ep.17 秘密、ですよ。 3/3
デートを終え二人で並んで帰宅する。
普段はかけない眼鏡姿のなつ海は、真剣な表情でノートにペンを走らせる。
朝から、ずっと勉強してたんだな。
俺たちが帰宅したことに気づいたのか、一瞬驚いた顔を見せたが、その後そっと俺に目線を合わせた。
読唇術、なんてたいそうなものではないが、妹の口元が音を出さずに4文字を告げる。
それは、「あ」「り」「が」「と」だと、すぐにわかった。
とん、とリビングのドアの敷居から動けずに固まっていた由依の背中を押す。
「ッわ。え、え、え、えと。あの、なつ海ちゃんいまいい?」
「なーに? どうしたの」
「あ、あの、あのね! なつ海ちゃん、由依のこと。えっと、怒ってる?」
「まさか。昨日のことは、わたしが無神経だったわけだしさ」
「でも、でも、由依。なつ海ちゃんの邪魔しちゃって、ないかな?」
妹のなつ海はいつもより穏やかで、由依はいつもよりも身振り手振りが大きく、声を張り上げた姿。
「そんなことあるわけないよ。勉強教えてくれるのすごく助かってるし。かわりにわたしは、ゲームくらいしか教えてあげられないんだけど」
「由依、なつ海ちゃんに料理教わりたいな……」
「ん? あー、もちろん。じゃあこれから一緒につくろっか」
キャラクターとしての在り方じゃない、人としての成長。
リサマの世界に転生した俺は、この二人のように、友達だったり、家族になれているんだろうか。
「ありがとう! あのね、昨日はごめんなさい」
「まじめだなー。わたしも、昨日はごめんなさい。これで、仲直りしよ?」
「うん、なつ海ちゃん。ありがとう!」
万事解決した。そう思った矢先だった。
ピロリロンピロリロン。電子音が鳴り響く。それは玄関のチャイムだ。
「宅配便かなにかかな? わたし見てくるね」
そう言って立ち上がったなつ海は、俺の横を過ぎて、玄関に向かって歩いていく。
ふいに振り向いて、拳を正面に突きつけて言った。
「兄さん、やるじゃん。この、や さ お と こ」
俺は「まーな」となつ海の褒め言葉に対して、少しだけ照れ隠しをする。
そして、なつ海は玄関のドアを開いた。
「はい、どちら様ですか? え、ちょっと、なにするんですか! きゃっ」
騒がしい声と、なつ海の悲鳴が聞こえた。
「由依! 由依! いるんだろう。出てきなさい」
すぐに由依と玄関口に向かう。
騒々しい理由はすぐにわかった。それは日向由依の父親だった。
「お、とうさん? ……なつ海ちゃんに、なにしたの?」
「この子がお前に変な遊びを教えてるって子か。通りで品のない恰好してる。由依、お前もなんだ、その浮かれた格好は!」
確かになつ海はラフな姿をしていたが、そんなに言われるような恰好ではない。
デートのため、いつもより少しのお洒落をしたそんなことにまで口をはさむ。
男の口ぶりに、俺は思わず頭に血が上りそうになる。
「やめてください。お父さん。実の娘に、お前って言い方はないんじゃないですか」
「お、お、男と一緒にいたのか、お前は!」
「ええ、お父さん、俺は男です。でもそれ以上に、いまこの家での、なつ海の保護者です」
背広姿の男性は体格も大きく、貫禄のある男だった。
こいつが、由依の父親で、代議士の男か。
いまにも拳を出しそうになる気持ちを抑え、俺は気丈にそう答えた。
「それなら、なおさら。ちゃんと躾けるべきではないのかね。うちの娘をたらし込んだ男なんかに、偉そうな態度をとられるのは、辛抱たまらんのだよ」
「お言葉ですが、うちの妹に手をあげたこと、俺も許せるものではないんですよ」
「そうだな。大人げない態度をとった。2週間分の生活費はこれでいいだろう。由依は連れて帰る」
そう言って、男は懐から長財布を取り出し、4,5枚はあるだろうか一万園札を取り出す。
その姿に俺は切れた。
「そんなもの要りません。由依ちゃんはうちに残します。なつ海にとっても、由依ちゃんにとってもそれが正しいことなんです」
「なにを勝手なことを。こっちが穏便に済まそうと言っているのだ。これだから、ガキは困る」
「大人が、そんなに凄いことですか? ただ年を食っただけでも大人にはなる。そんな何も考えずに大人になった存在に。そんな大人に由依ちゃんをさせたいんですか。あなたは」
