10-2 リーナさんの治療

「ジャケットだけ脱いで横になって、モーブくん」


 治療用ベッドを、リーナさんが指し示した。時間が惜しいのか、白衣にすら着替えていない。ダンジョン装備の革防具姿のままだ。


「はい」


 痛む体を、なんとか横たえた。


 ここはヘクトール保健室。クエストダンジョンからかろうじて生還し転送された俺達は、中庭の大歓声に迎えられた。だが俺が深手を負っているとわかると、歓声はどよめきに変わった。俺はZの仲間に取り囲まれた。血相を変えた「ラオウ」や「トルネコ」に、保健室に担ぎ込まれたってわけさ。


 さっきまで俺の手を握ったまま励ましてくれていたランとマルグレーテは、卒業試験の詳細を報告するため、学園の職員室に出向いている。


「悪いけど、シャツ切るね」


 ハサミを取り出すと、俺のシャツを切り裂き、取り除く。


「痛々しい……。あざがこんなに」


 顔をしかめた。


「押すから、そこが痛かったら教えてね」


 俺の胸や腹、ところどころを、そっと押す。


「少しだけ、腰上げて」

「はい」


 制服の下を脱がせてくれた。そのまま、脚のあちこちを触っている。


「多分……」


 眉を寄せた。


「何本か、骨にヒビが入ってるわね」

「どこですか」

「攻撃を正面から受け止めた、肋骨。あと左の大腿骨も、もしかしたら」

「治りますか」

「大丈夫。ここにはハイエルフの治療液がある」


 微笑んだ。俺を安心させようとしてるのか、優しい瞳だ。


「今、塗ってあげる」

「お願いします」


 多種の薬が並ぶ背後の棚から、大きなガラス瓶を持ち出した。中にとろっとした黄金の液体が入っている。ちょっと蜂蜜のような感じだ。


「これもエルフの治療布」


 ガーゼのように柔らかそうな、白い布を取り出した。


「これ自体にも治療効果がある」


 布にハイエルフの治療液を染み込ませると、俺の体をそっと拭き始めた。首筋、右腕、左腕。そして胸、腹と。治療液が塗られた部分が、少し痺れてきた。嫌な痺れ方ではない。なにかの効果が体に染みてくるような感覚がある。


「どう」

「はい。気持ちいいです。ちょっと……痺れるような」

「なら大丈夫。効いてる証拠だから」


 微笑んだ。


「動きにくいから、ちょっと防具外すね」


 自分の革の防具を外し、セーター姿になる。体にフィットするような、薄手のセーターだ。


 リーナさん、スタイルいいな……。


 夏の水着姿でわかってはいたが、改めて感じたよ。


「この治療液には、打撲や擦過傷に対する効果だけでなく、殺菌清浄効果もあるのよ」

「へえ」

「この状態だと、今晩お風呂無理でしょ。ちょうどいいから、全部拭いてあげるね。どうせ脚も治療するし」

「お願いします」


 たしかに風呂は無理そうだ。それに気持ちいい。


 リーナさんは俺の足の先をていねいに拭い始めた。指一本ずつ。


「ちょっとくすぐったい」

「がまんがまん。モーブくん、私やみんなを救ってくれた英雄じゃないの。情けないわよ」

「すみません……」


 黙ったまま、足首まで拭いてくれた。それから脛、次に腿に移る。


「さっき、ランちゃんとキスしてたでしょ」

「え、ええ……まあ」


 正直、痛みでファーストキスを味わう余裕はなかったけどな。でもあれだ。考えたらフラグがひとつ立ったからだな、あれ。多分、クエストをクリアしたからだ。子供のようなキスだったから、まだR18フラグは立ってないとは思うが……。


「いっつもしてるの?」

「いえ……別に」

「ランちゃん、かわいいわよね」

「はい」


 ふふっと、リーナさんは笑った。


「正直でいいわあ、今の子は」


 いやリーナさんだって「今の子」だけどな。十七歳……いや、知り合って一年近く経ったんだから、そろそろ十八歳かもしれない。どちらにしろ前世の社畜俺より、はるかに若い。


 脚の付け根まで拭いてくれたリーナさんの手が、パンツに掛かった。


「はい、腰上げて」

「いえ、そこは……」

「遠慮しないの。治療よ、これも」

「は、はい……」

「それに体が汚いと、ランちゃんに嫌われちゃうかも」

「す、すみません」


 そういや前世、交通事故に巻き込まれて入院したとき、ナースがそこも拭いてくれた。向こうはただの仕事だし、別に気にする必要ない感じだったわ、そのときは。俺、自意識過剰かな……。


 下着をあっさり脱がされる。リーナさんの手が、俺の下半身を拭き始めた。治療液効果で気持ちいいが、別の意味で気持ち良くならないようにと、俺は祈った。ここで下半身に変化が起きたら、恥ずかしすぎる。


