スーパードッグ・ゴロ助の現代大冒険

えりぞ

スーパードッグ・ゴロ助のネットと訴訟大冒険

 朝、娘が騒ぐので起きてしまった。「パパ、ゴロ助がしゃべるよ」と言うので煩いなと思いながらリビングに出て行くと、伏せていた柴犬がスックと立ち上がり「おはよう」と言って会釈した。

 咄嗟のことで声も出ない。ダイニングテーブルに座る妻を見ると憂鬱そうな顔で「そうなんだよ」と言った。


(そうなんだよ。じゃないだろう)と思うが、言葉にはならなかった。


 ふたたび犬をみて「どうしたんだゴロ助」と声をかける。

いつもよりキリリとした立ち姿の柴犬は「ただお話をしているだけです」と返した。


 お座りもお手も出来ないような犬なのに、やけに知的な感じで嫌になってしまう。妻に向かい「こんなオモチャを買ったの?その……犬の動きに合わせて声が出るみたいな……」と聞くと「そんなの聞いたことないけど、君がイタズラしてるんじゃないんだね」と言った。相変わらず憂鬱そうな顔で。


 柴犬はグッと胸を逸らし顔を突き上げた。「違いますよ。トリックでもなんでもなく、私が話している」ゆっくりと妻と僕の顔を見ながら喋る。「ごく少数の犬は歳を経ると話せるようになるのです」口の開け方と喋りがピッタリ一致している。小型スピーカーを首輪に仕込んでも、こうはできないだろう。


「いつから話せたの?」と聞くと「11歳からですかね」と13歳の柴犬は言う。ゴロ助に聞くところによれば、わずかな犬は犬同士複雑な会話ができ、更に少数が人語を習得することもあるという。「私自身、話せる犬には死んだ1頭しか会ったことがありません。彼から人語を習いました」とのことだった。


 それからうちでは犬がしゃべる。別にそれ以外なんの変化もない。家族以外、他人の前では話さないから、どうしていいのかわからない。スマホでの撮影は拒否された。「話す犬!YouTubeで大儲け!」みたいな話に、犬は興味がないらしい。


 「話せる犬の研究とか、ノーベル賞ものじゃない?」「逆だったとして、犬に表彰されて嬉しいですか?」そんな感じで、どうして良いかわからないし、他の人の前では話をしないから、とりあえず放っておいた。そうこうしていると、柴犬のゴロ助は留守のあいだタブレットを使ってTwitterやらInstagramなんやらしている。


 「他の喋れる犬を、ネットで探したいのです」そう話すゴロ助は、ビタッビタッとタブレットに舌先だけで触れて、日本語入力をしている。「ベロを適度に乾かせば、タッチパネルが動くのです」フンフン鼻息荒く柴犬のゴロ助は日本語をフリック入力する。彼が楽しそうなので、一緒に彼のアカウントを作る手伝いをした。


 数ヶ月が経って、気づくとゴロ助のアカウントは「柴犬ゴロ助の人生相談」みたいな感じで人気になった。恋愛や健康のお悩みに老いた柴犬の立場で答えるというありがちというかチープなものだが、相談に合わせ貼られた年老いた柴犬の自撮りが面白く、フォロワー数は爆発的に増えていった。


 ある日「この人なにを言ってるんでしょう?」と彼が言うのでDMを開いて見ると、出版社からだ。「書籍化したい」との連絡だった。「いやーまずいよ」犬が書いたという体で面白い人が書いたと思い込んだ……というより、フォロワーとか、RT数をみて声を出版社が声をかけて来たのだ。


「私はやりたいのです」

「編集者さんとかの前で喋れる?大変な騒ぎになるよ?」

「でも、同じように喋れる犬にはネットでもまだ会えていないんです。本が出たら有名になって仲間に会えるかも。助けてくれませんか」


 なんだろうね、いろいろ気になるけれど、僕は妻と話してやってみることにした。しゃべる犬、出版、インターネット……おおごとにならなければいいけれど。


 というわけで、あたかも僕が書いたかのようなフリをして出版社の人と喋り、僕とゴロ助でツイートをまとめたり、犬のこれまでの犬生を綴った本を出すことになった。ペンネームは「柴犬ゴロ助」タイトルは『普通の犬だった僕のすごい人生相談』だ。なんとベストセラー化した。


 「印税の振込先は?」喫茶店ルノアールの軟らかいソファに座り、そう言ってニコッと笑ったやり手風な中年女性の編集者に、僕は「この法人にお願いできますか?昔飲食店経営していて、法人が残っているんですよ。累損も」と答えた。ああそうですかと彼女は言って、話は終わったが、思った以上に本が売れて、生活は一変した。


 なにしろ数百万単位でお金が振り込まれてくるのだ。サラリーマン家庭にとっても大きい。でも、それよりも困ったのは、ゴロ助が一挙に有名になり、調子に乗ってしまったのだ。リプライや引用RTへの反論だけじゃない。自分の名前で検索……いわゆるエゴサーチをしてして罵倒するようになってしまった。


 それまでも犬のフリというか、飼い犬になり切ってリプライをくれる人などがいた。それはゴロ助自体が本物じゃないと思い、そういう遊びだと思って仲良くしてくれていたのだし、ゴロ助もそれはわかっていたのだが、そうした人達を「偽物」だと攻撃し始めたのだ。ゴロ助アカウントはだんだん、荒っぽいイメージになっていった。


「お前犬じゃないだろう」

「犬だワン!ゴロ助くんどうしたワン?!」

「証拠の狂犬病注射手帳をアップしろ」

「どうしたんだワン??」

「何がワンだ。じゃあお前の親はなんだ?犬なのか?」

「もちろんだワン」

「話が通じない。お前の親は虫なのかな」


 なんじゃこりゃと思うだろう?しかし世の中何がウケるかわからない。「犬なのに思ったことをハッキリ言える、辛口毒舌キャラ」みたいな受け止められ方もして、ゴロ助のフォロワー数はどんどん増えていく。2冊目の著作『しゃべる犬サバイバルライフ』もベストセラーになった。


