ep.16 秘密、ですよ。 2/3

 映画館の暗がりのなか、俺の左手に、いや腕にがっしりとしがみ付く由依。

 デートの先は映画で、しかもそのチョイスはパニックホラーだった。


「……大丈夫?」


 ゾンビが画面いっぱいに顔を表す。

 そのたびに腕を引く力が強くなる。

 小刻みに震えている姿が愛しくもあり、心配にもなる。


 周りに配慮してちいさな声で呼びかける。


「だ、だ、だ、だいじょうぶです」

 

 映写の光でちらつく空間。

 淡いあかりのなか、由依はふるえながら上目遣いで俺を見る。


 こらえた涙が瞳いっぱいに今にもあふれそうだ。

 涙の粒に、反射する光が七色に映える。


 空調の効いた劇場内でも、ここまで抱きつかれれば暑く感じる。

 

 追加ヒロイン枠の彼女、日向由依が俺を誘った理由はわからなかったが、

 今日は二人きりだった。

 なつ海はおろか、さやかと合流することもなく、これは疑いようもなくデートそのものだった。


 そして、いつも顔を合わせる由依なのにな。


 いや俺にとってはつい今朝にもその裸すら見ているわけで、

 そんな少女との接触に、不覚にも胸が高鳴っているのがわかる。


 緊張で、映画に集中できない。

 たぶん違う意味で集中できていないであろう由依と、この1時間半を過ごすことになりそうだ。



      ***


 映画館の入った大型ショッピングモール内。

 放心状態の由依をひき連れて、取り急ぎ見かけたカフェに入る。


「あの、なんか、ご迷惑おかけしてごめんなさい」


「いやいや、いいんだけどさ。でもなんで苦手なのに、ホラーを?」


 俺の質問に、少しためらいがちにそわそわとした様子の由依。

 フォークにのせたショートケーキがぽとり、と落ちる。


「まえに、なつ海ちゃんと一緒にゲームしてたときに、カズキさんがホラーゲームが好きって話聞いた、から……」

 

 恥ずかし気に、いつも以上に小さな声で言う。

 俺の、ためだったのか。

 日向由依は真面目で、いい子だ。それはリサマの設定どおりだけど、そのテキスト情報以上のものとして、目の前の少女からはそれが伝わってくる。


「ああ、それで。気を使ってくれたんだね。ありがとう。でも、由依ちゃんの好きなもの選べばよかったのに」


「おわびですから」


「え?」


「先週、由依とお風呂で会ったとき……なつ海ちゃんに怒られてたので。由依、カズキさん死んじゃったかと思って……それで、おわびしたいなって」


「あ、ああ。あれは俺が悪かったし。2度もごめん」


「……3回です」


 !?


「ほんと、すんません」


 どうやら、この一週間の間で俺はもう一度やらかすことになるらしい。

 それはそれで。すこし楽しみ、かもしれない。

 

 いけないいけない。


「いえ、あの、カズキさんなら、いいんです」


「え?」


「あ、いや、あの、あのなんでもないんですッ!」

 

 そう言うと由依は、そそくさとこぼれ落ちたケーキのひとかけを、小皿から拾い上げて口に運ぶ。


「そ、そうか? 由依ちゃんは、さ。なにか悩みとかあるのかな」


「あの……、えっと、はい……わかりますよね。実は、このまえ、なつ海ちゃんと喧嘩しちゃって」


 今朝のなつ海の様子がいつもと違う感じだったのは、何か関係があるのかもしれない。


「理由とかって、聞いてもいいのかな」


「はい、由依が悪いんです……。なつ海ちゃんは将来の夢とかあって、それが羨ましくて。それはご両親の、そうですねカズキさんにとってもご両親の方々の、ゲームの大会の様子とかも由依、実はこっそりスマホで見てたりしたんです」


「そう、なのか」


 日向由依の親は確か、厳格な家柄で、たしか代議士だったか。

 隣の芝生は青く見えるものなのだろうか。

 親がゲームばかりしているってことで、逆になつ海はいじめられてた過去もある。


「すごくきらめいて見えて、なつ海ちゃんもいつかそんな世界にいっちゃうんだなーって。でも、由依には何もないから」


「そんなことないんじゃないか。由依ちゃんは頭もいいし、兄として言うわけじゃないけど、なつ海と比べても由依ちゃんにはたくさん魅力があると思うよ俺は」


 アラサーにもなると、社会の縮図が見えてくる。

 学歴、職歴。資格とか、地頭の良さとか。

 コネとかもさ。

 

 適当ななぐさめ以上の気持ちを込めて、俺は由依に言葉を返した。

  

「……勉強なんてッ! そんなことしか由依にはないんだもん。それもお父さんの言うこと聞いてきただけで、努力とかじゃなくて……叱られたくなくて、やってきただけです。このまえ、なつ海ちゃんに真面目すぎることをやめたらって言われて。それで」


「それで、由依、なつ海ちゃんに言っちゃったの。由依の気持ちも知らないで、勝手なこと言わないでって。なつ海ちゃんのお父さんお母さんと、うちは違うもんって」


「なつ海ちゃんは、由依をわかってくれる唯一の友達なのに。ひどいこと言っちゃって。なんで由依こんな嫌な子なんだろうって、思ったら、これ以上嫌われるのも怖くなって」


 普段はにこにこしていて、口数が少ない子からは信じられないほどの剣幕で、由依は言葉を吐き出していく。


「それで出かける口実がほしかった、ってことかな」


 テキストを読むだけでは感じられなかったエモーショナルな姿に、俺はどう答えればいいのか、わからなくなる。

 だからこそ俺は冷静な大人を演じようと思った。

 違うな、高校生こどもの演技をやめようと思ったのかもしれない。


「はい。ご迷惑、でしたよね。カズキさん。由依、明日学校行ったら、その足で家に帰ろうと思います」


「そっか、俺は由依ちゃんを迷惑と思ったことはないよ。もちろん。ずっとこのままってわけにはいかないだろうし、由依ちゃんのご両親も心配してるだろうしね。でも、由依ちゃんはそれでいいの?」


「……え?」


「見つけられそうなんじゃないか? 自分だけの何か。勉強なんてって思ってるかもしれないけど、それができるのは才能だよ。そのモチベーションは、マイナスな気持ちだけじゃ、ないんじゃないか」


 一瞬、驚いた顔を俺は見逃さなかった。

 困惑、苛立ち、そして少しの喜び。


 さまざまな感情の揺らぎが、その瞳からは見て取れた。


「それは……わからないです」


「由依ちゃんが決めることだけど、俺もなつ海も、由依ちゃんに居てくれて助かってるんだよ。二人っきりでいるってのも寂しいもんだから」

 

 その言葉に、小さく、「はい」と口にした由依は、下を向いて黙り込む。

 零れた涙のしずくがコーヒーカップに溶けていった。


 その日の夜、事件が起きることを知る由もなかった。

 いや、俺は知っていたんだ。

 それはイベントなのだから。日向由依とのフラグ進行を止めることを、俺はできなかった。

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