「ランちゃんに聞いたけど、毎日一緒にお風呂に入ってるんだって? 洗いっことか」

「え、ええ……まあ」


 ランの奴、いくら天真爛漫キャラとはいえ、無邪気すぎるぞ。風呂の話だけならともかく洗っこのことまでとか余計なこと、ぺらぺら口にしやがって。


「体中洗うの?」

「いえ、そこは……その」

「なら、私が初めてね」

「……」


 まあそうだが、なぜ今そんなことを……。体を捻ると、リーナさんはまた治療液を布に染ませた。捻ったからセーターが体に密着し、きれいな胸の形がよくわかった。


「……」


 リーナさんは、黙々と治療布で下半身を拭ってくれる。奥の奥、肛門のほうまで優しく。


「私、ついこの間、十八歳になったのよ」

「おめでとうございます」


 しまった。誕生日ちゃんと聞いておいて、なにかプレゼントしてあげればよかったな……。


「だから十六歳のモーブくんから見たら私、大人に見えるかもだけれど……」


 ぽつんと呟く。いえリーナさん、中身の俺社畜からしたら、入学したばかりのかわいい女子大生にしか思えません。


「でも私、大人でもないんだ」


 どういう意味だ。


 なにか訊こうとしたら、リーナさんの手が、すっと俺の下半身を離れた。


「はい、終わり」


 微笑んだ。


「この下着を穿いてね。購買部で買って常備してあるんだ。演習授業でダメージ受けて血まみれの子が、ときどき来るし。……あと、このシャツ着て。さっきのは切っちゃったから」


 グレイの新品パンツと制服シャツを手渡してくれる。


「穿いてた奴は洗って、明日返すから」

「いいですよ、そんなの」


 俺はベッドに起き直った。


「自分で洗います」


 いくら学園生の生活をサポートする養護教諭とはいえ、汗まみれの汚れパンツを洗わせるとか、恐れ多いわ。


「いいのいいの」


 手を振った。


「男の人の服を洗ってあげるの、昔から憧れてたし」


 いそいそと、俺のパンツを私物の鞄に収めた。


「そのうち、パンツ以外のものも洗ってあげたいわあ……。寝巻きとか、シャツとか」

「な……ならまあ」


 あーもう俺、なんやらわからんわ。


「それより早く着たら。丸見えだよ」

「あっ……」


 いかん。たしかに丸出しだ。どうにも、リーナさんのペースで運ばれるな。……本拠地の保健室だからかな。


 慌ててパンツを穿いて、制服を身に着けた。


 よくわからんが、ともかく俺は混乱している。いろいろ思わせぶりなような、はたまたランのように無邪気なだけのような……。どういう意図なのか、さっぱりだ。


「モーブっ!」


 バンっと扉が開いて、マルグレーテが入ってきた。


「……あら。わたくし、なにか邪魔した?」


 ねっとりした、室内の不思議な空気に気が付いたようだ。


「いえ。ちょうど今、治療が終わったところよ」


 俺のパンツが入ったバッグを、リーナさんは、それとなく机の下に移動させた。隠すかのように。


「ランちゃんは」

「今、いかづち丸たちと馬小屋に」

「大騒ぎで入ってきたけれど、なにかあった?」

「そうそう、忘れてた」


 マルグレーテは頷いた。


「SSS講師のひとりに頼んでいた鑑定が今、終わって……」


 最後の宝箱で入手した「謎のアーティファクト」、例のアミューレットを突き出した。


「これ、『狂飆きょうひょうエンリルの護り』だって」

「えっ!」

「聞いたことないわね」


 リーナさんは首を捻った。


「それ、どういう効果を持つの、マルグレーテちゃん」

「講師が言うには、なんでも『レアドロップ固定』とか」

「戦闘時に使うのね」

「ええ。これを装備して戦闘すれば、モンスターがアイテムをドロップしたとき確定でレアドロップ品になるらしいです」


 というか俺は知ってるぞ、その名前。裏ボス関連だ。このゲームの裏ボスは、通常ドロップ以外に、七種のレアアイテムをドロップする。そのひとつが、これだ。


 レアドロップ確率は、一パーセント。レアドロップは七種。つまり『狂飆きょうひょうエンリルの護り』ドロップ率は一パーセントの七分の一で、〇・一四パーセントでしかない。確率上は、裏ボスを七百回倒さないと入手できないってことさ。


 確率だから一回めの挑戦で入手できる幸運な奴もいるだろうが、五千回倒しても入手できないプレイヤーだっているはず。攻略ウィキには、入手したゲーマーがアップした詳細解説こそある。だが持っているという奴は、掲示板でもSNSでも、まあほとんど見ない。


 そもそもこのゲームの裏ボスは、超古代の邪神とか、そういう感じじゃない。ネクロマンサーだ。もちろんアンデッドどもを引き連れている。これが普通のアンデッド戦と思うと大間違い。なんせアンデッドのくせに、回復魔法でダメージを与えられるということがない。つまり「死なない部下」を引き連れた野郎ってことで、攻略難易度が桁違いだ。


 もちろん俺だって入手できなかった。だってそうだろ。ただでさえ超強力な裏ボスを何百回と倒すとか、鬼の修行かって話だからな。


 さすがは「謎のアーティファクト」と書いてあっただけはあるわ。これ、今後もどえらく役立ちそうだし。




●次話、うららかな昼の学園を、魔物が襲う。そのとき居眠りじいさんは……。驚愕の四千五百字、一挙公開!


●あと業務連絡

本日月曜につき、本作と並行して週一連載中の「底辺社員の「異世界左遷」逆転戦記」、最新話を先程公開しました。異世界に左遷された底辺社員が、異世界と現実で仲間を得て活躍する大長編。最新話では、使い魔として召喚した「大魔王サタン(笑)」が、大笑いの「使い魔契約書」を出してきて……。多分単体で読んでも笑えるので、この話だけでも覗いてみて下さい。


最新話:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891273982/episodes/16817139554837628354

トップページ:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891273982

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