だが、サクラは俺を飼うための許可を子どものうちに勝ち取っていた。ずっと不思議に思っていたが、中央管理局の制服姿のサクラを見て、曖昧に納得した。

 愛玩動物は公的な教育を受ける資格を持たない。だから俺はサクラと診療所の医者から勉強を教わった。あの医者が闇医者の顔も持っているのだと知ったのは、そうして勉強をしたからだ。学んだことと実態の辻褄がどうにも合わないと思って尋ねてみたところ、随分あっけらかんと正体を明かされた。

 勉強は途中から情報工学ばかりになった。俺に特別な才能があったわけではない。サクラが俺に望んでいるのだと受け取った。俺はサクラの期待に応えようと必死に勉強した。世界との繋がりの無い俺には時間なんてものはいくらでもあって、家事をしても有り余る勉強時間が確保出来た。残された右目は疲れるし、義肢と生身の境目は痛むけれど、構っていられない。他に選択肢が無い。

「今日は何をして過ごしたの」

 仕事から帰ると、サクラは俺の一日を尋ねた。答えられるような時間を過ごしているわけがないのはサクラが一番知っている。俺の毎日は同じことの繰り返しだ。部屋に隠している監視カメラを確認すれば一目瞭然だ。留守番の間は義足を片方外している俺はどこへも行けない。たとえ自由に身動きが出来たとしても、俺はどこへも行かないだろう。それはサクラが一番知っていることなのに、それでもサクラは毎日、毎日、俺の一日を尋ねた。俺の答えを聞いたサクラは心の底から安堵したような顔をする。

 サクラは何を恐れているのだろうか。俺にはサクラの不安の理由が分からなかった。この世のすべてに絶対なんて存在しないのだと言うけれど、俺がこの部屋でサクラの帰りを待っていることはいつだって、絶対なのだから。


 俺は自分の無学を自覚している。社会についての知識や常識といったものは施設で暮らしていた頃に習ったところで止まっていると言っても良い。今の俺の頭にあるのは、ほんのわずかな一般教養と、診療所で得た初歩の医療技術、そして残りは情報工学だ。その中でも特に大きな割合を占めるのが、中央管理局の情報データだ。

 ナンバーズの情報、インフラ、天気予報、各局の実験や研究。この世のあらゆる情報が集められたデータベースが中央管理局にあり、ネットワークは世界にとって脳のようなもので、社会を統率するのに必要不可欠な存在だ。

 情報工学の基礎を一通り学び終わった頃、サクラが中央管理局の情報部門の資料を持ってきた。

「頭に入れて」

 俺はサクラと資料を交互に見た。言葉の意味は分かった、けれど、言葉の意図が分かりかねた。

「頼んだよ?」

 そう言ってサクラは俺の右目を覗き込んだ。学の無い俺は、サクラの意図をくみ取ることが出来なかったし、想像することさえ出来ずに、ただ頷いた。俺はサクラが望む通りに生きるほかに、サクラの役に立てることがもう何も無かった。

 サクラは俺に何を期待しているのだろう。資料を読みながら、俺はサクラのことを考えた。ナンバーレスの俺に出来ることなんて限られている。世界を変えるどころか、この部屋からひとりで出ることさえ叶わない俺に、サクラは何を望むのだろうか。

 鏡に映るのは、片目と両脚を失った俺だ。高価な義眼と義足を与えてまで、サクラはどうして俺にこだわるのだろうか。切り捨ててくれて良いと俺は思っている。あの夜、確かに俺はサクラを助けたけれど、それは、俺が助けたつもりになっているだけかもしれない。あとになって思い返してみれば、助けないほうがサクラにとっては幸福な人生になったかもしれない。俺は身体の欠損に後悔は無いけれど、あの夜がもしサクラの人生の邪魔だったのだとしたら、どうだろうか。捨てられたって恨みはしない。野良のナンバーレスは捕まえられて収容所に送られる。それで構わない。

 俺を救わなくたって良いんだよ、サクラ。お前が俺の命に責任を持つ必要なんてどこにも無いんだ。


 義眼の瞳は、金や銀が散らばった青。星空を閉じ込めたような色合いは星硝子の特徴だ。眼帯で覆うだけで俺は良かったのに、サクラは俺に義眼を入れると言って譲らなかった。多くの主人がそうであるように、サクラも自分の愛玩人間を着飾りたい気持ちがあるのかもしれない。

 時折、サクラに連れられて外に出る。たとえば、義肢のメンテナンス、公的な手続き、大きな買い物、それから、休日の散歩。休みの日のサクラはいつもより遅い時間まで寝て、のんびりと起きてくる。その頃には俺は家事のほとんどを終わらせて勉強をしている。

「出掛けようか」

 サクラがそう言うので、俺は身支度をする。サクラが休みの日は良い。両足が地に着く。普段はどちらか片方の義足をサクラが外して鍵を掛けてしまうから、俺は床を這うように移動するしかない。片足で跳ねるのは少し疲れるから好きではない。

