6-2 個室の晩餐

「入りましょ」


 重厚な仕掛けを操作して、マルグレーテが扉を開けた。


 食堂個室は狭かった。黒く塗られた木の壁と床。これも黒い、せいぜい六人くらいしか掛けられない角テーブル。なぜかこの部屋だけは天井も低く、二メートルほどしかない。ほぼほぼ真っ黒の調度品と低い天井のためか、親密な雰囲気が醸し出されている。


 テーブルには、真っ赤な花が一輪だけ、細い花瓶に生けられ、照明に輝いていた。闇夜のような暗さに真紅だから、夢の世界のようだ。右横にひとつ扉があるのは、配膳用だろう。


 個室には、ひげも立派なおじさまを筆頭に、三人ほどの給仕人がいた。皆、切れるように鋭いブラックスーツ姿。びしっと背筋を伸ばしている。


「お待ちしておりました。モーブ様」


 髭のおじさまが。深々と頭を下げた。いや手配したのはマルグレーテなのに、俺の名前呼ぶんか。


「こちらにどうぞ」


 入り口から遠い、上座に誘導する。はあそうか。今日は俺の誕生日。メインゲストは俺だからだな、このあしらいは。なら普通に乗ればいいや。


 上座に進む。椅子の前に立つと、椅子をわずかに前に出して座らせてくれた。これがテーブルで飯食うのに、ベストの位置。さすが髭様(勝手に名前付けた)。熟練の職人給仕だわ。


 俺が座ると、続いてランとマルグレーテも椅子に腰を下ろした。三十代くらいのイケメン給仕がマルグレーテに近寄って腰を屈め、なんやらわからんがささやき合っている。段取りの相談でもしたんだろう。


「さて、始めましょう」


 マルグレーテの言葉で、飲み物が運ばれてきた。分厚いガラス瓶。三人の席に置かれた薄いガラスのグラスに注いでくれる。透き通った金色の液体で、細かな泡が立っている。


「マルグレーテ。これ酒だろ」

「そうよモーブ。発泡性の蜂蜜酒はちみつしゅ


 はあシャンパンみたいなもんか。グラスを持ち上げて香りを嗅いでみたが、香りがいい。この世界では飲酒に年齢制限はない。とはいえ俺は転生以来、酒はほとんど飲んでない。せいぜいがあの夏の遠泳大会だ。男子寮の一般食堂ではメニューにもないしな。飲んでる奴を見たことはない。


「酒かあ……」


 飲みたい。転生前は、スーパーPBのストロングチューハイとはいえ、晩酌してたしな。なんちゃってビールも。酒瓶を前にして気が付いたが俺、酒に飢えてるわ。特にこれ、注がれただけでもふくよかな香りが立ち上がってきたし、相当いい酒だな。


「モーブは今日で十六歳。貴族の世界では、一人前の成人扱いになる歳よ。もう、自分で結婚だって決断できるわ。お酒くらい、なんということはないでしょ」


 マルグレーテに見つめられた。


「マルグレーテも、じき十六だろ。お前も結婚できるのか」

「わたくしは……エリク家の女は……そうはいかないわね」


 言いにくそうに眉を寄せた。


「お父様やお兄様のご意向を伺わないと」


 はあ家族に敬語使うとか、貴族ってのは面倒なもんだな。


「では……」


 マルグレーテがグラスを持ち上げたので、それに続く。


「モーブの十六歳の誕生日を祝して、乾杯」

「かんぱーい」

「乾杯」


 くいっと。


 口に含んだ途端、酸味と甘味が絡み合った複雑な味が広がった。氷を使ってるんだろうが、よく冷えている。そのまま飲むと、小魚が跳ねるような炭酸の刺激が、喉を通り過ぎる。続いて、香味が複雑に絡み合ったアロマが鼻に抜けた。


 うおっ。やっぱうまいわこれ。生前の……というか前世でもこんなん、飲んだことない。アルコールを感じるしたしかに酒なんだが、当たりが柔らかいから優しい印象がある。


 それに味。蜂蜜酒ってくらいだから、蜂蜜を発酵させた醸造酒だろう。飲む前はワインっぽい味かなと思ったが、葡萄というより、あんずリキュールのような豊かな果実味を感じるわ。これは相当にいい酒だ。


