2 行き倒れエルフ

2-1 行き倒れの罠?

「あれ、なんだろ」


 馬車の上から、ランが指差した。街道をちょっと逸れて、遊びの資金稼ぎに荒野で雑魚狩りに励んでいたときの話だ。


「なにかあるのか」


 この荒野はところどころ、背の高い雑草がぼうぼうに茂っている。ランが指しているのは、そうした茂みのひとつだ。見たところ、他の茂みとなんら変わらないように思える。


「人が倒れてるよ」

「どこだ」

「あの、茶色い枯れ草の陰」

「今、わたくしにも見えた」


 手綱を絞ると、マルグレーテが馬車を停めさせた。


「脚が見えてる」

「調べてみよう」


 剣を抜くと、俺は馬車を飛び降りた。


「マルグレーテは馬車に残れ。周囲への警戒を怠るな。……罠からもしれんからな」

「任せて」


 懐から杖を出すと、握り締めた。


「範囲魔法で一発よ」

「頼んだ。……見に行こう、ラン」

「うん」


 ランとふたり、馬車を気にしながら、ゆっくりと茂みに向かった。


「ほら、モーブ」

「本当だ」


 茂みの陰、ちょうどこちらから死角になっている方角から、脚が出ている。短いスカートだかなんだか知らんが、とにかく白くきれいな肌ですらっと伸びているから、若い女だろう。


「おい、あんた」

「……」


 呼びかけたが、返事はない。


「もしかして、モンスターにやられたとかとかなあ、モーブ……」

「いや。今、少しだけ脚が動いた。生きてはいる」

「大変。……じゃあ行き倒れだね。急病かな」

「おっと」


 走ろうとするランの腕を掴んだ。


「近づくな。死んだふりで攻撃してくるかも。それか手前に落とし穴があるか、周囲に山賊でも潜んでいるか」

「山賊はないんじゃないかな。茂みの周りは低い草ばかりだし」

「たしかに」


 よくよく考えてみれば、こんな荒野のど真ん中、誰も来ないような場所に罠を張る意味は、そもそもない。誰も通りがからない荒野で、丸一日寝転んでるだけになるからな。往来がそこそこある街道筋とかならともかく。


 いずれにしろ注意深く、俺は近づいた。


「とにかく俺が対応する。ランはいざというとき詠唱を頼む」

「わかった。準備しておくね」


 近寄ると、体全体が見えた。ぐったりと横たわっているが、明らかに若い……というか若く見える女子だ。見た感じ、十四歳くらい。短めのさらさら銀髪から、長い耳が覗いている。


「エルフだね……」

「ああ」


 いかにも森の民が好みそうな、草色の服を着ている。弓道女子が着けるような、革の胸当てをして。


 胸も多少はあるから、明らかに女子。真横に伸ばした腕の先に、ずだ袋のような荷物入れと矢筒が転がっていた。


 さすがエルフというか、バランス良く整った顔立ち。かわいいと美人の、ちょうど中間くらい。両方のいちばんおいしいところを兼ね備えた印象の。おまけに幼いせいかあどけない愛嬌があるから、最強だ。


「軽そうなワンピースだな」


 膝と腰の間くらいの丈だ。


「ああいうのは、チュニックって言うんだよ」

「そうか」


 ランに訂正された。女の服は呼び名がくるくる変わるんで正直、よくわからん。


 固く瞳を閉じたまま、エルフは微動だにしない。長剣の先で、ちょっと生脚をつついてみた。


「あんた」

「……うーん……」

「あっ動いた」


 意識はあるみたいだな。


「どうした。誰かにやられたのか」


 目が開くと頭を上げ、こちらをぼんやり見つめた。まだ焦点が合い切っていない印象だが、緑色の、若草のようなみずみずしい瞳だ。


「お……」

「襲われたのか? 怪我してるのか」

「おなかが……」

「腹をやられたのか」


 見たところ、腹に傷はない。魔法を撃たれたのかもしれない。のろのろと、エルフは体を起こした。


「特に傷はないようだが……。歩けるか」

「……おなかが……減った」

「なに?」


 ぐうーっと、大きな腹の音がした。


          ●


「うん……おいしい。うん……うん」


 出してやった干し肉と堅パンを、そのエルフはがつがつ平らげた。どちらも保存食でどえらく堅いから、普通は薄くスライスした上で焚き火で焼いて食べる。「切ったり焼いたりはいいからとにかく一刻も早く食わせろ」と言うので、どっちも冷え切った塊のまま与えた。だから歯くらい折れそうなものだが、革袋水筒の水と共に、すごい速度で腹に入れてゆく。


 エルフの歯って頑丈なんだな。顎の筋肉も凄そうだ。今、手を出したら、俺の指くらい楽勝で飛びそうというか。


「はあー三日ぶり。うん、これもおいしい……」


 積んだ食料は全部食い尽くしてやるという勢いで、エルフは馬車の荷室であぐらを組んでいる。スカート……じゃないかチュニックか――が短いから、割とぎりぎりで中身が見えそうで見えない。エルフはどんな下着を身に着けるのか興味があったんだがな。人間と同じなのかとか……。くそっ。よくできてやがる。


