ep.42 背中を預けられるヒト 3/3
「兄さん、負けそうになったら下ガードしながら弱パンチするのやめない?」
放課後、校舎から出たら大雨だった。
さやかは同好会で、沙織は図書委員の仕事で居残りと聞いていたから、俺はとくに予定もないので、なつ海が持たせてくれた折りたたみ傘を開いて一人帰宅した。
帰って、開口一番なつ海が口にした言葉はこうだった。
――ほら、やっぱり傘持たせて良かったでしょ? 感謝してるなら、ちょっとゲームの相手してよ
その言葉の通りに俺は帰宅早々コントローラーを握っていた。
隣にはいつも通りのポジションですでに部屋着に着替えた妹がいる。
「……俺が、格ゲーでなつ海に一回も勝てないなんて」
「一緒にやってたのいつの話よ。ガードしてるのわかってるんだから、投げれば良いわけだし。さすがにそんなことくらいじゃ負けないよわたし」
昔は俺がやっている格ゲーを後ろで見てたようなものだったが、いまのなつ海はマジで強かった。鼻歌まじりに楽しそうにしている妹には悪いのだが、正直これ以上やられ続けるのは耐え難かった。
「なつ海だと勝てないから……由依ちゃん呼んできていいか」
「嘆かわしいわ、兄さん……。ちなみに、由依のほうが上手いから、多分兄さん勝てないと思うよ。あとあの子いま部屋で勉強中」
「詰んでんじゃん……」
「まあ……兄さんはえっちなゲームのほうが得意なわけだし?」
なつ海はそう言いながら、注いできたコーヒーの入ったグラスを手渡す。
夏らしく、アイスで用意してくれてるのは有り難い。
ただ、その時の俺を見る目が問題だ。
完全に見下されている。ジト目で俺を見るなつ海のその態度は、まさに勝ち誇っていた。
そう、真田家のマウンティングはゲームの勝敗で決まる。
由依にも負けているとなると、真田家カーストでは最下位ということになる。
「その同情まじりで、わたし、わかってるからね。みたいな理解ある妹のふりしなくていいからさ……余計落ち込むだろ」
「はいはい。あ、兄さん」
「なんだよ」
急になにか思い出したようになつ海が切り出す。
こういうときの妹は大抵ろくでもないことを言うものだ。
そう思いつつ、コーヒーを一口すすった。
「どうだった? わたしのキス」
「ぶッ!!!」
思わず吹き出してしまった。
「なによ、そのマンガみたいな反応は」
「いや、だって、急に言い出すかそんなこと。ごほごほ。咽ただろが」
「や、だって感想もらってなかったから。いちおー今後のために知っておこうかなって。なんつってなんつって」
「……一瞬だったし。わかんねーよ、てかなんであんなこと――」
――なんでキスなんかしたんだよ。
そう聞こうとしたが、玄関のチャイムが鳴った。
「あれ。また来客?」
思い出したのはなつ海も同じだろう。
日向由依の父親の急な来客のことを思い、身構えてしまう。
「今回は俺が出るよ。このまえみたいなことがあるとあれだしさ」
「あ、ありがと」
しかし、玄関から顔をのぞかせたのは、結城さやかだった。
わざわざチャイム鳴らさずとも、スマホから連絡すればいいものを。
「あはは。ごめんね一樹。ちょっと家の鍵落としちゃったみたいでさ、家誰も帰ってきてないから、少しの間雨宿りさせてもらえないかな」
「誰かとおもったら、さやかか。ってびしょびしょじゃん。その手に持ってる傘は飾りかよ」
その桜色の髪は濡れ、いつもより少し暗めの色合いだった。
どうやら全身びしょ濡れなのか、肩や袖はもちろんのこと、制服全体が透けているように見受けられた。
「いや、うーん。――ちょっと青春しちゃってました。コンビニで買ったタオルで髪とか簡単に拭いたんだけどね」
「とりあえず、家のなか入りな……? ……ッ!」
玄関を開けてあげ、通そうとしたとき。
俺はさやかのその胸元に目がいってしまった。
透けた制服のシャツの生地はその非透過性を完全に失っており、ピンク色の彼女のブラがくっきりとその柄のデザインまでばっちり見えていた。
「え? か、ずき……あ、えっと。見た?」
さやかは左の腕で自身の胸を隠すようにするも、その程度では覆い隠せないほどのサイズ感がある。
――見た?
