ep.09 頑張ってるところ、ぜんぶ、見てるからね

『毎度毎度ではありますが、真田一樹くん、今日は何月何日でしょうか』

 

 空腹のままに目を覚ました俺はすぐにスマホの画面を見る。

 月曜日の文字に、少し安堵する。


 6月12日(月)


 昨日の11日からは順当に日が巡っている。タイムリープは発生していない。

 乃愛から言わせると、寝て起きるまでの意識の断続も、短いリープ現象なのかもしれないが。

 この疲れの抜けてなさと腹の減りは、俺の記憶にある前日と一致した。

 

 タイムリープの観測者、佐藤沙織からのメールに事務的な返信をする。

 

『今日は6月12日で、11日に寝て、そのまま一晩経ったところだよ』

 

 俺より3つ下の妹と、優等生な友達である日向由衣は、ともにすでに登校しているようだった。

 置かれていたのは、何も塗られていないものの焼かれて固くなった食パンが一枚だった。

 冷蔵庫のなかのマーマレードの瓶には、『兄さん禁止』と書かれていた。

 

 仕方ないので、そのままの素の食パンを口にいれ、シャワーだけを浴びてから制服に着替えた。


 昼休みには佐藤沙織と学食の一角で、合流することになっていた。

 沙織とのどちらともなく教室の外で合流する昼のミーティングは、俺の知らない間に慣習化されたものらしい。


 もちろん、それはゲーム性を円滑に進めるための予定調和のもとで生まれたルーチンワークによる作用なのかもしれないが。


 昼にはいって、スマホへと通知が届く。


『いつものとこで、ね♡』

 

 なにが『♡』なのだろうかと思う。

 何百回と繰り返したシナリオで、この佐藤沙織だけが主人公に好意を見せないというのに。


「アタシにとっては6月9日から土日を挟んで3日ぶりなんだけどね、いま居るキミとは8日に会ったきりのキミなんだよね」


「まあそういうことになるな。昼休みに殴られたきりってわけだ」


「う……。うー……。あのあとさ。入れ替わったもっともっと未来から来た君にいっぱい叱られたから、ここで説教は勘弁してください。もう顔は叩きません! はい、これでいい?」


 逆切れしてませんか。このひと。

 いいよね? と付け加えた沙織の顔は、謝罪とは程遠いもので、あっけらかんとした態度に、怒りも湧いてこない。 


「別に、怒ってないからいいけどさ」


「ありがと、ね?」

 

 心なしか、距離も近くなっているように感じる。

 自販機横のベンチに二人、隣り合って話をつづける。

 こんなに手が触れそうな位置にいるのに攻略対象外。

 そんな女友達キャラのどこに俺は、どうしてここまで惹かれてしまっているのだろうか。

 

「ところでさ、今日の君なんだかひどい顔だよ。教室で見かけたときゾンビ映画かと思っちゃったもん」


「それは言い過ぎだろ。朝に声かけなかったのはそのせいか」


「咬まれたくなかったしね。でもそんな顔をしてるとなると、なんかあったのよね。アタシの推理では。そうだなー、なつ海ちゃんを怒らせるようなことしちゃったとか、でしょ」


「お察しの通りで」


「なにがあったかは聞かないでおくよ。親しき中にも礼儀あり。君子危うきに近づかずってね」


 親しいと言ってくれるのは嫌な気がしないが、ここまで一度も礼儀を持ってはいないと言いたい。

 沙織とのやりとりを楽しみたい思いもあったが、疲労がピークで全く頭が働かない。昼になり、やっとまともな食事にありつけたからか急激に眠気が襲う。


「佐藤、お前いい性格してんな。まぁそういうわけで、俺は昼終わりまで寝る。チャイム鳴る前になったら起こしてくれ」


 そう言ってベンチの背もたれに向けて身体を反らせて、できる限りの休息をとるための態勢をとる。

 正直、座り心地はすこぶる悪い。


「ん、りょー。あ、ひざ枕でもしてあげよーか? なんてね」


「いいのか?」


「ええ、そこで食いついちゃうのは、沙織的には引いちゃうなー」


 一瞬、素のため息がでてしまった。


「なんか結構、俺いま落ち込んでるわ……」


「えー、そんな落ち込むもの……? ん、もう、言いだしたのアタシだしね。昼やすみ終わるまでですよ」


 そう佐藤沙織が言う言葉が聞こえた。

 途端、俺の上半身はすとん、と柔らかなクッション性のなにかに包まれる。


 制服のチェック柄が目の前に飛び込んでくる。

 そして、夏の気温とはまた違う。わずかばかりの熱を帯びた彼女の肌の感触。


「はい、これでいい?」


 沙織のぶっきらぼうな様子は照れ隠しだろう。

 同じくらい感情を隠した言い方で、俺は言葉を返す。

 

「お、おお。良い感じ。寝れそうだ」


「そりゃどうも。なんだろなー。沙織は恥ずかしいですよ、もう」


 そんな沙織の小さなつぶやき。


 意識が遠くなるのを感じる。これはタイムリープによるものではなく、単なる睡魔によるものだろう。

 それとも、それほどに心地良いのだろうか。

  

 薄れゆく意識のなかで、佐藤沙織の声を聴いた気がした。


「いつも……おつかれさま」


「頑張ってるところ、ぜんぶ、見てるからね」


――さやかちゃんのこと、救ってあげて

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