ep.56 だってそれが私の描くストーリーだから(さやか視点)

 天才として昏睡から目を覚ました乃愛。


 彼女の主治医の情報は、当時の乃愛を取り上げた新聞のバックナンバーから容易に探す事ができた。当時と変わらず市内にある、県有数の総合病院に赴任しているようだった。

 だから、そこに乃愛はいるのだと思った。


――もしさやかちゃんがこれから先、物語を紡ぐ存在になるのなら、きっと未来だって見ることができるかもしれないわ


 正直なところそんなこと言われても、私には乃愛ほどの思考はないし、なつ海ちゃんのようにゲームの知識があるわけでもない。

 一樹のようなタイムトリッパーにもなれない。


 占いのときも足を引っ張っていたし。私の代わりに沙織は消えてしまった。

 

 動きを止めたままの腕時計に目を配らせる。

 一樹は3年前のなつ海ちゃんを助けることができているだろうか。

 そして、沙織を救い出すことに成功しているだろうか。


 私、結城さやかを救うため。ただそんなことのために沙織は何度もこの夏をくり返してきたというのだ。


 胸が引き裂かれそうなほど苦しかった。

 沙織は私の恋のライバルで、ううん。それは乃愛もなつ海ちゃんも、由依ちゃんもそうなんだけど。

 それ以上にかけがえのない友達だった。


 だから。

 乃愛、あなたもまだいなくなっちゃ駄目なんだよ。


「源乃愛さんのお見舞いに来たんですけど。お部屋はどちらになりますか」


「えっと、どのようなご関係でしょうか」


 一ノ宮高校での友人であることを総合受付で医療事務の女性に伝える。

 その女性が少し困惑した顔を見せたあと、数人のスタッフと裏で話をしている様子が伺えた。


「結城さん。個室病棟のほうになりますので、ご案内いたしますね」


 エレベーターで5Fまで昇った先、こちらで少しお待ち下さいと伝えられたのは、ちょっとした休憩スペースのようだった。


「いま、ご家族の方もいらっしゃっているので、お話をしてきますね」


 ベンチに座り、自販機で買ったペットボトルの水を飲む。

 夏の暑さのなか慌てて向かったものだから、やけに喉が乾いていた。

 

 もし乃愛の容態がそこまで重いものだとすればご両親がいるのは当然で。急な来訪は迷惑になることなのかもしれないと、今になって思う。

 

『感情的なのは排除して』そう乃愛は言っていた。

 それでも、私は、私の気持ちは、友達として……ううん親友として乃愛に会いたかった。それが何の役にも立たないものだとしても。


「あの、あなたはあの子の……乃愛の、学友の方ですか」


 貴婦人という言葉が似合う、そんな気品のある女性。

 目元が乃愛に似ていると思った。

 おそらく、乃愛のお母さん? だろう。

 

 私はベンチから立ち上がり私は深々と頭を下げた。


「大変なときに、急にごめんなさい。私は結城さやかといいます。乃愛さんの……友達で。ううん、乃愛は、私の親友なんです。乃愛は、いま……」


「――あの子に、あなたみたいな素敵なお友達がいたんですね。あの子は、いま……眠っています。昔のときと同じ、昏睡状態で。医者からはもう目覚めないかもしれないと言われております」


「それでも良ければ、一目見てあげてくれますか。きっとあの子もそれを喜ぶと思いますから」


 そうして通された個室病棟に源乃愛はいた。

 薄ピンク色の病衣に身を包まれた彼女は、人工呼吸器が取り付けられていて、シーツの端から見える腕には大量の点滴チューブが取り付けられていた。

 

 目は閉じられたまま。眠っているような姿だった。  

 定期的な空気の送られる音と、心電図の動きで、彼女がまだ生きていることはわかった。

 彼女の綺麗な金髪はどこか不釣り合いに思えた。


       ***


――少しの間、二人きりにさせてあげましょう。


 その乃愛のお母さんの一言で、医療スタッフを含めお母さんは外に出た。

 お母さんの好意に私は深々とお辞儀をしてから、乃愛のいる病床の隣に置かれたパイプ椅子へと腰をかける。


「……乃愛。今日ね、乃愛のメッセージ皆で聞いたよ」


「おかげで見つけたよ、過去に行く方法。たぶん一樹ならやってくれると思うんだ。バカなやつだけど、やるときはやるやつだからさ」


 もちろん、声をかけても返事はないのだけど。

 乃愛の左手にそっと手を重ねる。


 私はこの一ヶ月の間、乃愛とたくさん話をした。

 最初はタイムトリップのこと。作品のネタにするっていう理由だったけれど、今思えばそれはすべて、私達自身のことだったんだとわかる。

 

 仕組まれていたものかもしれない。

 私という存在も、源乃愛も。ゲームの中の配役の一つで、その枠組のなかで動かされているだけだったのかもしれない。

 

 それでも、感情は。

 嬉しいも悲しいも。そのすべてが誰かによって作られたものだとは思えなかった。


「乃愛、誕生日のときすっごく泣いてたよね。あれ、意外だったけど。そんなに喜んでくれて、私も嬉しくなったよ」


 私にできることはないけれど。

 もし、私がストーリーを描くなら、その未来を掴むために必要なことは一つ。


「あのね。私、乃愛が大好きだよ。目を開けてよ」


 彼女の指を私の指の腹でそっと撫でる。

 小さな違和感があった。

 そう、乃愛の指先が動いた。そんな気がした。


「……さやか?」


「乃愛……乃愛!」


 乃愛の瞼がうっすらと開いて、彼女の瞳の光が見える。

 涙で満たされたその瞳は潤んで、いまにも溢れだしそうだった。


 涙を我慢しているのは、私も同じだったけれど。


「……どうして?」


「だって、だってそれが私の描くストーリーだから」


 私にとっては、気持ちとか想いっていうものが、そんな感情的なものが世界を変えることもあるって信じていたから。

 そこに確かな論理はないけれど。


 呼吸器を外しながら、乃愛は身体を起こす。

 大丈夫なの? と聞いたけれど、彼女は小さく頷いた。

 お医者さん呼ばないと……そう慌てる私を静止するように、乃愛は私の腕を掴む。

 

「……まーた、私の予測外なことが。起きちゃった、ね。結果を正とすると……さやかの勝ちね」


 そう言って彼女は微笑んだ。頬を伝う涙を拭おうと思った。

 あ……。

 ハンカチを取り出そうとして鞄に手をのばす。

 そのとき、自身の左腕に目がいった。腕時計の文字盤に。


「動き出してる……。ねえ乃愛、終わったよ。終わったんだよぉ〜」


 病床の彼女を抱きしめた。

 いろんな医療機器の邪魔をしないように、そうするのは難しかったけど。

 そうしたかったから。

 ただ、私がそうしたいと思ったから。

  

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