第4話

 あれほどトモヨには関わるまいと胸に刻んだシノザキ・アツシがなぜまた彼女の前に姿を現したのか。それはトモヨが自己中心的な精神の化身であるようにアツシもまた女好きの化身なのである。

 初めてアツシがトモヨに出会い、振り回された日の翌日、アツシは二日酔いで痛む頭でトモヨに復讐を誓っていた。当然トモヨに腕力では敵わない、ならば……僕に惚れさせてやるのよ、あの女ァ……ベッドでヒィヒィ言わせてやらねば気が済まぬと昨夜散々な目に合ったことも喉元過ぎればなんとやらですっかり忘れて、痛む頭で計画を立てていた。

 トモヨと少しの間だが時間を共にし、飯を食い(アツシはたべてないが)酒を飲んだ仲にはなった。なって分かったがあの女の頭には詩的な感情やロマンティックな感情、言うに及ばずときめきなんて概念は存在せず、ひたすら飯! 酒! という蛮族もびっくりの精神性であることが察せられる。

 正直同じ文明人だと認め難いし、なぜ神はあの女にあれほどの容姿をお与えになられたのか理解に苦しむ、それさえなければ私はあの女と関わることもなくニッポン帝國のドンファンとしてのプライドも傷つかず済んだのに。

 だが嘆いてばかりもいられない敵が肉好き酒好きの蛮族なら取り入る手は単純明快、簡単至極、非難轟々たる贈り物作戦である。

 肉と酒を用い、敵の懐に潜り込むべし。さらにあえて敵の城に踏み込みこちらは背水の陣を敷き、一挙果敢に敵の本丸を落とすのだ! と二日酔いに苦しみ苦しみ、しじみの味噌汁を飲み飲み、アツシは考えた。つまりお土産を持ってトモヨの自宅を訪ねるのだ。普通の女ならまず家に入れはしないだろうがあのトモヨなら肉や酒をちらつかせれば侵入することは容易いはずである。不安材料としてはお土産だけ強奪されてそこで「はい、さようなら」とされることであるが、というかその可能性が一番ありそうなものだが、とアツシも考えるがあえてそこには触れず、考えずにいた。そうされた場合はまたお土産を買って家に入れてくれるまで何度でも挑戦すればいい。

 家にさえ入れればあとはこっちのものよ、百戦錬磨の手練手管であのような小娘あれよあれよと剥ぎ取ってやるわとアツシは自室で舌なめずりをしていたがそれと似たようなことをあの聖陵墓の現場で自分がやって、見事玉砕したことは既に忘れていた。

 

──────────


 「そしてこの様ってわけか」

 オンボロアパートの二階から落ちたにしてはさほどアツシの体に痛みはなかった。初めはそれほどの痛みが走らなかったことにこそ恐怖して、これもしかして痛みを感じないほどめちゃくちゃにやばい状況なのではと? と危惧したがどうやらそんなこともないようだ。

 落ちた地面がアスファルトではなく、剥き出しの土であったことで命拾いした。昨夜雨が降って柔らかくなっていたことも幸いだった。

 まだ一言も交わしてないのに、ただ一目見ただけでこの有様だ。やはりトモヨに会いに来たのは間違いだった。あんな女とてもではないがヒィヒィ言わせるのは無理だ。と心を折りかけていたとき二階のドアが音を立ててしまった。

 (あの女ドア締めやがった! )

 折れかけた心をに火が灯り、あの女やはり許すまじと勢いよく飛び上がる。このシノザキ・アツシという男、線が細い優男でメガネではあるが体は人並み以上に頑強らしい。

 いくら下が柔らかな土だったとは言え二階から落下したというのに今や怒りに任せてオンボロアパートの階段を駆け上がり、トモヨの部屋のドアを思いっきり開け放ち、一歩中に進んだ。

 「おい! あんた……」と言いかけたところでうっとアツシは鼻を抑える。凄まじい激臭がアツシを襲った。なんだこの匂い、とても部屋に入れん。一歩進んで二歩下がるである。本当なら四歩も五歩も下がりたかったが残念ながらもう下るスペースがない。

 「あら、生きてましたの。ちらりと上から覗いたとき動いていませんでしたから死んだとばかり思っていましたわ」とみすぼらしい下着を身に着けただけのトモヨが右手で腹を掻き、左手にビール缶を握りしめて近づいてきた。

 アツシはこの女、平然と下着姿で出て来やがったと呆れたが思わずトモヨの剥き出しの白い肌に目が奪われる。

 白磁の肌は汚れを知らず、そのみすぼらしい下着ですらまるで厳かな聖衣のように感じられ、思わず膝を着きたくなるほどの威がある。欲情をかりたてられるというよりはなにか神秘的であり、その姿のトモヨ自身が触れてはいけない聖域のように感じだ。

 ここが悪臭を放つ、ゴミ溜め一歩手前のオンボロアパートの一室の玄関先でなければあるいは本当に跪いていたかもさはれない。

 「上からちらりと見てくれるほど気にかけてくれたなら下に降りてきて手当してほしかったね」

 「わたくし、白の魔力は使えませんので死者の蘇生はできませんの。だから下に降りても無駄だと思いましたのよ」

 そこで缶ビールをぐいっと煽りってほほほと笑い、熱っぽい吐息を吐いた。とてつもなく酒臭かった。部屋も臭いし息も臭い、確かに容姿は美しいが他がダメすぎる。やはり大人しく帰ろうか、病院で精密検査を受けたいとアツシが弱気になっているとトモヨが「まぁお入りくださいな」と言った。

 この提案はアツシにとっては渡りに船であった。萎えかけた気持ちを盛り上げ、まずは敵の城に踏み込むべし! とまた一歩進んだところで次は部屋の惨状がよく見て取れた。

 その様子を見て、なるほどこの激臭も無理からぬことだなとアツシは感じ、「一応聞くがこの部屋にごみ袋はあるのかい? 」と尋ねるとトモヨは「ゴミフィクロ? 」と首を傾げた。

 「よし、わかった。僕は今からコンビニに行ってごみ袋や掃除道具を買ってくる。お邪魔するのはそれからにしよう」と背を向けるとトモヨが「お待ちになって! 」と切実な声をあげた。

 なんだろうとアツシが振り向くと手早くあの汚れに汚れたニッカポッカを身にまとったトモヨがコンビニに行くならわたくしも参りますと魂胆丸見えの行動をとった。

 思わず舌打ちが出そうになるがアツシはトモヨを無視してコンビニに向かった。

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