最終話
「そういうわけでわたくしは帝都トーキョーを所払いとなりここギフでせっせっと労働に従事しているんですの。クジョウ家にも見捨てられ流れ流れて食うや食わずの日々を過ごして参りました」
話を終えたトモヨはビールを飲み、続ける。
「愚かな女は奉公をはき違え、一時の激情に身を任せ皇家に連なるものへの暴言を吐き、家を追い出されて行き着いた先は殿下の聖陵墓建設現場、なんの巡り合わせなんでしょうかね。なかなか泣かせるお話でございましょう? 」
アツシはなにも語らなかった。語る言葉を持たなかった。まさかあのクジョウ・トモヨがアオイ・ナルヒトの婚約者となっており、紆余曲折を経て婚約破棄され帝都を所払いになり、実家にも見捨ていたなどと誰が想像できようか。黙ったままのアツシの顔が沈鬱に染まる。
「そのようなお顔なさらないで、わたくしはいっそ良かったと思っております。今なら殿下のおっしゃったことがわかります。宮中に仕えていたときわたくしはなにも見えておりませんでした。ただ己の多少の目端の良さを誇って、それをひとに誉めてもらうためだけに働いておりました」
これが本当のクジョウ・トモヨなのか、とアツシは思う。あの傍若無人でとても文明人だと思えない振る舞いをしていたのに今はどうだその目には知性の光がある。
「その証拠に見てくださいまし、この荒れた生活を。誰も私を見る者が居なくなり誉めてくれる者が居なくなればこのように堕落し、放埒な女になってしまいましたわ」
この悲しい女をアツシは思いっきり抱きしめてやりたくなった。あまりにも憐れだ。すべてを失い、絶望して破滅的な生活をしているのだろう。これほどの仕打ちを受けねばならないほどの悪事を働いというのか? 少し出過ぎたまねをして、多少間が悪かった、それだけではないか。アツシはこの美しい女の過酷な運命に涙が溢れそうになる。
「聖陵墓の建設現場で働いていたのはなにか想うことがあってのことなのでしょうか?」
すっかり言葉遣いを改めてアツシは慎重にトモヨに尋ねる。これ以上トモヨの心の傷を無遠慮にいじりたくはないと思ったがどうしてもここは聞いておきたかった。
「まさか、あれが聖陵墓だと知ったのは働き始めてからよ。お給金が良くて取っ払いだったから飛びついた。本当にそれだけよ」
本当であろうかとアツシは思うがそれ以上は聞かなかった。聞く必要もないだろう。
「トモヨさん、貴女さえ良ければ貴女の生活の面倒を僕が見たい。聖陵墓の仕事などもしなくていいように計らいます。なに不自由ない生活、とは言えませんができるだけのことを貴女にしたい。」
えっ? とトモヨが首を傾げるようにして不審の表情をする。それを見たアツシはしまったと思いすぐ言い繕う。
「むろん、だからと言ってなにかトモヨさんに要求したり強要したりなどは断じてしません。僕がそうしたいと思って行うだけです」
慌てて言い訳をするようにまくし立てるアツシを見てトモヨはほほほと笑い「私を憐れに思ってくださるのね。お優しい方」
違うと声を大にしてアツシは言いたかったが我慢した。
確かに憐れだと思った。しかし助けたいと思ったのは美しいと思ったからだ。言うまでもなく容姿のことではない。
これほどの境遇に生きながらトモヨは誰も恨まず、ただ静かに市井に生きている。トモヨの美貌と宮中勤めをしていたコネクションがあればいくらでも生き方というものがあったはずである。だがトモヨはこの生き方を選んでいる。それがアツシにはとても美しく思えた。
「大変ありがたいのだけどもお断り致しますわ。わたくし、一人の力で生きていきたいの」
そう言われるのではないかとアツシは思っていたのでさほどの落胆はなかった。
「では、お土産を持ってくるので共に酒盛りいたしましょう。それならお許しくださいますか?」
思い切ってそう提案してみた。するとトモヨはぱっと顔を見せる輝かせ「それならば喜んで」と言った。
─────────
それからアツシは足繁くトモヨの住むオンボロアパートへと通った。
お土産は牛丼やカレーやラーメンであった。高級なお土産はトモヨはさほど喜ばずそういうアツシの目から見るとB級なものこそ、嬉しがりよく食べた。
アツシは視察でギフに来ただけだからすぐに帝都トーキョーに帰る予定を立てていたがギフへの滞在を延ばした。無論トモヨのためにだった。名目は聖陵墓監督のためとした。
トモヨももちろん聖陵墓の現場で仕事を続けていた。現場で二人は顔を合わせることもあり、あんまり二人で仲睦まじく話しているものだから噂が立ち、あの現場監督からニヤニヤと嫌な笑いを向けられた。
そんな噂を耳にするたびに、現場監督の下卑た笑いを向けられる度に、アツシは腹を立てた。
