第5話
「なぁもうやめてくれねぇか、それ僕が支払うんだろ」
アツシがうんざりと呆れた口調でトモヨに物申している場所はオンボロアパートのすぐ目と鼻の先にあるコンビニエンスストアであった。牛乳瓶が描かれたマークをモチーフとしており青と白で統一された店内と店員の制服は清潔感があった。
アツシはここにごみ袋やスポンジ、洗剤、消臭スプレーなどを買いにきた。トモヨの部屋に入るにはまずトモヨの部屋の掃除が絶対条件であった。この女を裸にひん剥いてヒィヒィ言わせて僕の力を見せつけてやる! と意気込み部屋に乗り込んだはいいが、まずそこに至るには部屋の掃除という思ってもみないミッションが待ち構えていたのだった。
あんな部屋ではとてもじゃないがそういう甘い雰囲気にはなれないだろう。この女が蛮族的思考なのはあの部屋のせいではないかとアツシは考えた。部屋でその人が分かるというが、それはきっと逆なのだ部屋がその人を作るのだ。
そしてこの女、とアツシはトモヨを冷めた目でじっとりと見る。トモヨはそんな目で見られてるとも知らずハムやベーコン、チーズやサラミを買い物かごに入れている。信じられないことにまた缶ビールを買い物かごに入れていた。
どれだけ缶ビール好きなんだ。まだガキのくせに。とトモヨに接する時間分だけトモヨに対して自分が辛辣になっていくのはアツシとしてもどうしようもなかった。もはやトモヨと出会った当初自分がどのような言葉遣いをしていたのかさえも思い出せない。
アツシはもう既にトモヨのことを心のなかで呼ぶときはこの女、であるとかこのガキと、言っている。それが口から飛び出すのも時間の問題のような気がしていた。
「あら、もちろんわたくしが払ってもよろしいのですが……殿方のくせにあんがいせせこましいのですね」としれっと口にできるのがトモヨのトモヨたる所以であろう。払ってもいいもなにもトモヨはまず財布すらもってきてなかった。
「あぁ? 僕が払いますよ! 」とうっすらキレながらアツシはトモヨから買い物かごをひったくる。トモヨもトモヨならアツシもアツシであった。アツシはこの手の煽りにめっぽう弱く、立ち呑み屋でもこの煽りを受けてよく動けないほどの二日酔いになるほど飲んでしまった。
店員に買い物かごを二つ渡し会計を済ませ、当然のようにアツシが荷物を持ってまたオンボロアパートへと戻る。アツシの前をトモヨが鼻歌をうたいながら歩いている。
ここにきてアツシはまた一つトモヨに対する理解を深めていっていた。この女、とアツシは思う。この女は自己中心的なんて生易しいもんじゃない。他人が自分に仕えるのは当たり前だと信じている。他人が自分のためになにかしてくれることになんの疑問も持っていない。
そしてアツシはそういう人種をよく知っていた。貴族だ。トモヨの振る舞いよう、精神の構造は貴族そのものだった。
アツシは考え続ける。
あの現場監督はさるお家の御落胤だなんて言ってたが、御落胤なんてとんでもないんじゃないか? ズバリ貴族そのものである可能性の方がずっとあるような気がしてきた。
しかし、貴族なわけがないのだとも思う。貴族ならこんな生活とてもできないだろうしする必要がない。
トモヨはこの生活に完全に馴染んでる。平民の中でも一等悪い生活に嬉々として慣れ親しみ、面白おかしく暮らしているように見える。たった二回しか会ったことはないがたった二回しか会ったことがない人間に対してこれなのだ、楽しく暮らせないわけがない。
本当に何者なんだとトモヨの揺れる美しい黒髪を見る。夜の海が風によって波紋を広げるような揺らぎを見ていると落ち着くようにも感じるがアツシは同時に胸の内側から引っ掻かれるような焦燥感を覚えた。
「さっきからなにをぶつぶつおっしゃっているのですか? 」とトモヨは怪訝そうな目をアツシに向ける。
その瞳にアツシは思わず吸い込まれるような錯覚を覚えた。その瞳の黒の輝きは人を虜にする輝きだ。見てはいけないと目を逸らそうとするがどうしても逸らすことはできない。
これと同じことが昔あったと思い出す。
昔、父と行った大帝國博物館に期間限定で展示されていた大きな宝石を見た。
その美しさに目を奪われて夢中になってあまりにもそこから動かずにいたものだから父に叱れたことを思い出す。そう、あれは特別に展示されていた皇家所蔵の
頭に衝撃が走る。
「どういたしましたの? やはりお加減がよろしくないのでは? お帰りになったほうがよろしいですよ」とビニール袋を取ろうとする。もちろんビールやつまみが入っている方をだ。
こいつが? まさか? ありえない! こんな厚かましいやつがクジョウの
「クジョウ・トモヨ……? 」思わずアツシは口に出していた。
それを聞いたトモヨは「あら」と驚いた声を出した。
「わたくしを知ってらしたの? この辺りの人は皆さんわたくしのこと知らないらしくておかしかったのですよ」とニッコリと笑った。
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