「いったい、なにがあったんだ」


 上目遣いに俺をちらっと見ると、無言でまた、干し肉にかぶりついた。リスのように頬が膨らむまで頬張ると、しばらく全力で咀嚼している。


「もぐもぐ……。ちょっと、仲間から離れちゃって」

「はあ、迷子か」

「馬鹿言わないで。森の民であるエルフが、野山で方角を見失うわけないでしょ。太陽や星以外に、空や風だって読めるのに」


 鼻で笑われた。


「なら冒険者パーティーの仲間割れか」


 そういうのはよくある。性格の不一致とか、パーティー内の女の取り合いとか。冒険者学園ヘクトールを卒業して旅立ってからマルグレーテの生家エリク家に向かう間、立ち寄った飲み屋やらで、この手の話は嫌というほど聞いた。


 冒険者なんて、要するに零細企業と同じさ。そこここのベンチャーで起こっていることは、パーティーでも起こるんだわ。前世の社畜時代を思い出す。俺一時、口車に乗って社員数人の起業したてベンチャーに転職して、酷い目に遭ったからな。一年で逃げ出したけどさ。


「だって雰囲気最悪なんだもん」


 革袋を口に着けると、ごくごくと音を立てて水を飲む。


「少しは腹も落ち着いたようだな。今、茶を入れてやる。……マルグレーテ、頼む」

「わかった。ちょうど沼桜のお茶があるし」

「わあ素敵。あれ、おいしいし……」


 エルフは微笑んだ。


「それに沼桜のお茶は精力がつくもんねー、……色々と」


 まずマルグレーテの体を見て、それからランの体、俺の顔へと視線を移す。


「へへへっ」


 肩をすくめ、口に手を当ててくすくす笑ってやがる。こいつ……。今なに考えたか、すぐわかるな。……まあ裏がなくていいとは言えるか。


「どう最悪だったんだ」

「しつこいねー。あんたも」


 呆れたように目を丸めたが、知ったこっちゃない。こいつの素性を知っとかないとならないからな。ヤバそうなら即、食い物だけ持たせて別れないとならんし。


「お金で集めたパーティーでさあ……」


 仕方なく……といった様子で、エルフは話し始めた。


「まああたしもおいしいもの食べたいから、高額報酬に釣られた口だけど」


 あはははっと豪快に笑った。いやきれいな歯並びの奥に、のどちんこ見えたし。


「お金目当てのパーティーなら、それはそれでいいのよ。みんな報酬に見合ったプロとして動けばいいんだし」

「まあそうだな」


 それは同意するわ。生きがいだなんだと安給料をごまかすクソ企業より、報酬だけちゃんとしていてドライな人間関係の冷たい企業のが、むしろ居やすいまである。というか、自分に向いてるほうを選べばいいんだわ。熱血企業は熱血企業で、それなりに楽しさもあるからな。


「でもリーダーがなんか無駄にうるさくて」


 拾ったエルフは、溜息を漏らした。


「理想だ正義だ卑怯だって。……なんての、やりがい詐欺というかさ」

「はあ……」

「だからパーティー内がぎすぎすしててね。あたしが入ってからも、ふたりは辞めちゃって入れ替えになったし。その後継者探しがまた大騒ぎでさ。なかなか見つからないから一時パーティーバランスもへったくれもないまま、モンスターと戦ったりとか」

「わあ。大変だねー」


 ランは呑気に、マルグレーテが淹れてくれたお茶など楽しんでいる。大変だーとか言いながら、ちっとも大変そうに見えないのが、ランのいいところだ。


 悩みがなくていいなー、ラン。見てるだけで俺まで癒やされるわ。嫁とかいう部分とは別に、癒やし系の存在というかさ。


「ある日、むしゃくしゃしてるときにまたパーティー内が大喧嘩になったから、あたし、後先考えずに飛び出しちゃって」

「なるほど」

「そしたらそこが、なにもない荒野でさあ……。獲物がいないから狩りもできないし、木の子は毒のある奴ばっかりだし。……あたし、食料一切持たずに逃げちゃったから」


 堅パンに豪快にかぶりついた。


「もぐもぐ……。木の根だけ掘り返して口に入れてね。あれ、栄養はほとんどないけど、お腹には入る。それに根っこなら水分だけは取れるし」


 まずそうだわ。


「それで食べ物のある方角に見当をつけて三日間、走るくらいの勢いで昼も夜も進んだんだけど……。ここ不毛の極地くらいの荒野でさあ、なーんもない。さすがに目が回って気が遠くなってきて……」

「だから倒れていたのね、あなた」


 茶のおかわりを、マルグレーテがカップに注いでやった。


「ありがとう。ふたりとも優しいんだね。……この男はどうだかわからないけどさ」


 余計なお世話だ。てかそれより――。


「ちょっと待て。理想だ正義だ……って、どういう意味で言ってたんだ、そのリーダー」

「僕達は魔王を倒すんだ、だから贅沢ばかり言うな。連戦で疲れて怪我してても、我慢して進むんだって」


 これは……。


「そいつの名は」

「ブレイズ」


 やっぱりそうか……。このエルフ、ブレイズパーティーからの脱走者じゃん。




●逃亡エルフは、レミリアと名乗った。それは原作ゲームでもメインキャラのひとりだったが、この世界でのレミリアは、なぜかゲームとは性格が微妙に異なっていた。レミリアはモーブ組との同行を申し出るが、モーブは……。


次話「ブレイズパーティーからの逃亡者」、週末ですが明朝公開です!

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