 でも、ゴロ助はだんだんと疲れてきたみたいだった。

「僕はドッグライフ本でベストセラーを出したかったわけじゃないんです。もともとは同じしゃべる犬を探したかっただけなのに。どこにもいません」

 家では変わらず娘と遊んでくれるゴロ助だけど、「しゃべる犬仲間」からのメッセージは来ないままだ。それっぽいDMはすべて飼い主からのものだった。


もともと毒舌キャラだったゴロ助のアカウントは、次第に毒舌……というより暴言が増えていくようになった。

「ゴロ助さん、四国でペットも来れるフードストレージやってるんです、一度来ませんか?」

そんな誘いにも

「なにがフードストレージだ。人間のおままごとみたいな貧乏犬のエサ小屋になど行けるか!」


 似たような…と言ってはなんだけど、「しゃべる犬」の二番煎じみたいな本には

「お前のやっていることは著作権違反のパクリだ」と出版社に抗議する。

ついでに「しゃべる犬」ブームに警鐘を鳴らした人には「開示請求をかけてやる!」


 ね、ちょっとひどいだろう? ゴロ助の言動はどんどん荒くなっていってしまった。家で書き込みしている時もだいたい目を血走らせてベロをピトッ!ピトッ!と凄い勢いで動かしている。「3日寝ないでレスバなど当たり前ですよ」なんてネット廃人ならぬネット廃犬だ。


 どんどんトラブルを重ねていったゴロ助には、ついにインターネットに強い弁護士から訴状が届き…ってその宛名は僕の名前、住所だ!「冗談じゃないよゴロ助! 裁判だ!! 」「ゴロ助! 喋れよ! 困ったらワンワンじゃ困るんだよ!責任取ってくれ」


「裁判長、というわけなんです。僕がゴロ助なんですか?? 被告適格ですが、原告の主張する『柴犬ゴロ助』というのは飼っている犬です。印税を受け取っているのも『株式会社しばいぬ・かがり火』なのです…どうしたらいいんでしょ…裁判官、話聞いています?? 僕も困っているんですよ!!」


 訴訟が片付くころにはゴロ助は15歳になっていた。裁判も示談も大変だったから、ゴロ助とは険悪な時期もあった。けれどだんだんと元の犬と人というより、対等な家族になれた思う。今も朝夕の散歩は出勤前と帰宅後に僕が行っている。歳をとったゴロ助はかつてのように駆けるようにではなく、トボトボ僕について来る。


 結局、3冊目はそれまでの大手の出版社……株式会社KADOMATSUでも、株式会社金剛石でもなく、まじで聞いたことのない出版社から出て、あんまり売れなかった。ゴロ助のSNSフォロワーは多いままだけど、もうほとんど呟いたりしていない。


「なんだったんだろうねえ、あのころって」

「そうですねえ……」

そんな会話をしながら、ゴロ助は眼を半開きにして日向ぼっこをしている。僕は紅茶を飲みながら、裁判のことを思い出す。そんな休日の昼下がり。


 生き物はみな老いていく。それは僕ら人間もだけれど、犬のそれはあまりにも駆け足だ。最近のゴロ助は窓辺で陽の出ているあいだ中、日向ぼっこして寝ている。あれほど達者だった言葉も、複雑に操ることはできなくなって、ほとんどしゃべらなくなった。


 あの日々はまるで嘘だったみたいで、もうSNSをゴロ助はやっていない。「しゃべれる犬仲間」も見つからず仕舞い。それでもときどき、僕らが家に帰ってくると、少し首をもたげてこちらを見やり「おかえり」そういってまた首を倒す。

 廊下で倒れて、慌てて犬猫病院に連れて行ったこともあった。結果は「異常なし。歳で足元がふらついたんですね」


 17歳の冬、ゴロ助の目はあまり見えなくなっていた。秋には足を悪くして、散歩には行けなくなった。最期はリビングに毛布とヒーターをセットして寝かせ、陽の出ている日には毛布ごと窓辺に持って行って、日向ぼっこさせていた。


 窓越しに冬の弱い日差しを浴びながら、老いた柴犬は毛布の上に横たわっている。「なんで人間の言葉を喋れる犬になったの?習得するの、大変だったろ?」横に座って僕はたずねる。最近はもうほとんどしゃべることは無くなって、いつも僕の独り言みたいなものだ。「娘さんに」と柴犬は呟いた。


「娘さんに『お話したい』って言われたんですよ。僕が10歳くらいのころ。あの子7歳でしたかね。それで話せる犬に習いに行って」「ああ、娘も喜んでたね」「でもこんなに早く人間の子どもが大人になっちゃうとは知らなくて」今の娘は部活と塾と彼氏で忙しく、休日の今日もいない。


「話せるようになってみると、しゃべれる犬に、会いたくなった」そう言って毛布の上の柴犬は目を閉じた。「同類の犬に会いたかったですね。やり方、失敗しましたが。TikTokにしておけばよかったかもしれない」そういう問題なのか、犬一流のユーモアなのかわからなくて何も言えなかった。


 毛布の上の犬はもう喋らない。陽の光をさぐるように鼻を動かした。「窓開けようか」そう訊いても答えはなかった。風は吹いておらず、穏やかに晴れた冬の空気が流れ込んでくる。柴犬はそれを吸い込むようにしてから、小さく寝息をたてはじめる。僕はゆっくりとその頬を撫でた。むかし、彼が仔犬だったころと同じように。ただの犬だったころと同じように。

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