 義足は服で隠れても、義眼と首輪は隠れない。外を歩けば俺がナンバーレスだとすぐに分かる。道行く人たちは声を潜めることもせずに、俺がナンバーレスになって飼育されている経緯に勝手な想像を巡らせる。俺は見た目が特別整っているわけでもないし、何かの能力に特化しているわけでもない。どうしてと聞かれても、少しも間違いのない正解を俺だって知らない。

「随分と若い飼い主だけれど、そういう趣味なのね」

「どこかの道楽息子だろう、親の金で権威を自慢したいだけさ」

 俺自身が何と言われようとも構わないが、サクラを悪く言われると腹が立つ。聞こえているはずなのに、サクラは涼しい笑顔を崩さないものだから、なおさらだ。そのくせ、俺の不機嫌にはすぐ気付く。

「僕のために怒ってくれるの」

 サクラは目を細めて笑う。俺はサクラのそういう、俺以外の人間にはこれっぽっちも興味の無いような生き方が、どうにも苦手だった。中央管理局の仕事だって、使命感を持っているわけではない。ただそれがサクラにとっては一番効率的な仕事だっただけだ。人間関係だって同じだ。誰と良好な関係を築くか、サクラは計算をしている。自分に不利益だと感じた人間はすぐに切り捨てる。俺はいつしか仕事のことを尋ねるのをやめた。サクラの情熱は俺を飼育することに注がれていて、俺はそれがたまらなく苦しく感じる時もある。

 サクラに生かされている身で、こんなことを言える立場ではないとは自覚しているけれど、俺は時折、サクラのことがどうしようもなく怖い。その計り知れない頭の中や、明かされることのない手の内、底の見えない心の奥、それでいてこちらを見透かしてくる瞳。サクラの危うさが、どうしても怖い。俺が死んだら、サクラはどうやって生きていくのだろうか。その瞬間の後を考えると、怖いし、悲しい。俺は一生掛けたってサクラのことを分かってやれないだろうから、でも俺には一緒に居ることしか出来ないから、俺の居ない世界のサクラを想うと悲しくなる。

 やはりあの夜、俺は死んでおくべきだった。そうじゃなきゃ釣り合わない。割に合わない。サクラが居なければ俺は生きていけないけれど、俺が居なくたってサクラは生きられるべきだ。役立たずの俺なんて、サクラの負担が増えるばかりで、そんなのどう考えたって不公平だ。

 サクラに飼われる生活も、もうすぐ五年目になる。


 それは、嵐の夜のことだった。いつもより遅い時間にサクラが帰宅した。サクラは残業を滅多にしなかったから、俺は冷める夕飯を見詰めながら、ただぼんやりとサクラの帰りを待っていた。あの夜もこんな嵐だったなんてことを考えて時間を過ごした。

 玄関ドアが乱暴に開かれて、サクラが荒々しく入ってきた。俺は椅子から動けずにいた。右脚の義足をサクラがテーブルに置いた。

「出掛けるよ、準備して」

 俺が呆然としていたのは、サクラが苛立った様子だったからではない。サクラの中央管理局の制服に、明らかな血の跡が飛び散っていたからだ。

「聞こえなかったの、早くして」

 何をしたのか、聞けなかった。俺は震える手で義足を装着した。サクラは荷造りをしていた。俺は立ち上がろうとしたけれど、身体に上手く力が入らず床に崩れ落ちた。這いつくばる俺の前にサクラが立った。影が落ちる。サクラは首輪を引っ張って俺を立たせた。

「憶えたよね?」

 そう言ってサクラは俺にタブレット端末を持たせた。尋ねる口調に威圧感があった。俺は無言で頷いた。中央管理局の情報データ。五年間、そればかりを頭に入れてきた。それだけが生きるに値する理由だった。

 サクラは俺の首輪を引っ張って、ほとんど引き摺るようにして俺を外へ連れ出した。大粒の雨が叩き付け、遠くで雷が光っていた。中央管理局の車両が横付けされていた。サクラは俺を車の助手席に押し込んで、止める間もなく両足の義足を外し、自分は運転席に座った。嵐の中を突っ走る。

「管理システムに入り込んで、車両の追跡を遮断して」

 俺はサクラに言われるまま中央管理局のシステムに入り込み、車両追跡システムを遮断した。これでこの車の現在地を中央管理局が把握することは出来ない。サクラはどこへ行こうとしているのか。なぜそれを悟られまいとしているのか。

「通報システムを遮断して」

「発電停止、電力供給を東から遮断して」

「中央管制塔と中央環状線のゲートを封鎖して」

 サクラの言葉通りに俺はシステムを変更した。まるでサクラに言われることを分かっているかのように、なぜか指が自然と動いた。窓の外は土砂降りで景色が見えない。仮に見えたとしても、外を知らない俺は現在地なんて分からない。おそらく俺たちは西に向かっていて、サクラは中央管理局から追われるようなことをしたのだろう。俺たちが街の外へ出てから西側の電力が落ちるはずだ。

