4-4-2 子猫の夜

「どうする、モーブ……」


 ランに見つめられた。


「モーブがそれでいいなら、三人で逃げちゃおうか」

「いや待て。少し考えさせてくれ」


 ランとマルグレーテの体を抱き寄せた。まくった寝間着の俺の胸に手をやり、ふたりとも俺の言葉を大人しく待っている。


 暗い天井を睨みながら、俺は考えた。


 たしかにこれはひとつの解決策だろう。でもそれでいいのだろうか。そんな……人生から逃げ回るような解決の仕方で。


 マルグレーテは怪しい契約から解放できるかもしれない。だがその分、エリク家の人々には苦難の交渉と裁判沙汰が待っている。もしかしたら、違約金として多額の債務まで。


 前世社畜時代の厄介なトラブルを、俺は思い返した。取り繕うような弥縫策びほうさくは、かえってその後の問題を生んだ。真正面からぶつかったほうが、たとえ一時的に大きな傷跡が残るにせよ、最終的にはいい結果を呼んだ。


「……マルグレーテ」

「モーブ……」

「その案は、B案にしよう」

「B案?」


 頭をもたげて、俺を見る。マルグレーテのきれいな髪が、ざっと広がった。


「その前に、正攻法のA案を試す。一度ノイマン家に乗り込んでやろう」

「モーブらしい解決法だねっ」


 ランが、俺の肩に唇を着けてきた。ちゅっと音を立てて、キスしてくれる。


「かっこいいよ、モーブ」

「とにかく直接先方の話を聞く。この三人で」

「交渉の余地があるのか。それにこちらから論理的に反撃する手がかりも欲しい。万一エリク家とノイマン家の裁判沙汰になったときに、お前の両親が戦えるように」

「わたくしの家族のことも、考えてくれるのね」

「ああ。お前だって家族と今後も仲がいいほうがいいだろ」

「もちろんよ」

「それで、ノイマン家の感触が悪かったら、そのときは……」

「B案ってことね」

「ああ。だからどう転んでも、お前は最終的に救われる。……俺が救ってやる」

「モーブ……」


 マルグレーテの瞳に、涙が浮かんだ。


「愛してる。わたくし、モーブのことを愛しているわ。……ただひとり、モーブだけを」


 マルグレーテは、はっきり言い切った。俺への気持ちを口にしたのは初めてだ。


「わたくしにとって、一生に一度きりの恋よ。わたくしの心は、永遠にモーブだけのもの……」


 俺の手を握り、指を絡めてきた。涙を落としながら。


「明日、ご両親に話そう。俺達が自分で交渉に行くと。だから今日はもうふたりとも、ここで寝ていけ。いつもどおり、夜明けには起こしてやるから」

「ええ」


 安心しきった表情で、涙を落としている。


「ほら、胸を吸え」


 俺に促され、マルグレーテは胸に口を着けてきた。


「モーブ……。ああモーブ……好き……」


 夢中になっていてかわいい。


「その……」


 ランがもじもじ動いた。


「どうした」

「私も……その……してもいいかな」

「もちろんいいぞ」

「一度、してみたかったんだ。マルグレーテちゃんみたいに、ちゅっとするの」


 なんだ、変なところで臆病なんだな。いつもな無邪気なくせに。……もしかしたら、俺の胸はマルグレーテの領域とか思ってたんか。


「ほら」


 左側の寝巻きを大きくたくし上げ、ランの頭を抱き寄せた。


「好きなだけいいぞ」

「モーブ、好き……」


 胸の先に口を着けてきた。マルグレーテの見よう見まねだろうが、唇で俺の胸の先を優しく甘咬みしてきたり、遠慮がちに舌を動かしたりしている。


「ふたりとも、もっと吸え。遠慮するな」


 ふたりの頭が動いた。両方の胸が、強く吸われる感覚がある。


 俺……。


 ふと思った。


 雛鳥に餌をやる親鳥みたいだな。……いや、子猫に授乳させる野良猫か。


 そう考えたら笑いそうになったが、同時に体の奥から力が湧いてきた。


 このふたりのために、俺は頑張る。俺を頼ってくれる、かわいい子猫二匹のために。


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