ep.49 もう残ってないじゃない。アタシしか

 そして、七夕の夜を迎えることとなる。

 小さな花火大会があるということで街はいつもより賑やかだった。そんななかで俺は佐藤沙織と二人きりだった。


 どちらからというものでもなく、そうするべきだとお互いが理解っているような感じで、『明日、何時にどこで待ち合わせにする?』

 沙織から届いたそのメッセージを見て、俺は佐藤沙織のルートへ乗ったことを確信した。


 放課後、教室でさやかと目が合った。

 小さな声で『スマホ、見ときなさいね』とだけ言って足早に帰っていった。

 

『すべて乃愛に聞いたよ。私は大丈夫。しっかり決めてきなさいよ。ホントはもっとたくさん聞きたいこともあるんだけど、それはまた今度ね。沙織によろしく!! バーカ!』


 うっせぇ。

 そう心無い一言を呟いてから、スマホを閉じた。

 返信は、すべてが終わってからでいいと思ったから。


「もっと近くで見えるとこじゃなくて良かったのか?」


「ん。大丈夫、人が多いと話せないしねー。ここからでも花火は見えるからね」


 タクシー乗り場のあるロータリーの前、駅のベンチに座ったまま、自販機で買った缶コーヒーを手に遠巻きに花火が上がるのを待つ。


 花火は街の中心、市を横断するように流れる一級河川沿いにある河川敷から打ち上げられる。

 そのため人の流れもそこに集中しており、露店が並ぶのも河川敷沿いになる。

 

 待ち合わせは、そこから少し離れた小さな駅の前だった。

 その場所へ俺が着いたときには、もう彼女はいた。


 沙織は浴衣姿で、その青く染められた布地には絞りによって花が描かれていた。


「いい柄だな」


「えへへ、浴衣いいでしょ。この柄、雪花絞りって言うらしいの。季節あわないよねー」


 浴衣結で纏められた彼女の髪の青色と相まって、とても似合っていて、綺麗だった。


「……それにしても、ついこの前に妹から花火のあとにキスされたって話をしておいて。花火を見ながら告白ってシチュエーションを選ぶのってどうなのよ?」


「しょうがないだろ、そういうシナリオだったんだから」


 夜空には天の川が横たわり、星の明るさでうっすらと藍色に滲んでいて。


「でもその中ではアタシはただの友達だったんですよ?」


 控えめに笑みを見せる彼女は、いつもよりも大人びて見えて、すこしばかり緊張してしまう。


「ああ、随分な遠回りだったよ」


「そうね。あーあ、これで元鞘かぁーー」


「なんかその言い方、情緒がないな」


 それまでの厳かな雰囲気を崩すような発言に思わずつっこんでしまう。

 1巡目の夏。確かに佐藤沙織は俺の恋人だった。

 だとしても、もう少し言いようはあると思う。


「いまさら初めての告白みたいなこと必要かな? あ、そうそう昨日なつ海ちゃんから電話があってね」


「なつ海から電話? なんか言ってたか」


 意味深なことを由依が言ってたことを思い出す。

『すべて終わったらなつ海ちゃんのこと、ちゃんと褒めてあげるんですよ?』

 言われなくても。ではあるが。


「秘密ッ」


 いらん事言ってないならいいんだけどな、そう軽口を叩いてから、缶コーヒーのプルタブを開けた。


「――信じてるって」


「ん?」


「一樹のこと、信じてるって言ってたよ」


 俺もなつ海を信じていた。

 だからこそ、今日という日がある。沙織とこうして居られるのは、間違えなく、ゲーマー真田なつ海の功績だ。


「あと、昨日さやかにも怒られちゃった。昨日いっぱい電話で話した」


「さやかとは仲直りはできたのか?」


「うん仲直りはできたかな。あとねーまさかなんだけど。さやか全部知っちゃってたよ。乃愛さんから全部聞いたって。アタシこれでも頑張って隠してきたつもりだったんだけどねー」


 もう一人の功労者は源乃愛だろう。

 この佐藤沙織というルートへ進むために障害となるのは、結城さやかルートだった。その回避のために必要なのは、拒絶や無関心ではなく。

 友達の支えだとわかっていた。


 乃愛にはさやかが必要で、その逆もまた然りだと思った。

 

「十分うまく隠せてたんじゃないか? 最低でも、俺はこの繰り返しのなかずっと騙されてた」


「んー、そうだねー。これでも頑張ったつもり。でも乃愛さんを引き込むのはずるいなーさすがに嫉妬しちゃうよ。アタシがさやかの一番の友達だったつもりなんだけどね、これでも。いつの間にか乃愛さんに取られちゃった」


 天を仰ぐように上を向いて。

 ベンチに座りながら、沙織は伸ばした足をじたばたさせる。薄紫の鼻緒が綺麗な下駄のかかとがアスファルトにあたる度にカラリと音を立てる。


「なんか昔からさやかに恋してるみたいだよな。沙織って」


「まーねー! すっごく恋してますよ。さやかを助けたかったんだもんアタシ」


 さらっとそう口にする沙織の瞳は潤んで見えた。

 花火の閃光が遠くの空に上る。

 少し遅れてその花火の音が鳴った。


 それは、会話を遮るほどではない花火の音量で、どおりで沙織がこの場所を選んだわけだと思った。

 俺も沙織とたくさん話をしたかったから。


「俺のことは?」


「それ言わなきゃダメですかね?」


 俺は頷いて返す。


「うー、うー……やっぱり、ヤダ。言わない」


「なんだよそれ」


「だってこんなの反則だと思うんだけど。ほんとだったら、一樹は今日の七夕の日までに誰か他の子にいっちゃうじゃない」


 それはなつ海だったり。

 ときには由依だったりもした。

 