 一通りの生活基盤システムを順番に遮断して、サクラからの指示は止まった。交通システムを触ったから、自動運転のナビゲーションも切れているはずだ。ハンドルを握るサクラは何も言わなかった。俺も、何も聞かなかった。音楽も流れず、雨音と雷鳴だけが世界に残った音のようだった。

 俺は、たぶん、きっと、こういうとき、サクラに何も聞かないからどうしようもないのだと思う。サクラが聞かれるのを待っているとは思わない。でも、俺たちにはもっと対話が必要だった。知らないふりをするのが友情で、気付かせないことが優しさだと思っているような、駄目な関係だった。俺たちの間には、相手に知られたくないと思っていることが山ほど積み重なって、詮索しなければならないことが海ほど広がっている。俺は、山も海も知らないけれど、そういったものが世界にはあって、途方も無いような場所なのだと聞く。

 サクラがどう思っているかは分からない。けれど俺は、サクラの心の内を知ってしまうのが恐ろしい。知ってしまったら、何かが壊れてしまうように感じる。あるいは、戻れなくなってしまうような予感がある。壊れて困るようなものも、戻るべき場所も、俺には何ひとつ残っていないというのに、今さら恐れるようなものがあるのか。それが、どうしたことか、失いたくないものが、俺にもまだあるらしい。自分の存在意義とか存在価値とか、そういうものじゃなかった。

 きっと俺は、サクラが踏み外す最後の一歩をどうにかして引き留めたいのだと思う。けれども俺にはどうしたって引き留めることが出来ないから、いつだってこんなにも悔しいのだ。

 俺は自分の不甲斐無さに、めそめそと泣いた。俺には二本の腕があって、見詰める瞳が残っていて、言葉を紡ぐ声があって、聞こえる耳があるのに、それでもなお、どうしても些細な願いが叶わない。

「どうして泣くの」

 静かな声でサクラが尋ねた。

「何が悲しいの」

「……悲しいわけじゃない」

 お前を救ってやれないことが悔しくて泣いているんだよ。たったそれだけの言葉も続けられずに、俺は泣いていた。

 後ろで大きな爆発音が響いた。俺は振り返った。遠くの空が明るい。雷とは違う色だった。

「ああ、始まったか」

 サクラが言った。

「電力を遮断したことで爆発物が起動したの」

 俺はタブレット端末を開いたけれど、ネットワークのほとんどは俺自身がダウンさせたのだ。もう何も映らない。

「追いかけてくるかもね、あの爆発。中央から延びる幹線道路は地下にエネルギー管が通っているから」

 嵐を抜けて雨が小降りになった。雨に煙る街が炎に包まれているのが遠くに見えた。進む方向は真っ暗で、ライトだけが頼りだった。

「サクラ」

 俺は口を開いた。

「何したの」

 ん-、と間延びした声が返ってきた。俺はサクラに向き直っていたが、サクラは俺を横目で見ただけだった。

「僕はね、あの夜から決めていたの」

 サクラの向こう側の窓の外には星空が広がっていた。それは俺の義眼とよく似ていた。

「お前の瞳と脚を奪った連中を、ナンバーを剥奪した世界を、絶対に許さないで生きようって。あの夜からずっと、復讐を心に誓って生きてきたんだよ」

 そう言ったサクラは笑っているようにも見えたし、怒っているようにも見えた。それに、泣いているようにも見えた。

「俺たち、どこへ向かっているんだ」

「どこまでも。爆発に追いつかれるのが先か、この車のエネルギー切れが先か。それともどこか理想郷に辿り着けるかもしれないよ」

 サクラは窓を開けた。涼しい風が入ってきた。郊外を進むにつれて道路整備が悪くなる。後ろの座席で俺の義足がゴトゴトと暴れていた。

 あの夜から俺たちが離れられない運命にあるのならば、そんな運命、消し去ってくれ。どうしてサクラの世界の中心が俺なんだ。

 今になって失った脚が痛んだ。俺はサクラから視線を外して、真っ暗闇を見詰めた。やっぱりあの夜、俺が死ねば良かった。

「何を考えているの」

 サクラが尋ねても、俺はサクラを見なかった。

「お前を救う方法」

 それだけ答えて俺は目を閉じた。この目を開けるとき、世界はまだ続いていて、サクラはそこに居るのだろうか。サクラは何も返さず、しばらくすると調子外れの鼻歌が聞こえてきた。もう俺を救ってくれようとしなくて良いと伝えれば、それで終わるのだろうか。その瞬間、俺はサクラを自由に出来るのだろうか。閉じた瞼の裏で星が瞬く。

 あるいはそれが、俺たちの始まりなのだろう。

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