1-4 マルグレーテの鎖

「難題だな」


 エリク家、初日の深夜。客間のふかふか寝台に横たわりながら、俺は暗い天井を見つめていた。


「どうやってマルグレーテを救い出せばいいんだ……」


 想像以上に、エリク家は疲弊していた。古びて傷んだ屋敷を見てもわかるし、振る舞ってくれた晩飯にしても、「精一杯頑張った」のが透ける出来だった。ヘクトールの男子寮よりははるかにマシだが、貴賓食堂の飯にはとても及ばない。


 いや味付けはかなり凄かったと思う。だが使っている食材がきのこや野草中心。メインとして出てきた野鳥は痩せこけていて、肉があまりついていなかった。


 夜が明けたら、逗留の礼だという話にして、馬車に満載の食材や酒を、ブローニッドさんに渡してやろう。どうせ学園のみんなにもらった品だ。こういうときに役立てなくてどうするって奴よ。


「家族もなあ……」


 当主のシェイマスは一家と荘園を支えようとはしているが、頑固者で融通が利かない。気の利いた産業振興策など取れるはずもない。「伝統を守る」と言えば聞こえはいいが、要するに「なんもせず、神に祈るだけ」ってのと同義だ。


 前世の社畜経験でわかるが、こういう上司の下に配属されると、部署の成績が落ちてボーナス減らされる上に、ギスギスするだけの結果に終わる無意味なコスト削減策とか押し付けられるからな。しまいにはサービス残業とか。とっとと異動願を出すのが正しい。


 母親は優しくて気配りのできるいい人だが、いかにも貴族のお嬢様育ち。泥を被って領民を率い、力強く戦っていけるタイプではない。


 本来なら次代の当主が惣領に逆らってでも新風を吹き込むべき局面だろうが、それがあのコルンバだ。頭空っぽでアイデアなどないだろうし、あの性格ではエリク家を支える使用人や領民も、ついてくるわけはない。前世の社畜経験を振り返るまでもなく、あれは相当に使えない。興隆した名家を浪費で潰す三代目といったところだが、興隆どころかすでに家が傾いている。状況は厳しい。


 どうやら、屋敷の使用人もほとんど暇乞いして、料理人とブローニッドさんのふたりしか残ってないらしい。「侍従長」というブローニッドさんの肩書が虚しいわ。かつてはたくさん侍従や侍女を使っていたんだろうに、いまは「長」たったひとりだからな。年老いた女性たったひとりの侍従だ。そら屋敷の手入れもおろそかになるはずだわ。


「つまり……」


 つまりエリク家の将来は、全てマルグレーテの華奢な双肩に懸かっている。


 父親はマルグレーテが領民を率いて現状を変えるのを願っている。だがそのやり方など父親は知らず、ただ投げっぱにして押し付ける構え。


 兄貴はもう濡れ手に粟しか考えてない。王侯貴族に一円でも高くマルグレーテを売りつけて嫁に出し、そこから金を引き出して遊ぶつもりだ。


 しかもこのふたり、そういう心積もりのくせに古臭い男尊女卑だの家督制度が身に染み着いていて、マルグレーテの提案など、聞きやしないのは見えてる。


 良妻賢母型の母親にも、もちろん良案などないはず。


「そりゃマルグレーテ、逃げ出したくなるわけだよなあ……」


 手足を縛り付けられたまま、「俺達を食わせるのはお前の責任だ」って押し付けられてるんだからな。ヘクトールでののんきな日々が、いい息抜きになっていたことだろうよ。俺がその一助になれてたんなら、幸いだわ。


 いずれにしろこりゃ、なんとしても俺が救ってやらなならんわ。エリク家の困窮も、マルグレーテの魂も。


「もう寝ちゃった……?」


 扉がわずかに開くと、影が見えた。


「いや。入ってこいよ」

「ありがと」

「うん」


 ランとマルグレーテだ。寝間着として渡された絹の優雅なワンピースを、ランは身に纏っている。


「わたくし、なんだか眠れなくって」

「私も。……多分、モーブと一緒じゃないからだよ」

「ごめん、少しだけ添い寝してくれるかしら」

「いいよ。おいで」


 最初は、俺とランにはそれぞれ個室をあてがってくれるって話だったんだ。まさかランと同じ部屋でいいとは言えなかったし。ただふたりとも個室だと、夜中にあのコルンバの馬鹿がランの部屋を「コンコン」する可能性がある。ラン、人がいいから開けちゃいそうだし。


 だからマルグレーテの部屋にふたりで寝かせた。ヘクトールの寮ではいつもそうしているという話にして。実際ほぼ毎日そうだったしな。ランとマルグレーテは同じベッドで寝てるし。親にはもちろん言わないが、裸の俺が間に入っているというだけで。


「モーブ……」


 いそいそとふたりが寝台に入ってきたので、俺は自分の寝巻きをむしり取った。


「ほら来いよ、マルグレーテ。胸、吸っていいぞ」

「……うん」

「朝になる前に起こしてやるから、部屋に戻れよ」

「わかってる」


 裸の俺にむしゃぶり着くと、右の胸に口を着ける。左側のランは俺の腕枕に頭を乗せると、もうむにゃむにゃ寝言を言い始めた。相変わらず寝付き早いわ。感心するよ。


 胸にちろちろと、マルグレーテの舌と唇を感じる。くすぐったいが我慢だ。今はマルグレーテの不安を、少しでも取ってやらないとな。


「なあマルグレーテ」

「……なに」

「まずは調査から始めよう。問題は、ここ十年ばかり、エリク家領地が疲弊していること。気候の近い周囲の貴族の荘園では、そんなことはないって話だったよな」

「ええ……ちゅっ」

「なら原因は、自然じゃあない。唯一の手がかりは、例の『神狐しんこの森』だ。狐の霊だかを呼び出した賢者が真っ青になったってのは気になる」

「……」


 一心不乱に胸を吸いながら、マルグレーテは頷いた。


「そこに原因はないだろうが、少なくともヒントがあるはずだ。賢者が青くなったということは、情報自体は得られたに違いない。そうだろ」

「んっ……んっ」


 返事だか吐息だかわからんが、まあいいや。もうほぼほぼ「プレイ」の領域だろ、これ。


「通った感じだと、あそこ、森自体が広い。馬に乗って、何日か森を散歩してみよう。遊び方々だ。馬だって繋がれてるだけだと退屈するしな」


 さすがに森の中だと、馬車が踏み込める場所は少ないはず。でも馬ならなんとでもなる。本当に鬱蒼とした部分だけは、馬は遊ばせておいて徒歩で入ればいいし。


「……撫でて」

「よしよし。いい子にして、早く寝るんだぞ」


 マルグレーテの髪や背中を撫でてやる。そのうちに、マルグレーテはすうすう寝息を立て始めた。俺の胸に口を着けたまま。



●次話「贈り物」、明日日曜朝7:08公開

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