「ふう……」


 マルグレーテが、グラスを目の高さに持ち上げた。グラスを通して立ち上る金色で透明の泡を、見つめている。


「いいお酒ね、これ。さすがは王立冒険者学園ヘクトールの、貴賓食堂セレクトだわ」

「お前、まだ十五だろ。酒の味なんかわかるのかよ」

「たくさん飲みはしないけれど、実家の晩餐では葡萄酒くらいは出るわよ」


 微笑んでやがる。さすがは貴族。モーブとも前世の俺とも違うな。


「うわーおいしいね、このジュース」


 ランはにっこにこだ。


「これジュースじゃなくて酒だぞ、ラン」

「へえそうなの。……でもお酒って、もっときつい香りがするでしょ」


 そりゃあな。ランはもちろん酒なんか飲んだことないだろうが、ど田舎村の大人が飲んでたのはどうせ、どぶろくみたいな自家醸造の荒い酒だろうしな。臭かろうよ。


「飲みすぎるなよ、ラン」

「ふふっ。やあだモーブったら。心配性」


 そう言って、もうひとくち酒を口に含む。……だがなあ、早くも顔が赤いぞ。あんまり飲むな、ラン。


 俺が目配せすると、給仕のひとりがかすかに頷いた。さりげなく、ランの席に別のグラスを置く。


「なあに、これ」

沼桜ぬまざくらの果実茶です。美味しゅうございますよ、お嬢様」


 勧められて、口を着ける。


「本当だ。こっちもおんなじくらいおいしい」


 喜んで飲んでいる。いやさすがは貴賓食堂給仕だわ。俺の意図を即座に汲み取ったぞ。


 数人の給仕が、料理の皿を持ってきて、三人の前に置いた。


「前菜でございます」


 小さな魚や海老、多分ショートパスタのクリームソース。それに季節の野菜。なんか珍味っぽい不思議な食べ物。そういった料理がいくつも盛り付けてある。


「本日はモーブ様の誕生日とのことでしたので、王室で出される祝いの席の伝統料理をアレンジしました」

「へえ……きれいな盛り付けね」


 マルグレーテも興味津々といった様子。いくら貴族とはいえ、王室料理とか、初めてなんだろうな。給仕の口ぶりからして、貴賓食堂の日常飯には出してない雰囲気だし。


「さあいただきましょう」

「そうだな」


 俺も腹減った。匂いだけでもたまらんし、上質の酒で食欲にドライブがかかったからな。


 前菜、サラダ、汁物。そして魚料理に肉料理。次々出される皿をやっつけながら三人、いろんな話をしたよ。もっぱら、俺とランの将来の話が多かったけど。


「いやこんなうま飯、マジ初めてだわ」


 俺が口をナプキンで拭うと、マルグレーテは微笑んだ。


「モーブ、おいしそうに食べるから、見ていても気持ちいいわ。……男子寮でのご飯って、どんな感じなの」

「あれなあ……」


 俺は思い返した。


「味がはるかに劣るのはたしかだけど、それよりこう……なんての、みんな暗いんだよな、せっかくの飯時なのに」

「へえ……」


 ばかでかく味も素っ気もない木の大テーブル。さっき見た貴賓食堂の光景と同じで、クラスごとになんとなくまとまり気味で食うんだけど、あんまり会話が弾まないというかさ。


 大テーブルだからってのはあると思うわ。普通に会話できるの、両隣だけだからな。向かいなんか離れすぎてて叫ぶしかないし。貴賓食堂のように丸テーブルなら……とは思うが、一般食堂はなんせ、家畜の餌場みたいな扱いだからなー。とっとと腹に詰め込んで出ていけ……的な空気を感じる。


 特に俺なんか、誰も近寄ってこないのがデフォだった。入学当初こそ、ブレイズに土を着けた奇妙な貧乏人はどんな奴だとか、探りに来た奴がいたけどさ。あと俺をダシにしてランと仲良くなりたい、A、Bクラスあたりの自称イケメンとか。


 この学園って年齢制限無いんだけど、実際は十代……せいぜい二十歳ちょいくらいまでしかいない。そこそこの歳になっても卒業できなけりゃ、退学してくし。中身おっさんの俺の無愛想でストレートな話題とは合わないんだよな。こっちも今さら青春の悩みみたいなの聞かされても、笑っちゃうだけだし。


 そんなんガキの頃だけの甘えだろ。社会出ろよ。みんなもっと厳しい状況でも戦って、それでも毎日楽しみを見出してるんだぞ――としか思えないし。そう話しても怪訝けげんな顔されて終わるしな。


 そんなわけで俺は、夏まではほぼほぼ放置状態だった。別に寂しくはない。孤独も楽しめるのが大人だからな。


「あらそうなの……」


 そんな話を適当に角を丸めながらしてやると、マルグレーテは首を傾げた。


「モーブをほっておくなんて、面白いわね。わたくしだったら、毎日隣に座りたいのに」

「そうだよ。私も座る。マルグレーテちゃんと両隣だね。えへっ」


 ランは無邪気だよなー。女子寮の食堂でも、話を聞く限り俺ほどは孤立してないみたいだし。といっても実力SSSが紛れ込んでるわけで、おまけに余り物も持ち帰る。どう扱っていいかわからず、おずおず……って感じらしいけどな。ランはそういう扱い、全然わかってなかったけど。


「ああ。でも夏の遠泳大会から、ちょっと変わったんだ」

「あら……」

「最初に俺の隣に座ったのは、Zのクラスメイトだったよ」

「へえ。だあれ、モーブ」

「小太りの奴だよ。ランも見ればわかる」


 そのときの話を、俺は披露した。




●次話、明日日曜7:08公開。ト……トルネコ?

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