「今回も俺はいろいろ優柔不断だったと思うぞ」


 言い訳はできないから、そう居直ることにする。

 俺は沙織以外のヒロインにも恋をして、その誰しもを失うことが嫌だったのだから。


「そうだけど。そうなんだけどさ。乃愛さんを引き込んで、なつ海ちゃんまでアタシのこと応援してくるんだもん。昨日、さやかにもいい加減付き合いなさいよって言われるし。そうなると、もう残ってないじゃない。アタシしか……」


――もう沙織しか……一樹とルートを進められないじゃない。


 もう完敗だよ。と、付け足して沙織は笑う。

 

 俺はルート攻略のなかで、すべてのヒロインとコンタクトをとっていった。それでいてルートに乗らないことでゲームオーバー寸前の状態を作り出した。


 あとは最後の最後で、なつ海に主導権を渡した。

 そう、真田一樹という主人公を動かすコントローラーはなつ海が持つべきだった。


 ゲーマーの彼女なら、必ず詰むことなく佐藤沙織のルートへ導いてくれる。

 そう信じていた。そして、それは攻略されたのだろう。


「でもさ。ここでゲームオーバーにして、もう一度繰り返すこともできたんじゃないか?」


 心ない言葉で気持ちを確かめる。

 多分それは、もう攻略とかルートとかじゃなくて。

 俺自身の単なる興味によるものだった。


 パラパラパラと花火が散ったあとの流れるような音が聞こえる。

 わずかばかり火薬の匂いも漂ってきているようだった。


 それ以上に、隣に座る沙織の匂いが鼻につく。


「意地悪……。君のことが、こんなに好きなのに気づいちゃったのに、そんな勿体ないことできるわけないじゃない」


 暗がりなのが勿体ないと思った。

 もっといまの沙織の表情を目に焼き付けたいとすら思ってしまう。

 それくらいその表情は、可愛かった。と思う。


「……もう一回、いまの聞きたいんだけど」


「バカ……2回は言いませんよ。沙織的には、いまので精一杯なんですよ」


「前も、同じこと言ってたよな」


「ちがいますよ。あのときは『好き』って言ったんです。ぜんぜん聞いてなかったですけどね」


 沙織の肩に手を置いて、ゆっくりと引き寄せる。

 浴衣の薄い生地越しに熱っぽい彼女の肌の感覚が伝わってくる。


「ッ……んッ」


 そっと触れるくらいの軽い口づけのあと。

 彼女の軽く唇がひらく。

 もう一度、さらにその身体を引き寄せて、俺は彼女に想いを伝えるようにキスをした。


「前にさ。キスしたときみたいには逃げないんだな」


「うん、水月ちゃんに振られちゃったからね。だから、これが最後の夏。もうくり返しはないよ。――ね、ちょっとだけ歩こっか」


 下駄が地面を擦れる音が、かつん、かつん、と小気味よく鳴る。


「手、つなご?」


「あー、なんだろ。佐藤沙織って、こんな感じのキャラだったか?」


「けっこうな役者じゃない? まー、アタシも色々忘れちゃってただけなんだけどねー。あれ? もしかして明るいお友達キャラが好みだったりしてー?」


 そう言ってわざとらしく、メインヒロインの友達役を演じてみせる。

 明るい喋り方と少しハスキーなボイス。

 それもまた俺にとっては特別なもので、正直なところタイプだった。

  

「あー、それには答えないでおくわ」


「んー? そう? こんな感じでお喋りしましょーか。沙織的にもしっくり来てるんだよね」


「成り切ってんなー。そうそう、沙織ってそんな感じだったわ」


「その言い方はなんかムカつく。あ……花火、綺麗」


 花火のことは、英語で書く場合はfireworksになる。

 この単語の別の意味として、『いらだち』という意味もあるらしい。

 決して良い意味ではないのかもしれないけど、沙織には似合っている言葉だと思ったんだ。


「あのさ――」


「君のほうが綺麗だよなんてことだけは言わないでね。さすがに冷めちゃうので」


「言わねーよ」


「でしょーねー。さやか姫とか乃愛さんのほうが可愛いもんねー。なつ海ちゃんも由依ちゃんも? いますしねー」

 

「妬くなよ」


「妬いてないです」


 すこし蒸し暑い夜で、繋いだ手が汗ばんでないか心配になる。

 それはきっと彼女もまた同じ気持ちなのかもしれない。 

 それでも繋いだ手を離そうとは思えなかった。


 初夏と呼ぶにはもう遅く、本格的な夏が迫っていることがわかる。

 Re;summerのスクリプトで読んだ一文が頭に浮かぶ。

 あれは誰の、どのヒロインによるモノローグだっただろうか。


『蝉の声が微かに聞こえる。夏はまだ、始まったばかりなんだ。

 生のと、死の匂い。

 切ないなって思う。淋しいなって思う。だから――』

 

 そう、


「他の誰よりも俺は、沙織のことが好きなんだ」


「……わかってましたよ。まあ、ほかの子じゃなくて! って言ってくれるほうが、沙織的には安心できるんですけどねー。しかたないので最後にもう一度、ちゃんと聞き逃さないでくださいね?」


 俺は、追加ヒロイン枠にも入れなかった、そんな女友達キャラのルートに乗ることに成功したのだろう。

 あとはエンディングの振り分けだ。

 GOODなんて振り分けが俺たちにあるのか、わからないけれど。

 

 それがTRUEホンモノであればいいと思えた。


「沙織も。一樹が好き、大好きだよ」

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