ep.41 背中を預けられるヒト 2/3(さやか視点)

 雨水が屋根を打つ音がしている。

 夏の雨は不快だけど、梅雨時期に例年に比べて雨が少なかったこともあり、きっとこれは誰かにとっての恵みの雨なのだろうとか、思ってしまったりして。


 ううん。いまは、そんな誰かのことを考える余裕もないんだ。

 今日の私、結城さやかの心も、雨模様なんだ。

 

 放課後、図書委員の仕事をして居残っている友達を待っていた。

 描きかけのマンガのことも気になるけど、二の次ね。

 今日の同好会はお休みすることにした。

 

――今日のは、なに?


 図書館の扉が開き、そこから沙織が顔をだした。

 ほんとは開口一番に言ってやりたかった。


 今日の、一樹に対する態度はどういうつもりなんだって。


 普通の態度だったけど、それはこの1ヶ月の二人の距離感じゃなかった。事あるごとに一樹との会話に私を混ぜようとするところも露骨で鼻についた。

 まるで、友達が私の恋を応援しようとしているような。そんな感じが嫌だった。


 言ってやりたかった。

――沙織は、あいつが好きなんだよね? 


「え、さやか、どうしたの今日同好会のほうは……」


「休んだの。沙織のこと待ってたの」


 いつもは抑えられるはずの苛立ちも不安も、悪いもの全部がぜんぶのっけたようなそんな顔をしているだろう。

 分かってるけど。ここで取り繕うのは、友達じゃない。


「いい話。じゃないような感じだね。どうしたの、えらく不機嫌じゃない」


「わからない?」


「わからないね、でも、そうね……ここじゃあれだし帰りながら、話そっか」


 雨音は激しさを増すようだった。

 隣り合う下足箱に並び、二人無言で靴を取り出す。

 

 自分から不機嫌な顔をしたのだけど、校内を出るまでは愛想よくしたらどうなの。

 こんな神妙な面持ちの沙織なんて、

 私は普段見ないからちょっと怖いじゃない。


 でも言わなきゃ。言わなきゃダメなんだよ。このことは。


       ***


 傘の柄をもつ手に思わず力が入る。

 

 ぱちぱちと音をたてる雨音、傘に隠れて見えない沙織の表情。

 本心、真実、友情……愛情。すべてをフィルタリングしてるようで、ただ苛立ちとなって私の心に雑音ノイズが走る。

 

「一樹のこと、なんで避けてるのよ」


「なんのことかと思ったら、真田くんのこと? ふふ、ほんとさやかは彼が好きよね」


 ここで取り繕うのは、友達じゃないなんて、思った私がバカみたい。

 がっつり取り繕った反応するじゃないのこの子は。


「なにそれ。それだけ? だいたい、好きなのは……沙織もじゃない」


「え? 


「まさか?」


「あるわけないでしょ、そんなこと」


 飾りっ気のないシンプルなブルーの傘。その、傘の露先と露先の合間からちらりと見えた彼女の顔は、ひどく冷めた顔をしていたように思えた。


 苦しいんなら、辛いならなんで私に言わないの。

 恋愛より友情だったんじゃないの……?


「このまえまで『一樹』って呼んでたでしょ。ひ、ひざまくらだって……してたでしょ! 誰よりも1歩も2歩もリードしておいて。いまさら。あるわけないで逃げるつもり?」


「逃げるもなにも、さやかのだよ。真田くんは」


 どんなに一緒にいたって。ううん、一緒に居たからこそ。

 あいつの心が、私に向いていないことは分かってる。

 だからって諦らめられるほどかんたんな気持ちでもないけど。


 それでも、ただ幼馴染なだけで自分のものだと主張するほど私は傲慢じゃない。


「私のじゃ、ないよ……!」


「じゃあなに? さやかは真田くんのことどうでもよくなったから、アタシにおさがりあげるって言いたいの?」


 そんな目で、そんな苦しそうな声色で。

 言わないでよ。


「……なによそれ」


「だって、そうでしょ。アタシのことライバルと思ってるなら、チャンスって思うでしょ、それがなに? 真田くんと仲良くしなさい? そんなんだから、いつまでたってもさやかは、なんじゃない!!」


 多分それは、単なる衝動的な苛立ちなんかじゃない。


 そう、きっとただの不快な感情だったらやり過ごせる。

 雨が降れば傘をさすように、雨宿りをするように、ただ待てば良いのだから。


 でもこの気持ちは違うんだ。

 だから、私は右手にもった傘から手を離して、沙織の制服の襟を掴んだ。

 

 恫喝するようだったけど。

 それは私が、彼女を見たかったから。

 彼女に私を見せたかったから。


 ただ、その限りなくゼロに近い距離で、感情を共有したかったから。


「……ッ。ふざけないで!」


 私のその行動に、沙織も同じく傘を落とした。

 雨のなか、沙織の胸ぐらを掴んだ状態のまま、ふたり無言のままだった。

 薄い制服の生地に雨が染み込んで、半透明にかわっていく。

 

 沙織は、泣いていた。

 それは、見たことがない表情だった。


「――おふざけで、言えるわけないじゃない」


「沙織……」


「アタシ……すき……じゃないよ一樹のことなんて。沙織は、全然――ぜんぜん好きじゃない。さやかのものだよ――だから、アタシに構わないでよ」


「なに……よ。じゃあ、なんでそんなに……苦しそうなのよ」


 目蓋に雨がついて、その後ろから雨粒がそれを押し流す。

 洗い流された先から、また雨粒がたまって。

 それは涙なのか、雨粒なのか。


「アタシ……さやかが大事だもん――好きだもん。ごめん、ごめんね」


 感情が流された先からまた溢れてきて。

 それでも分かったことがある。

 沙織は私を想ってくれてる。それと同じくらい私も彼女を想ってる。


「もういい――」


「さやか……」


 乱暴に掴んだままの、沙織の首元から手を離す。

 濡れた髪が頬に張り付いていて、気持ち悪いと思った。


「沙織がこの勝負おりるっていうなら、私もおりる。一樹なんて一人にしとけばいいのよ。――だから、話せるようになったら話して」


 本心だった。

 諦めることはできないけど、Stayにするくらいならできる。

 大切な友達と引き換えなら容易いものだと思ったのだ。

 恋心を仕舞い込むくらいの化粧箱は、女の子なら誰だって心に持ってるもの。


――私たち、親友でしょ

うん親友。でも、だから、だめなの――


 伝わっていないのかな。って思った。

 そんなわけない。そんなに私と沙織の関係は遠いものじゃない。

 だからわかったのかもしれない。


 雨に濡れた手首に巻き付いた腕時計が目についた。

『7時55分』で、時を止めた時計。


「……。私が、事故にあうからなの?」


「……ッ!!」


「――逃げないで、こたえて」


 項垂うなだれた沙織の首が、さらにほんの数センチ下にさがるのがわかった。

 つまり、肯定ということ。

 きっとそれは親友の沙織が見せた、唯一の真実だったのだと思う。


「風邪ひいちゃうから、コンビニに寄ってタオルでも買おっか」


 私は、そんなことしか口にできなかったけど。


「……そうね」


 少しだけ沙織の表情が穏やかに見えて、

 やがて来る不幸な未来よりも、親友とふたりでタオルを分け合う現在いまのほうが、私には大事に思えたんだ。

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