その言葉に、俺は小さく頷いた。
「あ、さや姉来てんの? おひさー。って。に、い、さ、ん……」
「いや、これは俺悪く……」
最悪のタイミングで合流した妹。
みるみる、なつ海の顔色が変わっていく。
「いまガン見してたよね? さや姉の透けてる胸のとこ。めちゃくちゃ見てましたよね。……もぅ。兄さんは部屋に戻ってて! そのまえに、お風呂入れてきて。タオルも浴室に出しといてね!!」
***
「なんか、押しかけちゃったみたいでごめんね。でも、さっき見たもの忘れないと殺す」
なつ海の服を借りて、着替えたさやかが、俺の部屋で漫画を手にしていた。
前から部屋に積まれていた少女漫画チックな恋愛ものだ。
そういえば、それを昔に置いていったのはさやかだったと思い出した。
「……なつ海にも同じこと言われた」
「あはは。私より怒ってたもんね。あ、いつもみたいに背中借りるね」
こうやってさやかと二人で部屋にいるときは、昔から背中合わせだった。
俺の背中を背もたれ代わりにして、さやかはぴったりと自身の背中を合わせて座る。
お互い反対のほうを向きながら、互いの背中の熱だけを感じながら。
いつも途中でどちらかがもたれ掛かって、重たいとか言って、喧嘩になるのだが。
それでも、この座り方がお互いにとっての自然だった。
「鍵どっか落とした場所に覚えないのか?」
「んー、多分あのときかなーって思うところはあるんだけど、さすがにいまから取りに行くのあれだし。もともと合鍵だから諦めるわ」
「なんかあったのか?」
「心配してくれてるの? 大丈夫よ。それにお風呂もいただいちゃったから身体ももうあったまってるし。服もなつ海ちゃんに借りちゃったしね」
なつ海の服は、黒のシンプルなTシャツにショートパンツという格好で、この背中越しの先に、さっきのあれがあると思うと、少し緊張してしまう。
「学園祭以来だな、さやかが家に来るの」
「そうね、そういえば、学祭前はアプリつくるのに一樹が結構わたしの家押しかけてきてたよね」
「そうだったな、イラストありがとな」
「いいよ、結果的に私も皆の役にたてて嬉しかったし。アイスも奢ってもらったしね。でも、最近ちょっと一樹が家に来ないのは寂しかったりして……ううん、なんもない」
少しだけ彼女が体重をかけてきたのがわかる。
それは甘えのようで、それでいて少しの攻撃にも感じる。
「朝にさ」
「ん? 朝?」
「幼馴染が負けヒロインかって話してただろ」
「あ、うん。したね」
「勝ち負けなんて作品次第だけどさ。幼馴染って良いもんだなって思ってはいるんだよな。同じ時間とか同じ場所とか、そのときの匂いとか、共有しているわけで。この世界のなかに過去を共有できる誰かがいるって、少し安心するよなって」
もちろん作品のことを語っているわけではないのだが。
こういう言い方じゃないと小っ恥ずかしくて、今更言えないようなことだった。
それもすべて分かっているのだろう。
「……バカね。怒ってないわよ――でもありがと。私もね。こうやって背中を預けられる相手がいると安心する」
「ああ、それなら良かった。」
俺の手にふれる熱があった。
それを俺は目で見たわけではないが、背中合わせの彼女の手のひらなのは明白で、
決して重なり合うことのない真逆の手のひらが、指先だけで絡み合う。
「こっち見ないでね」
そう言ったさやかは、きっと泣いていた。
ときおり漏れる彼女の嗚咽と、小さな息遣い。鼻をすするときの振動。
すべて見なくてもわかる。
いまこの瞬間だけは、背中合わせに繋がっているのだから。
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