「なん、だと」
佐藤悟としての俺は、社会人だった。
プログラマーとして入ったゲーム会社を、その多忙さから逃げるようにして退職して、夢を失って。
それでも、生きていくためにIT企業に再就職して。
そんなどこにでもいる社会の歯車の一つだった。
「由依ちゃんは素晴らしい子ですよ。そして、その由依ちゃんをここまで育て上げたあなたが立派な大人であり、親であることはわかってます。それでも親とは言え子の人生に口を出せる資格はもっちゃいないんじゃないですか」
「たった1、2週間一緒にいただけのガキが、無責任な」
――夢に、人生に、責任をもつべきなのは。いつだって、自分自身だ。
「無責任? ええ、無責任ですよ。俺にとっても、親であるあなたにとっても。人ひとりの人生に持てる責任なんてないんだ。自分の人生、自分でケツふいて生きてくしかないんだよ。いま娘がその途中なのが、それだけ生きててわからないのか」
「若造が、知った風な口を利くな」
「賢者は歴史に学び 愚者は経験に学ぶ! 経験しなくても、わかってんだよ。俺だけじゃない! ここにいる、なつ海も、由依ちゃんも、俺より頭のいい
賢者なんだから。学歴だとか、なんだとか。そんなのが世の中通用しないこともあるんだ。そんなとき、親の敷いたレールから脱線した子供がどうなるかってのも。そんなとき自分で新たなレールを敷き詰めるのも、必死にレールに車輪を嵌め直すのも、全部そいつ自身なんだよ」
背広の男、由依の父親はその俺の言葉を聞いて、その堀深い顔の眉をよりひそめる。それから、少しだけ温和な顔を見せたような気がした。
「……威勢の良い若造だな。納得したわけではないが、言ってることは一理ある。だが、私は君ではなく娘の由依の口からそれを聞きたい。由依。お前はどうしたい」
呼ばれた日向由依は、俺の前に立ち、父親と向かい合う。
背中は少しふるえていた。
思えばいつも彼女は少しふるえている。それは小鳥が飛び立つときに似ていた。
「由依は……。私は、もう少しここに居たい。逃げるんじゃなくて、お父さんがいなくても勉強だってなんだってできるってこと証明したい。自信をつけて、ちゃんと帰る。勝手をしてごめんなさい」
深々と、頭を下げる少女。
男の顔は心底驚いた表情で、どこか泣きそうな顔をしていた。
なつ海にしたことを許すわけではないが、この人は俺がなれなかったような、立派な大人なんだと思った。
「……そうか。若造。名前はなんというんだ」
「真田一樹、といいます」
「一樹君、娘を頼む」
「…はい。由依さんは、俺がしっかりと、お預かりします」
少し、二人にしておこうか。
倒れ込むなつ海を起こし、肩を貸す。
由依とその父親を残し、先にリビングへと戻った。
***
ゾンビを撃ち殺す妹と、それをびくびくしながら見つめる由依。
二人が作ったシチューの野菜は少しいびつな切り方だったが、美味しかった。
「兄さん、かっこよかったじゃん」
「由依も、そう思います。すごく大人っぽくて、素敵、でした」
少し複雑な気がするが、それでも妹たちに褒められるのは心地いい。
俺はただ、自分の鬱憤を大人にぶつけたかっただけかもしれない。
これはリサマの真田一樹としての役割を超えた行動だったのかもしれない。
父親との確執。それは追加ヒロイン、日向由依ルートの重要なファクターだった。
俺は間違ったのかもしれない。
でも家族としては、なつ海と由依がいるべき、この家を守るための正義だったと思いたい。それが、誤った分岐だったとしても。
「あ! なつ海ちゃん、そこ、そこ!」
「え、え。どこどこ、どこにゾンビいる!?」
由依の声になつ海がテレビ画面に杭付けになる。
そのときだった。
チュッ。
――秘密、ですよ。素敵でした。
俺の頬に、柔らかい感触が残る。
ほのかに薫る石鹸の匂いと、俺にだけ聞こえるくらいの囁き声の言葉。
ハッとして振り返ったとき、もう由依は前を向いていて。
何食わぬ顔でゲームを見つめるその横顔は、いつもより大人びて、彼女の背中はもう震えを止めていた。
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