10 史実無視の奇襲
10-1 ファーストキス
暗い洞窟から午後の陽光に飛び出したいかづち丸は、ふわっと、優しく着地した。背中で呻いている俺を気遣うかのように。
「ぶるるっ」
全力疾走を続けたので、息が荒い。胴の左右に広がっていた幻の羽の輪郭が薄くなり、黄金の粒となって空中に拡散して消えた。
「モーブっ!」
「モーブくんっ!」
駆け寄ってきたマルグレーテとリーナさんが、俺を鞍から降ろしてくれた。そっと、いかづち丸の前脚に背中をもたせてくれる。いかづち丸は、じっと動かない。俺の体を支えてくれている。
「やった……っ。やったんだよ、モーブ。モーブはやり遂げた……」
マルグレーテの頬を、涙が伝っていた。
「モーブっ!」
ランが抱き着いてきた。気持ちは嬉しいが、あんまり強く抱くな、ラン。体中が……痛むんだ。
「モーブならできるって信じてた。私やマルグレーテちゃん、リーナさんを守り切ったモーブなら……」
あとは声にならなかった。涙声で、なにか言っている。
「モーブ……好き」
それだけはっきり言うと瞳を閉じ、俺の口に、唇を重ねてきた。
「……」
「……っ」
ランの熱い涙を、頬に感じる。それに柔らかで温かい、唇も。唇を通し、ランの持つ癒やしの魔力が、大量に俺に注ぎ込まれた。
ああ俺、今キスしてるのか……。前世含め……初めての……。
そういう感想だけ、ぼんやり頭に浮かんだ。だが痛みで気を失いそうになり、正直、初体験をじっくり味わう余裕はなかったが……。
「モーブ……」
唇を離したランが、もう一度だけ、俺を優しく抱いてくれた。回復ポーションの空ボトルを逆さまにして、数滴残っていた薬液を、マルグレーテが俺にかけてくれる。
「……見間違いじゃないわよね」
マルグレーテは額に手を当てた。
「洞窟から飛び出してきたいかづち丸に、羽が生えてた。そうでしょ」
「私も見たわ。幻の羽。……もう消えてるけど」
しゃがみ込むと、リーナさんも俺に回復魔法を施し始めた。
「最後の……最後、いかづち丸が高く跳んだら、急に羽が……」
「モーブくん、無理して話さなくていいよ。痛むでしょ」
「モーブの言うとおりです、リーナさん。いかづち丸、羽ばたいてました」
「そう……」
リーナさんは、俺の手を握った。そこから魔力が流れ込むのを感じる。
マルグレーテは、いかづち丸の鼻面を撫でている。
「君、どういうことなの?」
嬉しそうに、いかづち丸はされるがままになっている。いなづま丸やあかつき号は、いかづち丸の側に、寄り添うように立っている。性格の強いスレイプニールだけは、窺うように周囲を睨んでいる。歩哨のつもりなのかもしれない。
「羽があるってことは……まさかとは思うけどペガサスじゃないの、この子」
マルグレーテは、信じられないといった表情だ。
「いかづち丸は、迷い子馬だった……」
リーナさんが呟く。
「もしかしたらだけど、ただの馬じゃなかったのかも」
「やっぱり……」
マルグレーテが頷く。
「ただ、ペガサスとはちょっと違うわね」
リーナさんが付け加えた。
「ペガサスなら、羽が元から生えているはず。幻の羽とか、聞いたことがないわ。……後で調べておくね、こっそりと」
「それがいいわ。……はっきりするまでは、いかづち丸の件は、ここだけの秘密にしましょう」
「決まりだな」
俺も同意した。いかづち丸がなにか特別な馬かもしれないと知れたら、学園……どころか、下手したら王国トップからなにか沙汰があるかもしれん。延々なにか痛い実験をされたり、最前線に送られて軍馬としてこき使われるやもしれん。優しくておとなしいいかづち丸を、そんな目には遭わせられない。この四人と四頭は、俺の仲間だからな。死線を共にかいくぐった。
「それに、モンスターが出ないはずのダンジョンで、ボスが出たわよね」
マルグレーテが腕を組んだ。
「あれ、どういうことなの? 学園の情報に間違いとか、たいがいにしてほしいわ」
卒業が懸かってるからな。気持ちはわかる。失敗したらマルグレーテ、
「ダンジョン候補って、マナ召喚系の教育魔法で自動書記されるのよ。前も話したよね、これ。ここもそうだったんだから、学園側でなにか操作したということはないわ。とはいえ……」
リーナさんは傾げた。
「実際にはボスが出た。なにか深い理由があるはずよ。どこか……この世界の根幹に関わる理由が」
「モンスターの名前も、ちょっと変わってたもんね。ねっモーブ」
「そうだな、ラン」
ランの言うとおりだ。「アドミニストレータ」だっけ。元のゲームに、このセンスのモンスターは出てこなかった。ドラゴン魔王オークデーモンゾンビと、普通にファンタジーっぽい感じだし。ゲームだと「失われた大陸」地方辺境の「古代の研究所跡」とかいうダンジョンで、「魔導アンドロイド」とか、ちょっとSFっぽい奴がちょろちょろするくらい。どちらかというと、そのセンスに近い。「失われた大陸」に関係しているのかもしれない。
それに「アドミニストレータ=管理者」って、このダンジョンを仕切る管理者だと、俺は思ってた。じっくり考える時間も無かったしな、想定外の戦闘に追いまくられたから。でもたしかに「居ないはずのモンスターが出た」以上、もっと別の意味合いがあるのかもしれない。
ゲームってのは定義上、ルールがないと成立しない。将棋で相手の飛車角がプレイ中にいきなり四つに分裂したら、勝負がどうとか以前に、「ゲーム」とは言えない。
このダンジョンがルール破りまでしてゲームとしての根幹をぶち壊した以上、想像以上にヤバい秘密が隠されているのかもしれない。怪我が治って落ち着いたら、ゆっくり考えておかなければならない問題だ。
「さあ……」
リーナさんが、俺に手を差し伸べた。
「戻ろうか、モーブくん。学園保健室なら、設備が整っている。ちゃんとした治療ができるから」
●次話、月曜朝7:08公開です。リーナさん……。
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