1-2 コルンバよ、東京都世田谷区千歳烏山だ。悪いか

「さあ、行きましょう」


 屋敷の門庭に馬車を止めると、マルグレーテは俺の手を取った。


「わたくしを降ろしてちょうだい」

「自分でやれよ。いっつもそうだろ」

「ここはもうエリク家。わたくしは、嫌でも淑女じゃないとならないのよ」


 情けなさそうな顔をする。はあ貴族ってのは、面倒なもんだな。変なしきたりやプライドに縛られて。


「わかったよ」


 馬車から飛び降りるとマルグレーテの手を取って、優しく降ろしてやった。続いてランも。馬達は、大きな屋敷を見上げている。スレイプニールだけは、花壇の花をさっそく勝手にむしゃむしゃ食べ始めたが。いなづま丸が、ドン引き気味にそれを見ている。


「マルグレーテお嬢様、まあまあ」


 扉が開くと、初老のお姉様が飛び出してきた。侍女服姿だ。


「おかえりなさいませ」


 ヘクトール制服姿のマルグレーテの姿を見て、嬉しそうに相好を崩した。


「たった一年で、ご立派になられて……」


 泣かんばかりだ。


「ブローニッドも、元気そうね」

「いえいえもう、歳で体が動きませんで……」

「大丈夫。いいポーション持って帰ったわ。あとであげるわね」

「もったいないことでございます……」


 頭を下げている。


「ブローニッドは、エリク家の侍従長よ。ブローニッド、こちらはわたくしのお友達。モーブとラン。しばらく逗留するわ。わたくしが頼み事をしたし」

「素敵な殿方ですね」


 俺達を見て微笑む。


「それにかわいいお嬢様。マルグレーテ様は、いいお友達をお作りになった……」

「よろしくお願いします」

「はじめまして、ランです」

「まあまあ、ご丁寧に。……ささマルグレーテお嬢様、ご両親がお待ちです」


 案内されて母屋に向かう道すがら、誰かが飛び出してきた。男だ。二十歳くらいだろうか。バッハの肖像画のような気取りきった貴族服に変な髪型。筋肉のない、なよなよっとした体だが、腹だけ妙に出ている。


「これはこれは、お美しい」


 滑り込むようにして、ランの前にひざまづく。


「どちらのお嬢様でありましょうか。リンネ伯爵家……いえまさか、際立ってお美しいと噂の、グリドール公爵家のお嬢様……」


 猫なで声だ。ほっそい目を、精一杯大きく見せようと見開いている。


「いえ私、ただの孤児です。出身は辺境の村」

「……」


 男は立ち上がった。無言のまま、ぱっぱっと膝の砂を払っている。


「なんだ端女はしためか。ヘクトールの制服姿だから、マルグレーテの奴、うまいこと上玉を引っ掛けたなと思ったのに」


 ランの体を、無遠慮にじろじろ見回す。先程の態度はどこへやら。尊大で見下した態度だ。


「しかもよく見ると、底辺Zクラスの胸章じゃないか。どういうことだ、マルグレーテ。成績トップか王侯貴族を狙えと言い含めておいたのに、どうして底辺など連れ歩く」


 矛先をマルグレーテに向けやがる。


「……だがまあ、下民にしてはかわいいな。おい女、俺専用の侍女にしてやる。この家にはジジババの使用人しかいないからな。若い女は貴重だ。下民が俺様、このエリク家次期当主の侍女に取り立てられるのだ。俺の寛大な心に涙して、身も心も俺に捧げ、敬うのだぞ」


 胸をそっくり返し、ふんぞり返った。


「こっちに来い。さっそく個室でマッサージしてもらおう」


 手を取られそうになったので、ランは俺の後ろに隠れてしまった。


「お兄様。ランとモーブはわたくしの友達です。失礼ではありませんか」

「お前は黙ってろ」


 鋭い口調だ。


「俺はエリク家の嫡男ちゃくなんだぞ。逆らうことは許さん。お前は俺様のために、いい嫁入り先を見つければいいんだ」


 ランを背後にかばった形の俺に、視線を移す。


「モーブとやら、お前もZのようだから期待はできんが、一応出身を聞いてやる。ありがたく思え」

「東京都世田谷区千歳烏山」

「なんだそこは。聞いたことがないぞ」

「世界一高貴な街だ」


 面白いから、からかってみた。高貴も高級もクソもない。そこらによくある、ちんまりした私鉄沿線だけどな。とりあえず「出身」という意味では、嘘はついてない。


「なにっ……」


 目を白黒している。


「そ……それはご無礼つかまつった。その……これにて拙者、失礼いたす。御免ごめん


 わけわからなくなってるな。謎忍者みたいな話し方になったし。そそくさと走るようにして、館に戻っていったわ。


「なんだ、あいつ……」


 もう笑うしかない。


「その……今のが、兄のコルンバ……です」


 下を向いて恥ずかしそうに、マルグレーテが教えてくれた。


「コルンバ様も、悪気はないのです」


 侍女のブローニッドさんが、とりなした。


「ただ少し……栄養が頭にお回りにならなかったようで……」

「やな野郎ですね」


 思わず本音が口をいた。


「それは……侍女の立場では……なんとも……」


 口の中でもごもご言っている。使用人なのに否定しないの笑った。


「それより、ご両親がお待ちですよ、マルグレーテ様」


 気を取り直したように、微笑む。


「ご学友のおふたりもどうぞ。とっておきのお茶とケーキを用意してあります」

「わあ、素敵」


 マルグレーテも、ようやく瞳を緩めた。


「ブローニッドのフルーツケーキ、おいしいのよ。くるみや干した黒すぐり、あんずなんかが入っていて」




●次話「エリク家の家族」、明日金曜昼12:09公開

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