違う!僕はそんな男ではない! と天に向けて大声で叫びたい気分に駆られた。僕は、とアツシは思う。
僕はただ眺めているだけだ。あの日大帝國博物館で見た
「アツシはよく働く、わたくしにアツシくらいの働きができれば宮中から追い出されることもなかっただろうに」と悲しげに言うトモヨを見てアツシは胸が痛んだ。
トモヨは相変わらず堕落した生活をしていた。アツシはそれをやめさせたいが酒や食料を持ち運んでくるのは他でもないアツシなのだ。それらを持ち込まないとアツシはトモヨに会いに来る理由がない。
だからせめて部屋の掃除や洗濯をしてやった。ニッカポッカも新しいやつを買ってやり、恥を忍んで下着も買い与えた。女の体のサイズを目で測るのはアツシにとって朝飯前の前であり、下着をもらったトモヨは別に恥じらう様子もなく受け取った。
そのようにあれやこれやと世話を焼いているとよくトモヨは「アツシのように働けたら……」と口にした。
アツシから見てトモヨは朝日を浴びて大石を運ぶ姿も、昼間焼け付くように眩しい日の中汗を拭う姿も、夕暮れに照らされ家路についている姿もそのどれもが美しかった。
この女のためになにかしてやりたいとアツシは心が焦げ付くほどに思う。
クジョウ・トモヨはこんなところに居て良い女ではない。僕がなんとかしてやろう、とアツシは本気で思った。
一人の女のために自らの利害を超えて、自らの全力を尽くす。この感情を愛と呼ぶということにアツシはまだ気付いていなかった。
───────────
「よい! 面を上げよ!」
アオイ・ナルヒトがそう口にするとシノザキ・アツシは顔をあげ、アオイ・ナルヒトの顔を見る。
この男が、とアツシは思った。
この男がいずれニッポン帝國の頂点に立つ男か。アツシはナルヒトの端正な容姿の中に知と勇を感じた。
「そなたが提出した。聖陵墓の報告書、非常に興味深った」
「ありがとうごまざいます」とまたアツシは平伏した。
「そこでそなたの勧めどおり、忍びではあるが私も聖陵墓の視察を行う。私も変装など初めたぞ」
くふふふっナルヒトは笑うと側付きのものから付け髭とかつらを受け取りそれらを装着しながら「しかし聖陵墓の建設は随分順調なようだな」と言った。
「えぇ、この地の人足どもは皆優秀なようでございます」
「良いことだ。では、行くぞ」付け髭とかつらを装着し側近の者を一人だけ付けて歩くナルヒトを案内するためにアツシは彼らの前にでる。
聖陵墓のあれこれを説明し、大石を運ぶ現場をナルヒトへと紹介する。
「このように大変な作業を強いているとは、民に申し訳ないな」
アツシはこの短い時間にこのナルヒトがとても慈しみ深いのを感じていた。たがが設計士の一人でしかアツシに対してもその対応は物腰柔らかかった。
いくつもの集団が大石を運んでいる。何組もの人足集団がナルヒトの前を通過していくが誰も彼がニッポン帝國の皇太子だとは気が付かない。
「あの者、一人で運んでおるのか! 」とナルヒトが声をあげた。
きた、とアツシは思ったら、さぁどうなる。
その声に反応したトモヨがこちらを見て、まずアツシを見て笑い、次にその隣に立つナルヒトを見て固まった。
アツシの隣に立つナルヒトも固まったっていた「なぜ」とだけ呟いていた。
アツシは聖陵墓の報告書を皇太子の側近に提出し、側近や皇太子が興味を惹かれるようなことを半ばデマカセで書き、ぜひともお忍びで視察されるようお勧め致しますと書き記した。
トモヨのためであった。トモヨは帝都を所払いとなっており近付けない。アツシの働きを見てしきりに「わたくしに……」と呟くのは皇太子に未練があるのだろうと思い、ならば会わせてやれと思った。
無体なことをされるようであればトモヨを抱えて逃げれば良いと覚悟の末であった。
「……トモヨ」とナルヒトが付け髭やかつらを脱ぎ捨て歩き出す。側近が止めるかと思ったが側近は目頭を押さえ棒立ちになっていた。
「あっあぁ……」とトモヨが大石を落とし、平伏しようとする。
「よい! よい! やめよ! 」とナルヒトがトモヨに駈け寄った。
そこでアツシはとんでもない後悔の念におそわれた。
あぁ僕の
ナルヒトが跪いているトモヨの肩を抱いている。
アツシは以前父と見た大帝國博物館の
父は最初困って、そして最後には怒った。
「あるべきところにあるのが一番美しいんだ!」と父は眉を吊り上げていた。
あるべきところにあるのが一番美しい。
心の中で、そう繰り返す。
彼の
没落令嬢は堕落する〜あぁビールって最高ですわ〜 熊五郎 @sybmrmy
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