あの子の教室
生來 哲学
ボク達は素顔を知らない
「まるで別世界だ」
ドラマの中に出てくる人々は皆マスクをしていない。
いつ疫病で死ぬかも分からないのに素顔で、命がけで演技している。
世界的な流行病が蔓延して数年が経つ。
毎日言葉を交わすクラスメイトの素顔をボクは知らない。
名前と声だけを把握している。
学校の教室にあるという自分の席がどこにあるのかをボクは知らない。
入学式が中止になり、リモート授業オンリーとなり、一度も座っていない。
小学校の時から一緒のはずなのに、地元の知り合いの今の顔がどんなのか把握出来ていない。目元はみんな変わってないのだけれど、どんな唇をしているのか分からない。
もっぱら名前と結びついているのはみんなのSNSのアイコンばかり。
時々付き合ってるアピールで男子が彼女のアイコンをし、女子が彼氏のアイコンになってたりすることもある。
それに気づかず美人のアイコンだけを見て男子に告白する男子もいる。
あれはクラスの大事件だった。
一度も会ったことのないクラスメイトで、しかも中性的で声の高い男の子だったから女子の間でも彼を男子だと思っている娘は多かったのだ。
でもよかったこともある。
あの大事件の後、彼のアイコンは彼女のものじゃなく、自分の女装アイコンになった。
日々、SNSに流れてくるあの子の女装姿はクラスの中でも一つの癒やしとして尊ばれている。
趣向を凝らした様々な女装姿はとてもレベルが高く、最初は衣装はいいけれど立ち振る舞いはどこかぎこちない「少年」の立ち姿だったのが少しずつ洗練されていき、今ではあらゆる仕草あるゆる所作のすべてが立派な少女のそれだ。
クラスの女子達も「私達の誰よりも女の子らしい」と色めきだっている。
「調教が進んでいる」
誰かがそんな発言を書き込んだ。
まさに、である。
年上の彼女と付き合っているというあの子の女装はもうコスプレや仮装、変装の類いではなかった。
自然体だった。
最初は女っぽくいかにもな強調がされていた化粧はだんだん薄れていき、今ではドラマに出てくるような「実際にいそうな美少女」となっていた。
ボク達はクラスメイトの顔をほとんど知らない。
けれども、あの子の女装した姿だけは知っている。
彼の素顔は知らないけれど。
美しい男の娘としての顔だけは知っている。
クラスメイトだけではない。
あの子の噂は学校中に広まり、SNSを通して学校中のみんながあの子に夢中だ。
そして、クラスどころか学校そのものを揺るがす大事件が起きた。
いつもはメイドさんであったり、白いワンピースであったり、何かしらの衣装だったのだけれどその日は違った。
うちの学校の制服を着ていたのだ。
なんてことはない公立高校のしがないブレザーのスカート姿。
ボクも入学前に親に買ってもらったけれども、ウチの学校は入学式も取りやめになったし、一度も登校していないので入学してから一度も着たことがない。
入学前に袖を通したけれども、半年以上経っているので今はサイズが合わないかも知れない。おかけで自分の制服という感覚がなかったのだけれどあの子の制服姿を見た途端不思議とボクの心は揺さぶられた。
朝にあの子の制服姿がSNSに流れてから、SNSの発言欄は異様な静けさを向かえていた。
誰もが何かを書き込もうとしたが、憚られるものを感じ、結局誰も何も書き込めなかった。
その日のリモート授業は中止となった。
あの子の制服姿を見たとおぼしき教師がぼろぼろと涙を流し、一言「今日は課題だけ送っておきます」と言って授業の通信を切ったからだ。
「教室に行きたい」
通信を着る直前に呟いた教師の言葉はやたら耳に残った。
どの学年も似たような有様で、ほぼ学校閉鎖みたいになった。もともと通学してないのに学校閉鎖もくそもないのだけれど。
あの子の制服姿が何故ボクらの胸を打つのか分からない。
けれども――もし。
もしも、ボク達が学校に行っていたのなら――。
きっと教室の片隅には静かにはにかむ美しい男の娘が居てくれたのかも知れない。
あんな綺麗な子と学園生活をボク達は送れていたのかも知れない。
ボクはドラマやアニメでしか見たことがないのだけれど、一つの教室でみんなが同じ制服を着て授業を受ける――そんな未来もあったのかもしれない。
「あんた、なんで泣いてるの?」
その日の食事中、親に指摘されてボクはようやく気づいた。
泣いていたのは先生だけじゃなかったらしい。
数日後、学校から通達が来た。
登校日を設けることにしたという。
途端、学校へ学外から次々と非難の声が届いた。
世界的な流行病が収まっていないのにワクチンも打ってない子供達を大量に一カ所に集めるなんて何事か、ということである。
炎上は市外から県外へそしてマスコミが取り上げたことで日本中がうちの学校を非難するようになった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
ボクらにとって世間の声など大したことじゃない。
それよりも許せないことがあった。
通達には校則に指定された通り、男子は男子用の、女子は女子用の制服を着るべしとあったからだ。
流行病の中、登校日を設ける是非なんてどうでもいい。
そんなことよりも大事なことがある。
ボクらは激怒した。
ボクらは年若く政治が分からない。
けれども今やすっかり女装の否定には敏感となっていた。
かの無知蒙昧な校長を誅すべく今こそ立ち上がる時が来たと言うことだ。
ボクらの心は一つだった。
あの子の制服姿を見る為に。
あの子のいる教室へ向かうために。
ボク達はスカートをはき、学校へ進軍を開始するのだった。
了
あの子の教室 生來 哲学 @tetsugaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます